【ツイート転載】サブカルチャー左派の諦念の正体(2024.03.17)
まあ基本的に、市民による相互扶助みたいな意味での「社会」が、おそらくどの先進国よりも激しく壊滅している国なんだろなと。あらゆる立場が互いに腹の底で憎み合ってんの。どうしようもないすね。
— 前Q(前田久) (@maeQ) March 17, 2024
正直、《どうしようもないすね》という意見表明には怒りを覚えます。もちろんあとのツイートで《自分の手の届く範囲でできることはやってみる》と書いているのは理解していますが、それでもそんな投げやりな意見を表明するのは社会人としての責任放棄ではないのかと思います。
最近思うのが、ここ5年くらいで目立ってきた、主として私と同年代~直上くらいの年齢の、「普通の日本人」と呼ばれる存在に対する敵意です。とりわけ“オタク”文化圏のサブカルチャー左派に多い。その原因は2002年と2012年の若者論にあると思います。
2002年の若者論とは、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』。一部のユースカルチャーと国粋主義をまさに「屈託なく」結びつけた同書は、その議論の粗雑さへの批判はほとんどなく「若者の右傾化」を過剰に煽る傾向のさきがけとなりました。
そして2012年の衆院選の後に出た斎藤環の「自民党=ヤンキー政党」論。これによって「オタク」を自称するリベラル層は自分たちとは違う「ヤンキー」文化によって自分たちの実存や生存が脅かされると考えるようになりました。
かつて私が書いた文章を掲載しますが、元々「ヤンキー」論は、“オタク”系の論客によって「あいつらは“言葉”を持たないから自分たちが意味づけしてやる」「俺は他の論客とは違い“常民”としての“ヤンキー”を論ずることができるから偉いんだ」みたいな差別的なものでした。
政治的立ち位置の如何を問わず、“オタク”文化圏において“ヤンキー”や“リア充”、“ウェイ”などと呼ばれるユースカルチャーは差別的に扱われています。その差別性に、右派だけでなく多くのサブカルチャー左派も気付かず、むしろ政権批判のために正当化している。そういった、“オタク”文化圏における「自分たち」の「外側」に対する差別意識が、近年サブカルチャー左派における内輪のコミュニケーションとしての「普通の日本人」に対する諦念や被害者意識になっていると思います。