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レトロと心理の話【#4】

どうも、桐山和久です。

先日、中野ブロードウェイ内の【墓場の画廊】にて開催中の『ウルトラマンコスモス 〜強さとやさしさを兼ねそなえたウルトラマン展〜』に行ってきました!

貴重な資料の展示や限定グッズの販売など、いつも墓場の画廊で特撮作品を扱う際はテンション爆上がりしております。


中野ブロードウェイといえば、時代や新品・中古を問わず、数々のレアな品物が揃っている屋内商店街。
【まんだらけ】をはじめとした専門店が数多くあります。
正に聖地であるここが大好きすぎて、行くとついつい長居してしまう。笑

僕は平成12年生まれの現在21歳。
当然、自分が生まれるずっと前のモノをたくさん見ている訳ですが、「一体これは何ぞ…」と困惑することもなく、逆に「おー!スゲー!超貴重!」などと大興奮している。
これって凄いことですよね。
芸術やエンタメが、如何に大きな影響を与え、人から人へ語り継がれていくのか。


今でこそレトロなモノは大好きで、時代背景を調べたりもよくしますが、実は幼少期、いわゆる“古いもの”に恐怖心を抱いていたことがありました。

古いもの=怖いという式がどこから来るのか。






モノに感情移入しすぎる癖がある。






簡潔に言えば、原因はこれです。

これは直接コミュニケーションを取る人や動物に限らず、無機物に対してもそうです。
人から相談を引き受ければ、相手の心情に入り込みすぎて自分まで落ち込むことがあったり。
長年使い込んだのであろう粗大ゴミを見掛けると、その家庭でどんな思い出を残し、最後はゴミとして捨てられていくのか、想像して涙を流すこともあったり。

記憶に新しいところで言えば、昨年10月に出演した配信ライブ『maruxenon Live Vol.39』での出来事。
会場の恵比寿天窓.switchはこの時点で閉店が決まっており、僕がこのステージに立つのも最後というのが分かった上でのライブでした。
ここでは毎回ピアノの弾き語りを披露させていただいていたのですが、やはりこの癖が発動します。






本番中にピアノに感情移入して泣く。






あれは後にも先にも、ライブでの最大のやらかしだと思います。笑
泣くといっても号泣ではなく、目がうるうるし始めて声や手元が震えてしまった程度ですが。
演奏もイントロからミスタッチし、歌い出しも声が震えてしまったので、これはいかん…ということで一旦仕切り直しをさせていただきました。

なぜそんなことになったのか。

このライブ会場で数々のアーティストがパフォーマンスをし、このピアノもたくさん演奏されてきたことでしょう…。
それがこのコロナ禍を経て、演奏の機会も減り、挙げ句閉店となってしまったことは、きっとこのピアノも無念だったであろう…。
そして自分がこのピアノを弾くのも、これで最後か…。

などと考えていたら泣いてしまいました。笑


この癖は今でも変わりませんが、だからと言って、なぜ古いもの=怖いに繋がるのか。






この古いものに写っている人物や携わった人物は、きっともう亡くなっている。






幼少期の僕は、こういった発想になっていたのです。
この発想から行き着くのは「故人を見ている」「故人の遺したもの」という連想でした。

古いドラマや映画なんかも、その役者さんがご存命であると判っていたり、あまり深いことを考えずに観ていれば大丈夫なんですが、亡くなられていると判った途端に怖くなったりしていました。

幼少期は思考のボキャブラリーが少ないからか、残酷な部分を残酷なまま受け止めてしまっていたんですね。
人の死というものに対しての経験や価値観が伴っていないからか、死=恐怖という漠然とした感覚がそうさせてしまっていたんだと思います。

大きな災害や事件・事故などでの死を報道で見てきましたし、知人の死も経験しているので、さすがに今はもう古いものへの恐怖心はなくなりました。

今となっては「この方がご存命の内に、活躍している姿を見てみたかった…」などと思うことばかり。
完全に真逆ですね。笑

経験が人を変えていく。
それを成長という言葉で表すのでしょう。
僕のこの思考回路に関しては、そのまま成長しないで良かったと本当に思います。




《Today's music》
バイオミック・ソルジャー / 宮内タカユキ

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