大学に通いながら気付いた、「ヒトについての大統一理論は多分ない」
大学の帰り道。
新幹線でお弁当を食べる行為にすでに飽きてきた。
ボディーワークの中でも最も訳のわからない部類に入るであろう
クラニオセイクラルという手技療法の世界と、医学研究を行ったり来たりしていると、人の健康にまつわるさまざまな「対立」の背景がよく見えてくる気がする。
どちらが正しいのでも、どちらが間違っているのでもない。
どんなアプローチを取ったとしても
結局私たちは、まだまだ人というものを
「総合的には理解していないのであり」
「どんなにそれを補うように見えるものでも、必ずある種の間違いを含む」
のだということ。
これが、誰もがよくよく心に留めておくべき事なのだと思う。
どんな視点にも限界がある。
全てを記述する大統一理論は、おそらくヒトについては、ない。
心、身体、それぞれについてすらないだろう。
なんだか、今回それが体感的にハッキリと分かってしまった。
私たちに出来るのは、せいぜいあらゆる断面を組み立てて
朧げながら浮かび上がる全体像をぼんやりと想像するしかない。
外側からは。
しかし、一人称で、内側からは、人の全てを
多分体験できてしまうのだ。
なんということだ・・・。
・・・
毎週出張に行ってしまうので、夜はおじょうさんとFaceTimeで
ちょっと遊びます^^
SEトレーニングで札幌に通っていた頃を思い出す。
きっと彼女の意識には、
母とはしょっちゅう勉強で家を空けるもの、
という信念が植え付けられていっている事でしょうw
そういうもん、という前提で生きるもよし、
寂しかったから私はそうはならない、と反面教師にして生きるもよし、
どうか好きに生きてくれ。
たくさんリクエストを頂いていたクラニオのワークショップ、オンラインで開催します。
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オガサワラカズハ研究生活応援マガジン
ボディーワーカーをしつつ、尽きることのない人の「心と身体」への興味に突き動かされ、東北大学医学部大学院で「拡張した心」をテーマとする研究生…
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