(ふりがなつき)高校の3年間部活動をやりとおして、経済苦境をも跳ね返し1浪後旧帝大に進学、大学在学中に外交官試験に合格した猛者の話
文章見出し 高校の3年間部活動をやりとおして、 経済苦境をも跳ね返し1浪後旧帝大に進学、大学在学中に外交官試験に合格した猛者の話
ツイッターで「部活以外から現実逃避してるか、部活にしか喜びを見いだせないのね。部活が低学力の温床やろ」という暴論があったので
「成績中位で部活3年完遂、1年浪人後旧帝大に進学、大学在学中に外交官試験に合格した猛者を知っています。彼の学業の飛躍の要因は部活で得た自信と体力だと確信しています」とツイートしたところ、
「まあそうかもしれまねんね。エビデンス見せてほしいところです。
が、そのエビデンスが仮にあったとしても部活は学校から切り離して構いません。
部活による膨大な時間を勉強に回せたら、一浪の手間が省けたかもしれません」
と言われたのでその猛者の話を続けてツイートした。
せっかくなのでnoteにも書いておく。
誤字や表現で気がついたところは修正した。
===12月4日の一連のツイートの内容===
個人名、学校名、卒業年度が証拠になりますが、
個人情報の縛りがあるのでネット公開はできません。
高校でのおれの同級生や外務省の人間ならば誰のことかはわかるでしょう。
その時の状況を詳しく説明するのがエビデンスになります。
話を始めます。
彼は高校サッカー部の仲間でした。
1年の時は部内で一番足が遅かった。
それでも熱心でした。
どうやれば上手くなれるか。
どうやれば速くなれるか。
ずっと考えて努力を続けてました。
自分は足の速さは才能だと考えてあきらめてました。
お互いにサッカー部でしたから勉強は大したことなく、定期の実力テストはいつも中位くらいでした。
自分の高校は試験結果の順位表が配られてました。
上位者から中位者まで名前が発表されてました。
2年の夏休み明けの練習から彼はすっかり変わってました。
足が速くなっている。
聞けば夏休みに2週間1人で走り込みをやっている。
100m走を20本とか30本をやっている。
部活の練習後も100mを10本20本と1人で走る。
サッカー部の仲間も「頭がおかしい」というレベルで走る。
脚の筋肉痛を嬉しそうに語る。
誰もついていけない練習でしたね。
さらに話を聞いたら「図書館で陸上の入門本を読んだ。それで走りの研究をしている」と言う。
その時自分も学校の図書館でその陸上の本を探しに行ったらその後の人生は変わったことでしょう。
それから彼が陸上の入門本で知った話はたぶんこれでしょう。
ーー(本文ふりがなつき)足が速くなる方法:親指走のすすめーー
https://note.com/kazuhitoy3755/n/ncddb99e05ae5
彼は持久力を重視していたようです。
瞬発はどうしても速いやつにはかなわないところがある。
100m走は400m走に変わっていきました。
陸上部のない学校でサッカー部の練習前に400mを56秒とかで走ってましたから大したものでしょう。
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彼が400m走を重視したのにはもうひとつの理由があったと思います。
たぶん彼は「サッカーの攻守の切り替えで縦100mを2往復合計400mを全力で走り切ることができれば試合で有利だ」と考えたのでしょう。
全力で1分間走り続ける能力を得ようとしていたと思います。
走り方も変わっていきました。
ピッチ走法からストライド走法に変わって行きました。
当時県南部の2部リーグにいたチームはリーグ戦開始から16連勝を成し遂げ県大会ベスト4まで勝ち上がってます。
普段の部活に指導顧問の先生はいませんでした。
すべての練習内容は左ウイングをやっていた部長が決めてました。
準決勝の日の前あたりに校舎に「サッカー部を応援しよう」という垂れ幕でも出ないかなと期待したのですが出ませんでしたね。(^^;
彼はそのチームの守備の中心選手になりました。
自分はチームの躍進についていけずに3年進級時に学業専念を理由に部活を辞めました。
彼は当然3年時も部活を続けてます。
学業成績中位は変わってません。
サッカー部は1部リーグで戦ってましたね。
当時の彼は自信満々でした。
ソフトボールがド下手だろうがまったく気にもしない。
体育大会では2年3年とリレーでアンカーを務め400mを独走し、ぶっちぎりのトップでゴールしてました。
誰も彼には敵わない。
そうですね。2年の体育祭ではラグビー部の3年生のスーパーエースが対抗リレーのアンカーを彼に譲ってました。
話は変わります。
自分は現役での大学受験に失敗し有名講師がいる予備校に通いました。
彼も浪人生となり高校付属の予備校に行きました。
6月あたりの自分の予備校の模試発表を見て驚きました。
彼が模試を受けたのでしょう。
成績上位者10名の中に彼の名前がありました。
その後も何度も模試発表の成績上位者の中に彼の名前がありました。
予備校の英数国の模試で万遍なく得点してましたから数学が大いに伸びたのでしょう。
自分も予備校成績上位者の発表で名前が載ることがありました。
彼はいつも自分の上にいましたね。
自分の名前がない時も彼の名前はあったと思います。(^^;
彼が通った高校付属の予備校の模試結果でも同様でした。
5教科7科目のテストで1000点満点で600から650を得点して浪人・在校生の中でダントツでしたね。
1浪後、彼は旧帝大に合格しました。
自分は東京の大学に進学しました。
その後の彼の話は人づてに聞きました。
「2年時に外交官試験に合格して大学を中退して外務省に就職した。難しいことを言うので話しても何を言っているのかさっぱりわからなかった」
何年か前に彼の名前をネット検索しました。
その時は国会の答弁に携わっているようでした。
彼は両親を交通事故で失ってます。
学業にお金はかけられなかった。
高校付属の予備校ですから有名講師の授業を受けた訳でもない。
大学進学後も経済状態は変わるはずもない。
彼の飛躍は独学のなせるところでしょう。
その独学を支えたのは高校の部活動の経験でしょう。
一番足が遅かった彼がサッカー部一の走力を誇るようになった努力と工夫、その結果得た自信でしょう。
部活引退後その力を受験勉強に注いだのでしょう。
そしてそれは大学進学後も続いたのでしょう。
部活を途中でやめるとその後は気まずいものです。
自分はサッカー部の連中とは疎遠になりました。
彼は部活を辞めた自分の家まで「サッカー、高校の最後までやろうぜ」と説得に来てくれましたが、心が折れていた自分はそれを断りました。
浪人の時に彼と学校の近くですれ違いましたがお互いに一言も口をききませんでした。
話を変えます。
彼は具体的にどういう受験勉強をしたのか?
両親が他界した彼には高価な受験参考書を揃えるお金はない。
これは想像ですが、彼がやったのは教科書の徹底復習でしょう。
教科書は一度やっている。
復習は学習速度を稼げます。
そういえば彼にはこんな話がありました。
高校3年時に新入生に陸上経験者が入ってきて1人陸上部をやってました。
100mを11秒くらいで走ってました。
ある日彼がその陸上経験者の1年生と話しているのを遠くから見ました。
走り方を教えてもらっているようでした。
こんな調子で同期の医学部志望の連中の所に行って数学など理系科目の勉強法を聞いたのだろうと思います。
数学等の理系科目は暗記科目だと割り切ると得点が稼げるようになる。
物理を教える有名予備校の講師さんがそう著書のマンガに書いてました。(ヨビノリさんではない)
同じことを一橋大学卒の有名ブロガー兼経営コンサルタントの人も言ってました。
当時は彼がなぜ模試であれ程の高得点ができるのかほんとに謎でした。
ただ奴はすごいなと思っていただけでした。
また話は変わりますが、彼がよく考える人間であったことはサッカーの試合でもよくわかりました。
守備でボールを奪った後、彼はそのままドリブルで敵陣に攻めて上がっていく。
敵はそれぞれマークを抱えてますから誰も彼のチェックに行けない。
敵の守備陣はそのままズルズルと下がっていく。
彼はそのまま敵ゴール近くまでドリブルで上がり、チャンスがあればそのままシュート、もしくはマークが外れた味方にパスしてチャンス・メイクをしてました。
彼のドリブルは技術ではなかった。
華麗なフェイントがある訳でもない。
走力で相手に勝っていました。
万一敵にボールを奪われてもが彼は誰よりも早く自陣に戻れる。
その自信があってのプレーだったのでしょう。
高校サッカーのレベルが上がった今の時代では通用しないかもしれませんが、
何度も見ても格好の良いプレーでした。(^^)
長々と失礼しました。(^^)
追記:
繰り返しですが、
自分はサッカー部を学業を理由に3年進級時に辞めましたが、部活で培った体力と勇気ははその後の自分を支えてくれましたね。
「勇気」とは「やるのが嫌だけどもやらなければならないことを自ら進んでやる気持ち」とします。
途中で挫折しましたが部活をやってよかったと心から思っています。(^^)
自分は部活の学校からの切り離しには反対です。
運動音痴だった自分は学校に部活がなかったらサッカーをやってなかったでしょう。
学校に部活がないとスポーツの敷居は高くなり参加者が減るでしょう。
学校部活は総体として日本の国力を支えています。
今後も学校部活を大切にしていって欲しいものです。