1844年弘化元年から梅と共に生きる酒蔵の話 「佐藤 杜氏」❶
佐藤酒造店の杜氏さんの名前は
「佐藤」さんと言う「杜氏とうじ」です。
佐藤酒造店は家族経営の酒蔵なので、杜氏さんも
佐藤です。
実は知る人ぞ知る人で。
「今現在も美味しい酒を醸す」杜氏さんですが
「未来が楽しみで仕方がない」杜氏さんです。
間違いなく、世の中で有名になる杜氏さんです。
と言うか…ここ最近は
「雑誌」や「テレビ」でも、取り上げられている
有名になりつつある杜氏さんです。
これは、僕からのお願いでもあるんですが
「有名」になると「買えなくなる」んですよね。
だから、そっと。笑。
オンラインで買って呑んで応援しましょう。
ちなみに、前の記事を読むと「なんか滅びてしまう蔵元」のようなイメージになっちゃうんのですが。笑。
結構…人気あります。
今回は「雑誌や新聞」などの掲載記事を
文字起こし。僕がしたので、客観的に
おすすめ記事をお読みください。
出てくる写真は全部、私の秘蔵品です。笑。
結構、こまめにスクラップしてるんですよ。笑。
読売新聞
「新世代へのバトン」
私のお酒おいしさ求め
父を説得 弟と蔵支える
「佐藤酒造店」の女性杜氏
佐藤麻里子さん
1844年(弘化元年)創業の「佐藤酒造店」(越生町 津久根)で、杜氏の佐藤麻里子さんが、仕込み蔵の
発酵タンクをのぞき込みながら、中のもろみを丁寧にかき混ぜていく。
温度や湿度で味が変化してしまうため、昼夜問わずの作業だ。
佐藤酒造店で初めての女性杜氏を務める麻里子さんは、今年で5年目の酒造りに挑んでいる。
「酒づくりを仕事だとは思っていない。楽しくて仕方がないんです。」
と笑顔で語る。
6代目蔵元の父•忠夫さんの長女として生まれた麻里子さんは、稼業は弟•徳哉さんが継ぐと思い、酒造りに関わる気はなかった。忙しい両親の助けになればと、高校生になると佐藤酒造店の直売店で販売の手伝いをするようになった。
客と話す中で、年によって酒の評判が変わることを知り、酒造りに興味がわき、仕込みの手伝いをはじめた。蒸し上がった米に麹菌を浸透させると、炊きたての透明な米が膨らんで白くなる。
毎日の気温や湿度の違いで、膨らみ方や白くなる度合いが違うことが面白いと思った。
大学に進学し、情報系の学部でプログラミングなどを勉強していたが、就職活動の時期になり、
自分のやりたいことを考えた時に、酒造りしか考えられなかった。
大学2年の秋、麻里子さんは忠夫さんに
「酒造りをしたい」と告げた。
忠夫さんは、「重い米や水を運んだり、寒い中で作業したりする酒造りは女性には厳しいのではないか」と心配し、反対したが、熱意に負け、酒造りに携わる「蔵人」として働くことを認めた。
麻里子さんは、大学4年に春から県酒造組合の「彩の国酒造り学校」に週に1度、2年間通った。
当時、講師を務めた大橋勝さんは、麻里子さんを
「1つの工程を教えると2つ、3つ先の工程まで理解できる勘の良さがある」と評価する。
麻里子さんが酒造り学校に通っていた22歳の時、大学に入学した徳哉さんが「蔵を継ぐ」と宣言。
だが、忠夫さんは蔵の老朽化が進んでいることなどもあり、自分の代で閉めるつもりでいた。
徳哉さんと麻里子さんは蔵を継ぎたいと説得。
十数回にも及ぶ家族会議の末、蔵を建て替えて経営を続け、徳哉さんが将来、蔵元を継ぐことが決まった。
2014年5月、忠夫さんは、酒造りに関わる人たちも若い世代にしようと、麻里子さんを杜氏に起用した。
「伝統の味を守ることができるだろうか」
麻里子さんは少し不安だったが、客においしい酒を届けたいと自分を奮い立たせた。
杜氏として初めての酒造りは、工程を追うことに精いっぱいになってしまった。
完全に納得いく酒に出来たわけではなかったが、客からの「おいしかった」という感想を聞いた時は涙が出た。
麻里子さんは杜氏になってから毎年、佐藤酒造店の看板商品「越生梅林」に自身の名を加えた「越生梅林 まりこのさけ」を醸造している。
「お客さんに杜氏としての成長を感じてほしい」とも思いからだ。昨年、4回目の酒が販売された。
現在、忠夫さんの元で経営を学んでいる徳哉さんは、いずれ7代目蔵元に就任する予定だ。
きょうだい二人三脚で、佐藤酒造店を支えていく。
「人の喜びの瞬間や悲しみの場面も温かく見守るような、優しい酒を造りたい。」そう語る麻里子さんは、きょうも酒造りを続ける。
県内の蔵元と女性杜氏
県酒造組合によると、県内の日本酒の生産量は都道府県別で全国4位。34の蔵元があり、年間2万1,233キロリットルを生産している(2017年)
酒造りの責任者を務める杜氏は各蔵に1人ずつおり、県内の女性杜氏は2人。全国的にも女性杜氏は少なく、日本酒造杜氏組合連合によると、同連合会に登録している杜氏は全国で681人で、うち女性は18人という。