【ツイート転載】左派から若者を引き離す/若者から左派を引き離すものは誰か:檜田相一「日本の社会運動はなぜ老人ばかりなのか」への疑問(2024.11.01)

https://note.com/facies/n/n8aa8a0d96400

読んだのですが、正直どっかの社会学チックな若者論で見たような議論で、正直、「劣化言説の時代」以降の「社会意識の高い」若年エリート層に見られる、劣化言説に従順な人間の限界だと感じました。そもそもわが国において私が若かった頃よりも、特にSEALDs以降は若い世代の社会運動は活発だと思います。もしかしたらSNSで可視化されるようになっただけかもしれませんが、それでも環境、反戦、ジェンダーなどの運動が散発的かもしれませんがあります。むしろ上の世代の方にそれを盛り上げようとする気概がないと思います。

私は主として2000年以降、主としてネット右派層と「若手論客」による「若者を左派から引き離そうとする運動」と、主としてサブカルチャー左派層による「左派から若者を引き離そうとする運動」があると考えています。ちなみに「若者を左派から引き離そうとする運動」「左派を若者から切り離そうとする運動」という表現は、富永京子氏の「しらけさせようとする運動」という表現を参考にしています。

まず前者は、ネットの右傾文化や、「イデオロギーフリー」を礼讃しつつ実際はリベラルな社会運動ばかりを「イデオロギー的」と揶揄するような言説、そしてロスジェネ論による「左派=高齢者」「自分たちこそが「正しいリベラル」」みたいなアンチレフト扇動がありました。

一方後者は、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』に見られるようないわゆる「若者文化」に対して(難癖としか言い様がない形で)自民党政権や小泉純一郎的なものにこじつける議論が展開されました。そして2005年のいわゆる郵政選挙と、その直後に出た三浦展『下流社会』によって、上の世代とは全く違った文化で育った若い世代が危険な政治的動きを支持する、という見方が香山や大塚英志、大塚の弟子筋の荷宮和子などといったサブカルチャー左派層から「輸出」されました。そういった中で、右からは「左派は若者の敵」、左からは「若者は左派の敵」という文化が勃興し、若い世代がリベラル的なことを言うことが憚られるようになったのではないかと思います。

さらに左派においてはその「病状」がさらに深化し、ついに若い世代によるリベラルな社会運動どころか、「若者を一括りにするな」という若年者として(というか人間として)当たり前の要求すら拒絶するようになりました。若い世代の環境運動を矮小化した白石草や北守(藤崎剛人)、とある左派論客が娘の「若者は政治に無関心と一括りにしないでほしい」という発言を紹介したことに対して「Z世代幻想」と言い放ったLhasaなどがそれに該当します。

そもそもわが国において「若者」特に「Z世代」という存在はリベラルな社会運動をしないと思われていますし、したら全力で不可視化されます。むしろリベラルな若い世代が「いないことにされている」ことこそが最大の問題だと最近は思っています。

冒頭のツイートの檜田相一氏とか、あるいは金澤伶氏とか、あるいはいわゆるヤジポイ裁判の原告の青年などはいくら知名度が上がったとしても「Z世代代表」としては扱われないでしょう(これは正しいこと)。他方で先日の衆院選で比例復活した大空幸星は容易に「Z世代代表」の地位を容易に手にしました。これは自民党やマスコミがそのように演出したと言うよりも、左右の求める「若者」ないし「Z世代」像に合致したからだと言えます。いまや「Z世代」は様々な差別意識を入れて、右派は左派、左派は若年層を差別するための概念に堕しています。

特に左派においては「若者の問題は若者でなんとかしろ」と考える上の世代が多いように見えますが、自分たちが若い世代よりも権力を持ち、また若い世代に影響をもたらす存在であることに無頓着な気がします。そして若いリベラル層も若い世代を抑圧するためのツールとしての若者論に従順である必要はないと思いますが、だからこそ若者論批判こそ年長者の役目であると私は思っています。

参考


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