浅草ロック座 『Re』1st

1景 大見はるか 2景 西園寺瞳 3景 樋口みつは 4景 鈴木ミント 5景 豊田愛菜 6景 倖田李梨 7景 真白希実 

初ストリップのレヴューです。きっかけは樋口みつはさんのAV作品のファンだったので最終日に駆け付けました。用語知らずや不備があると思いますが伝えたいことをしたためます。

ロック座についてみれば長蛇の列。事前に樋口ファンの方から最小限の見方とルールを教えてもらい(助かりました、ありがとうございました)下手盆の三列目でステージもよく見える。

1景 大見はるか 箱の中から踊り子さんが一斉に登場。衣装で「アイドル?」と見紛うがダンスが要所要所で可愛らしさにセクシーが垣間見れる。大見はるかさんは「自分の笑顔をお客さんに届ける」ということに自分に課しているいるように感じた。自然であり、それでいて意志が宿っていてこれまでにみたことがないショウマンシップ。それがダンスのキレと相乗効果となりカラフルでポップな1景になっている。私は初めて鑑賞するので固定概念を覆される可愛らしいストリップに惹き込まれていた。この衝撃は大見さんの弾ける笑顔でしか味わえないと思うし、それがとても嬉しくもあった。

2景 気持ちが高揚しつつほぐれてくる。1景の全員のダンスと大見さんの可愛さからケーキを持った西園寺瞳さんが目の前で今までの固定概念のような踊りを披露しはじめた。明解なエロス。チェリーを舐め、食べる。魅せ方が今までに観たことがない、こうだろうなという想像のみのシーンで目の前のお客さんとして対峙して私は鉄板の凄さ、自分の浅はかさ、プロの表現を知った。衣装チェンジ、指先の動きまで繊細かつ穏やか。食べるということをダンスに溶け込ませ魅せるというスキルはどうやって西園寺さんは自分に染み込ませるのだろう?食べるエロスは鉄板なのだろうがここまで明晰だと情念と多幸が絶妙にブレンドされていて、ここまでで尋常でないものを自分は観ているという実感が湧いてきた。ここで「ようやく」という言葉は私の中で消滅した景。ようやく、とは厄介だ。自分の目で観なければ長年の思いこみ、勘違いを正せない。

3景 樋口みつはさん ん?20世紀フォックスか?ああ!これがツイキャスで言ってたプレデターか。この鑑賞のきっかけになった樋口さんは仮面を被って登場。AV20年7月デビューで8月初ストリップ鑑賞。何かに導かれステージに立つことになり、私はモニタでなくナマで相対している興奮。これを新しく感じる私はストリップ自体が取り決めのない世界だと認識を改める。樋口さんはまだ共演ダンサーさんを~姐さんと呼ぶようにキャリアは浅い。大きな動き、止めと跳ねに重きを置いている。正面鑑賞でないから現役キカタン女優のエロスの表情は確認できなかったが、盆に仰向けで寝転がり腰を跳ねらせるダンスの切れ味は面目躍如である。見ると髪飾りをしていない。髪留め、髪飾りはない踊り子さんもいたが、樋口さんは芳醇な髪の毛を振り乱し艶のあるガンも飛ばす。その挑発的な視線をステージに戻る刹那、見逃さなかった。俺、エライ。

4景 鈴木ミントさん 息を呑むということはこういうことだろう。彼女はステージ、盆でほぼ笑顔を封印している。正確には曲に合わせて孤独を演じている。着物(衣装)も絶妙に太腿に引っかけて踊り続けるなど気持ちの憑依と別個でもう一人の自分で踊りをコントロールしている。私はミントさんの表情からどんな孤独か想像していた。侘しいのか寂しいのか哀しいのか。欲しているものは踊り以外のものなのか。何か美しさに焦燥感を覚えさせる踊りに私の自意識は消えた。視覚視聴の合間にミントさんの思考を要求してきて私の現での心の美醜を消滅させてくれた。こんなこと滅多にないことだ。

5景 豊田愛菜さん 頭蓋に浮く脳が揺れた。ミンクのショートコートのみを羽織り、時にダイナミックに時にたおやかに舞い踊る豊田さんの安定感、安心感に私は共振した。お客さんは踊り子さんに何かを求めている。その求めるものが私には豊田さんの景だった。圧倒的なビジュアルから醸し出される優しさは母性とも言い換えられる。それとも単純に女体は男を癒すという即物的でない、今の世の中で消え失せた奇跡のような鑑賞情交なのか。艶でも煽情だけでなく、踊られながら抱きしめられているような心地よさ。私生活で張り詰めていた呼吸が楽になった。

6景 倖田李梨さん ダンスのキレや肌感、表情、そして他の踊り子さんとは違う演技をダンスに溶け込ませるユーティリティプレイヤーと見えた。足技の凄まじさからコミカルさまでお客さんを魅了させる術をすべて備えている。かといって器用貧乏などでも小手先でもない。倖田さんのダンスには奥深さがある。勿論人間性も関係している。素人感想と思い許していただきたいのですが、彼女はいささか飛び技的印象の3景を踊っても5景の「これぞストリップ!」でも踊れる。高次元の演技とスキルの融合は振付師や演出家には頼りになると想像に難くない。

7景 真白希実さん この人はストリップを違うベクトルに持っていくダンスをする。表情は自信を慈愛に満ち溢れ、踊り子特有の艶を振りまく裸体でもありながら、美を失わず内太腿やふくらはぎの筋肉はアスリートのそれに近い。たらればという言葉が失礼なことは承知だが何かスポーツをやっていたら、ストリップと同じように成功(曖昧な言い方で申し訳ない)している。たぶん誰にも似ていない踊り子が真白希実さんなのだ。このゴージャスさがなければショウとしての7景というものは務まらないのだと思う。演出家が「真白希実」という踊り子に当て書きしたとしか思えない、矛盾しているけれど「観たことがないのにこれが真白さんなんだよ!」と言いたくなるダンス。衣装でさえ着てあげている感。視線一瞥、挙動一つ、手足の美しさ、光る裸体。そして踊りからはライブがとめどもなく溢れている。それは自分の好きなことをやり極める生命力と言い切るのは大袈裟?素敵な締めをありがとうございます。

ストリップの大切な要素の一つに落ち込んでいる人に刺さることをしていることだと思う。だから大見さんは喜びの中で静止しているし、西園寺さんは癒しの中で、樋口さんは闘志の中で、ミントさんは虚空の中で、愛菜さんはたおやかさの中で、倖田さんは自分のため人のための中で、真白さんは超然とした中で停まっている。動きは停止の連続性で完結しながら生まれるが、そのどこが誰に刺さるかわからない。私でいえば樋口さんの乱れた髪の一瞬で心を奪われたし、ミントさんの虚空を彷徨う視線でもそうだったし、真白さんのダンスが動き出す瞬間。私はこれから落ちそうになるとき、これら(他の踊り子さん然り)を引っ張り出してネガティヴを追いだすことにしたい。

残念なことは家庭の事情で楽日の二公演しか観られなかったこと。まだまだ見足りないし、もっと踊り子さんに感謝を表したい。フィナーレでは踊り子さんの声や笑いも聞けたとか。こんな分析まがいの感想を書いてお礼を伝えたいならもっとみろ、と猛省しています。

ストリップとは一期一会らしい。「Re1st」はこの七人だけだし、他の演目でまた共演することがあっても、その演目に集中しているだろう。西園寺さん、倖田さん、大見さんも昨日終わって、昨日の今日なのに方々で踊っているのだ。だからこそ、この20日間を濃く己に染み入っていき、みなに優しくなる。ミントさんは樋口さん曰く、二人でやったほうが早いからとトイレ掃除を一緒にしたり、1景の箱の中では樋口建設御苦労さまです、など優しく楽しい現場を心掛けているのだろう。同じ志を持つ同志を演目ごとに変えながら、彼女達の癒しと笑顔を振りまく戦い(舞い、踊り)は続く。

すべての踊り子を尊敬します。

Ah you Reborn?



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