敦賀県ができるまで。
むかしむかしあるところに敦賀県がありました。
「敦賀県ができるまで。」ということで・・・、
実際にあった「敦賀県」・「敦賀時代」
(注)前川の解説なので「ホンマでっか?!」という感じで見てください。
上の図は、福井県のHPより引用させていただいておりますが、
この図のとおり、敦賀県 という県が歴史上実際にありました。
しかも、敦賀県の人口は54万人。
県庁所在地:敦賀
簡単に、歴史を解説すると、
江戸時代前の福井県らへんは、越前国と、若狭国の2つ。
江戸時代には、福井県らへんは、11の藩に。(敦賀は、敦賀藩)
明治時代には、福井県らへんは、10の県に。(敦賀は、小浜県)1871年7月の廃藩置県により
しかし、その後すぐ5ヶ月後の1871年11月に、
10の県が、3県に。
この3県の中に、敦賀県が誕生!
人口は、約20万人
あとの2つは、福井県 35万人と、足羽県 ?人
1873年1月に、福井県と、足羽県を吸収して、敦賀県が誕生!
敦賀県 人口54万人
しかし、1876年8月に、敦賀県は、石川県と、滋賀県に分断される・・・。
しばらく、敦賀県や、福井県の存在がなくなり・・・・・、
敦賀は、滋賀県敦賀となりました。
1881年2月に、石川県と、滋賀県から、今の福井県部分を戻して、福井県が誕生!! 人口58万人
ようやく現在の福井県の基盤となる福井県が誕生したのは1881年。今から140年前(2021.1.22現在)
いろいろ変化はありましたが、実際に敦賀県があったのです。
1871年11月から、1876年8月まで、敦賀県があったということになりますので、
4年9ヶ月、敦賀県ありました。
今から、145年前には敦賀県があったということでした。(2021.1.21現在)
自分の町ができるまで。
「敦賀県がありました!」だから?何ということですが‘‘自分の住む町ができるまで‘‘って何か面白いなと思い、歴史は勉強しています。そして、敦賀検定も合格しました!←勇逸の自慢。
それでは、また
ウキペディアの方がまとまっていてわかりやすいので、下記に引用します。
ウキペディアより引用 (1871年12月31日) - 第1次府県統合により、若狭国および越前国今立郡・南条郡・敦賀郡の区域をもって敦賀県が発足。管轄地域内に藩庁が所在した鯖江県・小浜県が廃止。明治6年(1873年)1月4日 - 足羽県を編入。現在の福井県とほぼ同じ県域となる。明治9年(1876年)8月21日 - 木ノ芽峠以南の若狭国および越前国敦賀郡(嶺南)を滋賀県に、越前国今立郡・南条郡(嶺北)を石川県に合併。同日敦賀県廃止。