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溺れるほど泣いてわたしは浅田真央の何を見ていたんだと心から反省したGWのこと
こんなにすばらしいプログラムだったのか、リチュアルダンス。
(いいけどカメラワークどうした。)
3年にわたって行われた、浅田真央サンクスツアーが、4月末に横浜で終演しました。
あかん、これを書いただけで思い出し泣きしてしまう。
彼女が引退したのが2017年。あれからもう4年経つというのに、わたしはまだなんだか思いが強すぎてリアルの浅田真央を見に行くことさえ出来ないのです。
私がフィギュアを見始めたのはおそらく小学生。捏造の記憶かもしれないけれど、フィギュア界の伝説のトービル&ディーンのボレロをリアルタイムで見ていた記憶があります。(1984年サラエボオリンピック)もちろん伊藤みどりも。今をときめく鍵山の父が現役だった頃も。羽生のコーチのブライアン・オーサーが現役だった頃‥あ、もういいですか?
真央ちゃんのことを知ったのは、「(ジュニアの下の)ノービスにとんでもない選手がいて公式戦でトリプル×トリプルを飛んだ」というニュース。その年の全日本に確か招待選手として出場し度肝を抜かれたのでした。
…この調子で書き始めると超絶長編noteになってしまいそうなので長い話を短くしますと、浅田真央への思い入れが強すぎる。子どもの頃から見ていたおばちゃんのような気持ちでもあり、選手としての技術の進化も見てきたオタクファンであり、自分の人生で起こったいろいろなことを常に投影しながら見てしまう対象でもあり…。引退後のNumberの浅田真央特集など何年も開くことすら出来なかったという。
現役時代はブログに浅田真央のことを書きすぎて、一時真央ちゃんを画像検索すると私の写真が出てきてしまうという異常事態になったことがあるくらいです。
さて、話し戻りましてサンクスツアー。
わたしは横浜在住であり、新横浜アイスアリーナはアクセスもよく、最初の抽選には外れたけれど、その後もどうしても行こうとしたらいけないこともなかったはずなのです。でも、リアルで彼女を見たときの感情の高ぶりにカラダが耐えられる気がしなくて(笑)結局最後まで行かずじまいでした。そしてその判断は、おそらく、正しかった。
3日だけ配信視聴できた、千秋楽の新横アイスアリーナの公演の模様を見て、開始3分で、「行かなくってよかった…」と思いました。彼女がリンクに上がってるのを見ただけで脊髄反射で涙がボロボロ(;ー;)
前半ですでに横隔膜痛い。
一緒に見ていた娘がドン引きするほどに、いちいちいちいち涙腺を刺激するプログラムのオンパレード。無良くんが滑る「鐘」とかもう、何なんですかやめてください、胸アツポイントが2重3重に重ねられていて、これを会場で見ていたら呼吸困難で救急搬送されこの時期いらん医療負担をかけてたいへん迷惑なやつになるところでした。なんだったら無良崇人についてだけで1エントリー書ききれるが!(落ち着こう)
公演の趣旨としては、さまざまなスケーターと本人によって、浅田真央の歴代のプログラムが「回顧」され、彼女の「感謝」を全国に伝える、というものでした。そして見に行けば現役時代のすばらしい浅田真央選手を「回顧」し、こちらからも拍手で彼女に「感謝」を伝える時間になるのだろうと予想していました。
が、彼女は進化していた。
そうか、競技会を離れたら、こういうスケートをしたかったのか…。
むしろ採点のないところで、新しい作品としての到達点をまだまだ探し求め、アスリートとしては第一線を離れたけれど、アーティスト・ダンサーとしては今むしろ浅田真央は円熟を迎えるところなんだ!!
わたしはなぜそのことの気づけなかったのか…過去にとらわれるって恐ろしい。おそロシア。
なかでも現役最後のプログラムとなった冒頭の「リチュアルダンス」を、他のスケーターたちと踊ったプログラムの素晴らしさと言ったら。日本人にはよくわからない「リチュアル」という感じがなぜか分かってしまうような気にさえなるほど、ファリャの狂った世界観をよくぞそこまで身体化したな!作り出す物語の世界のおおきさと、そこに入り込む集中力、人間界と魔界を行ったり来たりする振り幅、それを支える細部に渡るまでの高い技術。こんなにも手の表現が美しい選手だったっけ、浅田真央って。わたしは今まで何を見ていたんだ。
採点競技に合わせて技を詰め込んだせわしないプログラムでは見えなかった彼女のほんとうの素晴らしさが、1コマごとに花開いて世界に放たれていくような、そんな「これから本当の実力を見せてくれる浅田真央の未来」が楽しみになるような、未来に向かっていく時間だったのでした。
今までにありがとう、ではなくて、これからの浅田真央が楽しみだ!って、涙を拭えるようなすがすがしく浄化された時間。
真央ちゃんが引退を発表したときのフモフモさんのコラム。
ひとつの終わりは、次が始まる合図。
真央さんの引退の言葉には「フィギュアスケート選手として終える決断」とあります。「選手としては終わり」と言っている口ぶりは、まだ終わっていないもの、これから始まるものを胸の奥に秘めているかのよう。ハーフハーフで悩んだ時間の、手をつけずにとっておいたハーフがこれから始まるのだとしたら、「待ちに待った」リスタートです。
思い切って、ドーンといってください。
トリプルアクセルを踏み切るときの気持ちで、思い切って。
どんなリスタートをすることだって、真央さんならできる。
「リスタート」は真央さんの得意技なんだと、立ち上がるときの強さこそが真央さんの真価なんだと、僕らはソチで見せつけられましたから。
新しいステージへ、笑顔で行ってらっしゃい!
(フモフモさん、最高だな…泣)
これは「新しいステージ」だったんだ。
いやあ、わたくし、過去を見ておりました!!フィギュアのレジェンド浅田真央に思い入れるあまり「あの現役時代の」浅田真央に一喜一憂し胸を熱くした日々にすがりすぎておりました。本人は未来しか見ていなくて、新しく生まれ続け前に進んでいたんだなあ。見に行くことさえ出来ないとか思い出に溺れていた我が身が恥ずかしいっ。
恥ずかしい我が身をついでにもういっちょシェア。
ソチの時に書いたブログです。
この中に彼女のインタビューのことを書きました。
エキシビションの後のインタビュー。
インタビュアーに
「浅田選手にとってオリンピックはどんな大会でしたか?」
と聞かれて
「そうですね・・」
と
しばらく、何かを探すような遠くを見る目をしたあと
またいつものあの真っ直ぐな目で
「バンクーバーの時もソチの時も
最高のオリンピックでした」
ときっぱり言い切った真央ちゃん。
でもね、
つまりショートの夜までは
最高のオリンピックではなかった、だろうと
思うんだよ。
あのフリーを自分の力で踊りきったことによって
この2つの大会を
最高のオリンピックに「した」んだよね・・
そしてほんとうにそう「なった」んだよね。
過去は変えられる、って
こういうことだったんだって。
目の前の現実をひたすら生きて
自分で自分の人生を引き受けることで
人生の被害者でもヒロインでもなく
「わたしの、最高の人生」になっていくんだね!
自分の文体がうっとおしいが・・・。
過去も未来も更新し続ける女、それが浅田真央。
なんだか、真央ちゃんを見るたびに泣いてしまう反射を、もうやめられそうな気がする。
わたしも一緒に前を向かなければ。
浅田真央の未来に何が待っているのだろう。それが本当に楽しみになる。未来とは希望なんだっていう気分を久しぶりに思い出した。止まっていた私の背中を、今の彼女が押してくれた。
本人は、山で自給自足とかしたいとおっしゃっているようですが^^まだそこまでには時間があるでしょうから、そそのかされて政治の世界に引っ張り込まれたりするなよとか余計なことを思いつつ、姉も姉でしあわせになってほしいとかまったくもって余計なお世話なことも思いつつ、これからの浅田真央に心からのエールを送りたいと思います。
ちなみにわたしは、年齢制限で出られなかったトリノオリンピックの年の全日本で初優勝した14歳の浅田真央をリンクで見ていますから!(もういいですね、はい。)
最後に一個だけ、ボディーワーカーらしいことを言わせてください。
彼女ほどボディーマップが正確な選手を他に見たことがない。身体に持っているイメージが、本来の構造に対して、歪まず完全にあるがままに素直に身体を使えている。特に背面の使い方がすばらしい。あの自由自在で伸びやかな動きはこの身体イメージの正確さゆえのもの。
ここまで正確な身体イメージを持った人は、浅田真央とバレリーナのシルヴィ・ギエムしか知りません。
次の機会は逃さずに、生身の浅田真央が滑っているのを、必ず見に行きます。過去の投影ではなく、今の、浅田真央というスケーターを見るために。出来れば、泣かずに^^
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