優雅ですばらしき殺戮
ぼくが思うに、「殺戮」という行為は人類種にとって欠かすことができない要素だ。
ムラ社会だったころの生存圏と糧食を確保するための戦いから、イデオロギーの摩擦により起こった国家間の戦争。日常に溢れた殺人事件の数。異なるコミュニティの断絶を、ソーシャルメディアが壊したことで生じる無自覚な殺意。
そんなものを超えて、ぼくの心を捉えて離さない殺戮行為がある。
熱した鉄板、鈍く輝くナイフ、デロリとした肉にグチャグチャにされたモノ。
フライパンにバターをひいて、卵を割り入れる。
鶏の、形をなさない赤子が殻からぬるりと産まれ落ち、じゅうじゅうと身を焦がされてゆく。
豚の体を切り刻み、塩漬けにした肉にナイフを入れる。プツリと赤身に鈍く光る刃が食い込み、ぬちゅぬちゅした脂身を裂いて、べたりとした肉をまな板に横たわらせる。
フライパンに肉を入れる。肉からまるで鮮血のように脂が染みだし、パチパチとはぜる。断末魔の悲鳴のようなそれを楽しみ、肉の焼けるにおいを鼻一杯に吸い込む。
豚の死骸が焼けて、その肉に宿る魂が扁桃体に突き刺さる感覚を覚えて、吐き出した吐息は喜悦に震えた。
掌ほどの大きさをした食パンをトースターにセットする。小麦たちを粉になるまで擦り殺して、その死体の塊が焼けて、香ばしいにおいを発している。トースターの駆動音は、まるでその小麦たちが歯を食い縛って痛みに耐えている悲鳴のようで、とても癒される。
白身が濁り、固まってきた。ふちがカリカリにやけた肉と一緒に皿へ移し、塩と胡椒を。
同時に、弔鐘のごとくトースターから「チン!」と音が鳴る。パンは黄金色の焼き目を施され、怨念のように白い煙を漂わせている。
洗っておいた野菜を皿に盛る。レタスの葉は、レタスからしたら皮のようなものだろうか。──彼、もしくは彼女の皮を剥ぎ取り、陶器の白へ緑の彩りを与える。
──ぼくは、この優雅な殺戮が好きだ。
生存というエゴを満たすために、命ある生き物を殺し、遺体を辱しめ、噛み締める。
法に触れず、楽しくて、美しい。
パンにバターを塗って、蕩ける様を見ながら、卵にナイフを入れる。黄身が臓物のようにこぼれる。かわいらしい雛にすらなれず、生命のかたちすら喪って、ただ重力のなすがまま攪拌されてゆく生命を思うと、うれしさと罪悪感が込み上げる。
焼けた肉は歯が触れると、カリッとした軽い抵抗の後に、香ばしさが鼻に抜けて、舌に脂の甘さと肉の柔らかさがまとわりつく。よく噛んで、喪われた命に思いを馳せる。
バターが生地に染み込んで、より黄金に輝くパンを口にする。サクリと軽い音。唾液にバターの塩気がにじみ、ふんわり香る小麦の焼死体と、やわらかな風味が口内に満ちて──嚥下する。
水の雫が浮かぶサラダのミニトマト。口のなかで転がして、プチリと噛み潰す。目玉を噛み潰すと、こんな感じだろうか?微かな酸味と、甘い果汁、グチャグチャのトマトの死体を舌触りで楽しむ。
満足感で圧迫された胸を楽にするため、一息つく。
無機質な皿によこたわる、かつて命だったもの。生存の為だとか、そういう理屈を抜きにして命を消費したという事実と、皿の脂や白身の欠片、わずかなパン屑に、野菜の水分と混じりあったドレッシング溜まり──優雅な殺戮の残骸がたまらなく愛おしい。
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お昼休みのランチタイムは何よりも素晴らしい時間だ。
今日は顧客の長電話に捕まり辟易としていたが、最終的には「ありがとう」と、感謝のことばを頂けた。
個人的には、誰かの助けになれる仕事をして、お金をもらえる──。これが人間にとってよい仕事だと思う。実際むずかしいけど「やりがいのある仕事」よりは「仕事にやりがいを見出だす」ことが大事だ。
職場地下のサラダ専門店。其所のチキンサラダにチーズとローストナッツ、雑穀米のオプションをつけて、醤油をベースにしたドレッシングで頂くのが楽しみだ。毎日飽きが来ない。
プラスチックの半透明な器に、切り刻まれた鶏と野菜、焼き殺されたナッツに、蒸し殺された稲の赤ん坊と豆の死骸が攪拌され、死に化粧のようにパルメザンチーズがかかっていて、とてもきれいだ。
切っ先の割れたスプーンで雑穀米をすくい、丁寧に、丁寧に、噛み潰す。時折混ざる雑穀がアクセントになり、小さい子どもを歯で擂り潰しているような気分が味わえる。
香ばしいナッツは、骨を砕く錯覚を与えてくれる。荼毘に臥された木の実の死体だ。そういえば、某が子供の睾丸をナッツに例えていたことを思い出した。
野菜と一緒に鶏の肉を食べる。丁寧に肉を削ぎ落とされ、軟らかな部分をフレッシュな菜っ葉と味わえる贅沢。あっさりとしたドレッシングの塩気が、さらに食欲を刺激した。
デスクから窓の彼方──日々の糧を得ることが難しく、飢えに苦しむ国のこどもに思いをはせる。
彼等にも、この殺戮の素晴らしさを知って貰いたい。アリの脚を捥いだときや、カエルの腸に爆竹を差して破裂させたときの、あの無惨な行いを、自らが行ったという楽しさ。いのちを玩ぶという、知的生命体の特権を。
死体を彩り、魂を冒涜し、余さず喰らうという優越を。
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仕事を定時に片付けて、足早に職場から去る。優先度の低い案件がいくらかあるが──それは、明日のぼくに頑張ってもらえば良い。
ぼくには今宵、使命があるのだ。
待ち合わせ場所に付き、身嗜みを再度チェックする。胸に差したチーフを麻の白から、シルクの深紅へ差し換える。
約束の時間丁度に、彼女は現れた。軟らかなクリーム色のアウターに、深い青のドレス。暗い栗色の髪は夜景の光を照り返し、琥珀色に輝く。
友人とはいえ、女性をもてなすのであれば最低限の身嗜みは整えなければならない。彼女にも、これから食する死体にも非礼がないように。
ぼくと彼女は、店への道すがら他愛のない話を繰り返した。服の話、週末の予定、それから──料理。
彼女は簡素な自炊から、手の込んだものに挑戦したいという。透き通るような彼女の指が、死で汚れることになりとても嬉しい。
命を頂くことを強く認識できる料理はいい──と、ぼくは言った。
生命の価値が等価だとして、その命を、未来を、一方的に奪い、魂の尊厳を陵辱し、遺骸を好き勝手にいじくり回し、形すら残さず喰らい尽くす。
自分以外の何かを貶めて、人間であることを再認識できる。
店に着いた。ドアを開けて、彼女を中に通す。ギャルソンが恭しく礼をし、席へと案内してくれた。
奥の、店内を見渡すことが出来る席。彼女の椅子をひいて座らせ、対面に座る。
ワイングラスに食前酒が注がれる。血のように赤黒いフルボディ。溌剌とした葡萄が踏み潰され、肉を、いのちを、もしかしたら怨嗟もぶちまけた、死肉の絞り汁。
お互いを労いながら、グラスのワインを飲む。爽やかな香りと強い風味。死が舌に、喉に絡み付き、熱さを伴って胃へと落ちる。
前菜は肉のパテ、サラダ、肉の切り落とし。
カトラリーで、死骸の成れの果てを切り刻む。細切れにされ、押し固められた肉は涙のようにホロホロと崩れる。フォークの背に乗せて、死に際の無念ごと噛み潰す。ジューシィな肉の風味と彩りのために切り刻まれた野菜の食感。グリーンレタスの剥ぎ取られた皮は噛む度に血のごとき水分が染みだす。
肉の切り落としは、じっくり低温で調理され、内蔵のようにかわいらしいピンク色になっていた。オリーブオイルがてらてらと、その肉を照らす。口に含めば、しっとりと解れてゆく。
次いで、スープ。濃い琥珀色の液体に切り刻まれた玉葱と、彩りのチャイブ。スプーンで掬い、口へ運ぶ。
香味野菜とスープに染みだした旨味、材料の苦痛や死への恐怖、ただこのエキスの為だけに使われた死体の無惨さが、心を暖めた。
彼女は目を閉じて、頬を緩ませてスープを堪能している。気に入ってくれたのだろうか。
メインディッシュ。
ローストされた肉に果実のジュレ・ソース。アロゼされた肉は、キャラメル状の脂でコーティングされ、削げた皮膚から覗く肉のように美しい桜色をしていた。果実を潰したソースは、煮凝りのようにひんやりと、プルプルしている。祖母が亡くなったときの、肌の冷たさと固さを思い出した。
カトラリーで肉を引き裂く。音も無く、人を刺したときのように呆気なく肉は切り分けられた。カトラリーに付いた脂が照明で煌めき、その一つ一つが魂の残滓のようにいとおしい。
彼女も肉を口に運ぶ、形の良いふっくらとした厚い唇が開かれ、唾液でぬらぬらした舌が肉と絡み合い、その屍から染みだすであろう魂の残滓や、死の痕跡と混じり合い、再び丹念に殺すように、口内で噛み合わせ、胃へと運び込んだ。
死を取り込んだ彼女の頬はわずかに紅潮し、ココア色のアイパウダーで彩られ、形を強調した眼は弓なりに上擦った。
あらゆる芸術よりも美しく冒涜的な饗宴を見ながら、食事に至れることのなんと幸せなことか。
ぼくも肉を口に運ぶ。ひんやりとした死の冷たさと同時に、肉から溢れだす死、死、死。ジュレの甘さは、肉とその血の塩気を引き立てつつ、酸味で食欲を刺激する。
ぐにぐにと、死体を噛み締めると、悲鳴や怨嗟が香りのように脳までのぼってくるようだ。
他の席でも、魚や肉の死骸が切り刻まれ、思い思いに冒涜され、その魂の残滓を、生命の尊厳を消費されている。
顔も知らない誰かと、ぼくは死で繋がっている。
葡萄の死骸の汁で満たされたグラスを口にし、喉で断末魔を楽しむ。
彼女はぼくに微笑みかけた。
「命を頂くって、"たのしい"ですね」
「そうですね」
【終】