ご報告という程でもない話。
皆様、お久しぶりです。大田です。
タイトルにあります通り、来年度から色々と自分の置かれる環境が変化するという事でご報告させていただきたいと思います。
とはいえ完全に私事ですので、実際は言っても言わなくてもどっちでもいいんです。
ですが、こういったケースはなかなか起こる事ではないので、一つ文章に残そうと思った次第です。
環境変化
勿体ぶってしまいましたが簡単に言うと、
来年度から、順天堂大学 大学院に進学いたします。
昔からの私を知ってる人なら本当にびっくりでしょうね。
あんなに勉強嫌いだった大田が!?と。
皆さんテストで0点取った事ありますか?
都市伝説だと思ってるでしょ?
あれ、現実に起こるんですよ。(常習犯)
まぁまぁ、
将来の目標の為に、いずれ大学院に行く必要があるとは考えていたのですが、それもまた「お金が貯まったらかな」とか「競技を引退してからかな」など、きっと今ではないと思っていました。
それがどうして社会に出てたった2年半、ろくに貯蓄もなく、競技も半ばのこの時期に進学を決断したかと言いますと、
それは今年10月3日、新潟県で行われた日本選手権に遡ります。
きっかけ
日本選手権には母校金沢星稜大学時代から今もご指導を頂いている、恩師の杉林先生も来られていました。
男子の走高跳が終わり、今日の試合運びだったり今後のトレーニング課題などいつも通りの会話をした後、さて帰ろうかというさなか、
言っておかなければいけない事があると先生が口を開きました。
それは今年度で金沢星稜大学から離れるというお話しでした。
衝撃でした。
先生は筑波大学から筑波大学の大学院を出られており、本来はもっと良い研究環境で、レベルの高い陸上部のコーチをしていてもおかしくない方です。
そんな方が金沢星稜大学に居てくださり、あまつさえ我々の指導までしてくださっている事は奇跡だと学部生の頃は常々思っていましたが、
とうとうこんな時が来るんですね。
そして金沢星稜大学を離れた後の移り先が順天堂大学だと聞いた時はまた意表を突かれましたが、先生にも良いご縁があったようです。
そして更には順天堂大学で大学院を担当されるらしく、そこで
「私の研究室に入らないか?」と誘われた、という経緯です。
競技だけではなく卒業論文の指導教員を務めて頂いていたという事もあって、卒業後も論文をポスターにし学会で発表させてもらったり、いずれ大学院に行きたいという事も伝えていました。
今回はその意欲を買って頂けたのだと思います。
この一言が1番の衝撃でした。
先述した通り、あれやこれやと理由を付けて渋っていた私が、人生で初めてすぐさま行動に移さなければいけないと強く思いました。
決断
とはいえ私も社会人です。
すぐこの事を会社の方々に相談しました。
私の独断で決めてしまう訳にもいきませんし、何より会社から完全に離れてしまうと収入は無くなり、進学どころか競技さえままならなくなってしまいます。
しかし仕事の現場は東京都、陸上競技場のある大学は千葉県にあります。
つまるところ、これまでの通常業務が進学によって果たせなくなります。
大学卒業後、今の会社にアスリートとして雇用して頂いているという立場があり、会社側も責任を持って社員を雇ったという立場があります。
完全に私情で大学院に通わせてほしいなど調子の良い事を言う奴も居たもんですが、会社と話し合い、契約内容の変更という事で大学院進学を認めてくださいました。
色んな方に迷惑を掛け、支えられて生きているのだと思います。
色んな方々の後押しがあり、こうして大学院進学を決断致しました。
日本体育施設、延いてはスポーツ界に感謝を結果で還元したいですね。
これから
長々と書き連ねてきましたが、結局これからどうなっていくのかというと、
少なくとも修士2年間は学業、業務、競技の3つを並立することになります。
まず肩書は学生という事になります。
業務の面では定期的な出勤や業務時間の確保が難しくなるので、いままでのような正規雇用の社員では無くなります。
しかし新たな契約を結び、会社に貢献します。
これによってユニフォーム等に書かれる所属先はこれまで通り日本体育施設のままとなります。(大学側には確認・承認済み)
つまり学生と社会人の2つの顔を持つという事になります。
大まかにこのようなイメージを持っていただければ大丈夫かと思います。
プロとは
競技を行い結果を出し、企業から資金や物資を頂いて生計を立てる選手を、巷ではプロスポーツ選手と言うそうですね。
聞いた話なのですが、日本の実業団システムは海外ではとても珍しいらしいです。
実業団は正社員または契約社員などで所謂正規雇用が基となり、その企業に運動部が在るという構図です。
業務形態等は会社によって随分違うと思いますが、
言ってしまえば一般社員なのです。アマチュアなのです。
なので私はその正規雇用の枠組みから外れてしまうので、この定義で言えばプロスポーツ選手と呼んでもおかしくはないのですが、
私がプロというのはどうもおこがましいので、「個人事業主」や「フリーランス」という言い方がしっくりきます。学生の側面もある訳ですし。
しかし実業団選手である今も、これからも先も、プロ意識をもって競技に取り組んでいる事は間違いありません。
というより実業団選手はそうであってほしいし、私が関わらせていただいた実業団選手の方々はそういった方々ばかりでした。
こと陸上競技に関してはプロという形態が確立していないだけという気もします。
実業団選手もやってる事は正直プロとほぼ変わらないので、そういう人達もプロと呼んで差し支えないんじゃないかなぁと個人的には思います。
「プロ陸上選手になりました!」と言えば聞こえが良いし、輝かしい未来が待っているような気がしてきますが、
陸上競技のプロというのは良いことばかりでもなく、サッカーや野球のように大手企業が選手と契約して巨大なチームを持ち、年俸○○千万円、○○億円などという事はほぼありません。
超強い選手や超有名選手を除いて(或いはそういった選手でさえも)、ギリギリ食べていけて、最低限競技が出来ている。というのが現状ではないでしょうか。
殆どのプロ陸上選手は資金繰りで苦労しているように思います。
私は会社から支援していただける事になり、もちろんこれ以上の条件を求めるつもりは無く。ただただ有り難く思いますが、
ここからは現実問題、
社会保障や、福利厚生が受けられなくなります。
これまでより収入は減るのに出費は増えます。
学費の支払いで貯蓄は底を尽きます。
両親には姉、私、妹を大学4年間、或いは高専5年間卒業まで面倒をみてくれました。
そんな雛鳥がやっと巣から飛び立ったのに、また戻ってエサを寄越せを言うわけにはいきません。
自分は勝手に飛び出しておいてこういうことを言うのもなんですが、今実業団に所属している選手、これから実業団やプロを目指そうという選手、ご自身がどういう人生設計をするかは分かりませんが、社会のシステムに守られた安定も悪いものじゃありませんよ。
これからは今まで以上に泥臭く、身体を使って仕事やスポンサーを獲得する為に東奔西走する事になると思います。
自分で決めた事とは言え、随分茨の道を進む2年間になりそうです。
しかし自分の将来の為にやりたい研究、一生着いていきたい先生の元で競技が出来る事、学生達からもエネルギーを貰って取り組める環境に飛び込めるのは、茨の道を這ってでも突き進む価値のある2年間だと思います。
この決断に後悔はありません。
やるという事だけは決まりました。
後はどうやるかです。
以上、ご報告まででした。
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