アセクシュアルの私が恋愛をしようと思ったときの話
アロマンティック・アセクシュアルを自認している私ですが、実は結構最近まで「恋愛しよう」と頑張っていました。理由は細かく話すと色々ありますが、大雑把にまとめると「普通」になりたかったんです。
結果から言うと、めちゃくちゃしんどかったので止めました(笑)ただ、恋愛しようと頑張って得たものもあったと思います。今回は、アロマンティック・アセクシュアルの私が、恋愛しようと頑張ったときのお話をしようと思います。
地方では「普通」じゃないと排除される
私が恋愛をしようと初めて頑張ったのは、29歳の時です。そのときはアロマンティック・アセクシュアルという言葉も知らなかったのですが、ただ自分が「普通じゃない」ことは分かっていました。前記事で書きましたが、私はずっと自分のことを「人間の欠陥品」だと認識していたので、恋愛感情がないのもその一環でしかなく、別段不思議には思っていませんでした。
ただ29歳になると、地方では周囲が騒がしくなります。私は当時、少しずつイラストレーター・ライターとしての仕事をもらえるようになっていたので、そろそろフリーランスとして自由に働きたいと考えていました。ゆくゆくは地元からも仕事をもらえるようになりたいと思っていたこともあり、色んなところに顔を出して人脈を作っていました。そしてなぜか「女は結婚したいもの」という偏った価値観が「普通」で、相手をめちゃくちゃ紹介されるんです。
そうした中で「地方では自分たちと価値観の違う人は、徹底して排除されること」を知りました。私は都心からの仕事を請け負っていたこともあり、都心の人の論理的感覚が身についていました。なので、感情が先の話をする地方の方とは、さまざまな点でスピードも質も異なっていたんです。加えて「一生結婚するつもりはない」という発言。それが原因で、排除対象になることがありました。
そのときに「地方で仕事をもらうには、普通にならないとダメなんだ」と思いました。そして彼らの普通とは「フリーランス」なんてよく分からない業務形態のために一生懸命に人脈作りと営業をする人間じゃなく、恋愛して、結婚して、子供を産む29歳なんです。
恋愛すれば「愛」がわかるのでは?という徒爾
そんなときに、当時すごくお世話になっていた人から、男性を紹介されました。彼と付き合おうと考えた理由は3つあります。ひとつは先述した「普通」になって仕事をしやすくするため、ひとつはお世話になっていた人からの紹介だったので断りにくかったため。そして最後のひとつは「もしかしたら愛情が分かるかも」という淡い期待です。
当時はアロマンティック・アセクシュアルを知らなかったし、周囲も「恋愛は楽しい」とか「まだ好きな人に出会えてないだけ」とか言うので「もしかたらそうなのかもしれない」「もしかしたら私は欠陥品じゃないのかもしれない」という期待がありました。
そもそも私は、恋愛感情以外の「愛」もよく分かりません。家族愛とか兄弟愛とか、色々愛の形はあると思うのですが、私にとって人との関係性はすべて「ギブアンドテイク」です。相手が私を利用する、だから私も利用する。そういう関係性が1番落ち着きます。だから、私が役に立っていないのに何かをしてくれる人はすごく苦手です。その筆頭が「家族」で、私はずっと昔から彼らとは「血の繋がった他人」のような気がしていて、何の役にも立っていない。彼らの感覚からしたら私は排除対象のはずなのに、何かと私に構ってくるので何を考えているのか分からず、怖いなと感じています。
閑話休題。
そんな感じなので「誰かと付き合ったら愛情が分かるかも」という考えがありました。
結論から言うと、それは分からなかったし、全くの徒爾だったわけですが。
彼の考えていることが分からない
実際に彼氏を作って思ったのは「考えていることが分からない」でした。例を挙げると、
毎日の「今日何したメール」に何と回答してほしいのか分からない
デートの迎えやご飯のときにお金を出してくれるのに、何のためにそれをしてくれるのか分からない
私なんかの誕生日を祝いたい理由が分からない
記念日に一緒に過ごしたがる理由が分からない
などなど。私に何をしてほしいのかを口頭でも書面でも提示してこない。だから彼の要求に応えられていない気が常々していたし、要求に応えらない状態がすごく苦痛でした。そもそも愛情が分からない私の能力で、一般的な男性が求める「理想の彼女」を演じることができるのか。理想の彼女じゃない自分と一緒にいても、私は役に立たないよなと。何というか、家族と一緒にいるときのような、居心地の悪さを感じるようになりました。
それから連絡をシャットアウトするようになって、彼の顔と名前を忘れかけたころに自宅に突撃されて、別れることになりました。別れようと言われたときは、心底ほっとしました。
そのときに「本音を話してほしい」と言われたけど、こちとら本音なんて生まれてこの方話したことがないから、話し方がそもそも分からない。
最後の彼からの要求にも応えられなかったのだから、私はやはり彼にとって役に立たない人間だったんだろうと思います。
しんどいことをしないで良い
それから何度か合コンに呼んでもらったり、誘われたらデートに行ったりもしましたが、一挙手一投足に気を配って、自分は期待に応えられているのかを判断しなければならないので、とにかく疲れました。こんなにしんどいことを世の中の皆は楽しんでやってるなんて、やっぱりすげぇと思います。
ただ「多様性を認めよう」という風潮になってきて、私も自分を排除しない地方の人たちに出会ったことで「しんどいことを無理にしなくて良い」と思うようになりました。私を排除しなかった人たちは、私の能力を利用してくれるので、私も彼らを利用しながら生きています。お互いに何をしてほしいかが明確になっているので、一挙手一投足に気を配る必要もありません。
ただ、徒爾とは言いましたが、恋愛をしようと頑張って分かったこともあります。それは「相手の要求を聞き出すこと」です。
私は相手の要求が分からず、期待に応えられていないことが恐怖でした。でも私も聞かなかったんですよ。彼がすることに対して「私は何をしたら良いの?」って。
よくよく考えると、これって仕事では当たり前にしていることでした。ターゲットは?ペルソナは?伝えたいことは?なってほしい気持ちは?納期は?イラストもデザインもライティングも、これが分からないと作れないので、仕事するときには必ず聞き出します。なのに私は、これと同じことをしなかったんです。そりゃ、何も作れないはずだと気付きました。
ただ、こんな仕事みたいなことを恋愛でやったら、すごい嫌がられる気もしますね(笑)恋愛って普通は感情が先に来るものだろうし、こういう論理が先に立つのは嫌われるだろうな。
最後に
今はしんどいと感じた恋愛をすっぱりやめたので、すごく楽に生きられています。これは「アロマンティック・アセクシュアル」という言葉を知って、自分がそういう生き物であるという「分類」をされたことも非常に大きいと思います。
最後に、ある人に言われて、真理だと思った言葉で締めさせていただきます。
「恋愛してる人は、そうしないとひとりになっちゃうから恋愛してるんだよ。一葉さんは仕事とかファンとか歴女友達とか、すごくたくさんの人と関わってるでしょ。だから恋愛しなくてもひとりじゃないし、寂しいなんて感じないんだよ。ただひとりのパートナーに頼らなくても、周りに人がいるんだもん。それって恋愛することより、ずっと幸せなことだよ」
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