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精彩はじめました

野球と精彩

新聞などで野球に関する記事ではよく「精彩を欠く」という言葉が使われている。守備でエラーが重なったり、打者の打線が繋がらなかったり、投手が四球を連発したりして大量失点最小得点。

ほんとうにこういう試合を見ているとなんとなくぼんやりとして、
心はまったく動かず観ているほうも眠くなります。

いわゆる「活気にあふれた感じがない」という意味合い

ではそもそもの「精彩」の意味合いとは

せいさい【精彩・生彩】

  1. 生き生きと元気な様子。力にあふれてあざやかな様子。

    1.  「―を放つ」

そんな私にとっての精彩の抽象的なイメージがあって

  • 精彩=色とりどり フルカラー

  • 精彩を欠く=色を失う モノクロ

ここで一旦野球の話に戻すけれど 私が野球が好きな理由は
「コンテンツ性」が多様に含まれているから。

私は野球にはまる以前から好きなものは映画ドラマ小説アニメ音楽、
いわゆる「コンテンツ」が好きな自称サブカル女です。
(自分で言うこの羞恥心)

野球はそんな私の好きなものをすべて取りそろえたかのような
すべてのコンテンツ性を含んだスポーツだな、とおもっています。

ただし今回のお話の「コンテンツ性」としては
『映画』『ドラマ』を総称したもの。

・天王山をかけた試合はプレイボールの瞬間から9回守護神登場までは時間単位としてひとつの「映画」だし
・大きなケガをした選手がリハビリを経てサヨナラを放てば場面として「ドラマ」だし
・球団創設から「●年ぶりの優勝!」なんて流れは血が流れ続ける「大河ドラマ」だ(むしろジョジョ)


「値千金の一打」「勝負をかけたウイニングショット」
明日の首位をかけるような大事な場面で
もしくはその選手の進退が、人生が決まる大事な場面で
このような「精彩を放つ」シーンを目にするとテレビ画面越しに
人工芝の緑が、ロジンの粉が空気に舞う白が、観客席の色とりどりが、打席に立つ選手の金のネックレスが、
より彩度が高くキラキラと感じて見えてくる気がするんです。


まさに「精彩を放っている」=「より色が際立って見える」
それはまさに力にあふれてあざやかな様子。
そしてそんな瞬間にリアルタイムで立ち会ったとき、ただ他人が野球をしているのを見ているだけなのに自分の心が弾むように満ちていきます。


リアルタイムでなくとも、積み重なった歴史はノンフィクションの映画のようなもので。たとえ映像がモノクロでも、その試合や選手の輝かしい歴史は
生き生きと「色」を感じる。そしてその色で感動する。
だから野球観戦はやめられない。

だからこそ「精彩が放たれていない」試合や選手へ「精彩を欠く」という言葉を
つかうのはとてもしっくりくる。すばらしい感性だなとおもう。
精彩を欠いていたからこそ、精彩を放った瞬間の対比が美しいんだよね。

野球界で「精彩を欠く」という言葉を最初に使ったのは誰なんだろうな。
今度調べてみよう


前置き長くなったけれどnote始めた理由


私は小野一絵といいます。34歳。女です。

これから、このnoteで、いろいろ今までのことを話したいなと思っていますが
とりあず至急このノートを始めた理由は「今の私の心」を書き留めておきたいから。

「今の私の心」を書き留めたくなった経緯は
(お恥ずかしい言葉選びになっちゃうんだけど)
今、我が心が「精彩」を取り戻したから。

写真に例えて今までの10年を振り返ると

「構図はいいけど色味が悪い写真」って感じ。

構図=私が体験した出来事

体験した出来事=構図は(うぬぼれだけれど)本当に美しい。
その出来事を体験させてくれた方々にも本当に感謝をしているし
その出来事を体験することができた自分にも大きく拍手をおくりたい。
私の10年間の写真はめちゃくちゃ構図はいいです(笑)

でも、色味がねぇ。色味がよくないのよ。
精彩を欠いた理由としては10年ほど「なんとなくぼんやり生きてしまった」
そんなために、つい先日まで私の心自体が「精彩を欠いていた」

自分でいうのもおこがましいけれど、10代から20代前半は
誰よりも心に精彩があった自信があった。
あのころ感じていたこと、感動したことはずっと
色をもって覚えている。(今でもその色にすがってるところもある)

とどのつまり昔は物事を色とりどりに印刷できていた。
だけれどこの10年の私の心は、モノクロまでは至らないけれど
インクが残り少ないプリンターで印刷した写真みたいに
なんとなく薄い色でしか物事を現像できていなかった気がするの。
せっかく、構図はいいんだけどね(笑)

そんなわけで精彩を欠いていた私の心では
(超はずかしいけど)
『風吹かない夏の動かない葉っぱの緑』とか
『新米は白くてツヤツヤしてる』
『新札の1000円札の裏だけはかっこいい青』
こういう、とりとめもない瞬間が綺麗な色で印刷できていなかったなぁとおもうわけです。

でも最近なんとなく、心のインクが補充されている感じというか
ああこれが「精彩」ってやつかって感じで
今なら、ありのままに日々あったこと過去あったこと大事なことを
文章で色とりどりに書き留めておけるような気がしてきているんです。

で、なんで今更「精彩」を取り戻したのよさ?
それはいつかおいおい。


今日のあとがき

私は宮崎でラジオのパーソナリティをしています。
34歳独身宮崎市在住。それと同時にヘルプデスクの仕事もしています。
(私のあれやらこれやらはおいおい書かせていただきます)

だからここで書き留めることはなるだけ出演させていただいている番組の
迷惑にならない範囲で生活のありのままの私を書き留めるつもりです。

本当は自分のラジオ番組で、私の声で、生活の精彩を放ち、
皆様にお届けするべきなのですが….

たぶんまだ自分の番組」を持てるようになるには時間が必要だとおもっています
(なんなら今出させてもらっている番組だっていつ契約が….!)

今私が持っている「精彩」は恐らく瞬発的・揮発的なものなのです。
未来の時には揮発して
「これなんの写真やねん」
状態になっている可能性ありなんですよね(笑)

なので今を書き留めておきたい
(言い訳:脳のSDDが小さいからすぐ忘れちゃうし
あと脳のCPUも格安だから取捨選択も難しいし)

そのうえで

ラジオでのお仕事は100人いらっしゃれば
100人の人に伝わるように邁進いたしますが

ここので書き連ねるお話は100人いるなかの5人の人の目にふと留まり、
ふとした瞬間に「あ、あの時の色だ」みたいな感じで思い出していただけるような、そんなわたしの生活の中の「精彩」が放てる場所になればいいなぁと希望的観測をもっております。おこがましくもすみません。

とどのつまり感覚的に文章を書くので読みづらい、ということです(笑)
感じられる人は感じてください(お願い)

さいごのさいごに

精彩を取り戻した私が今日(昨晩)印刷したかったこと
・秋の空気な。ふりそそぐ太陽の光はまだ暑いけど、遠くキリシマの山から吹いてくる風が涼しくなったのを鼻で感じて、なんとなくものさみしい。
これはDNAにインプットされてるから?!
・昨夜満月のあとの影響か眠れなくてタバコでも吸おうと思ったらタバコが切れて買いに行くか近所のコンビニついでに夜景綺麗だし夜景でもみながらタバコ吸うか~って思ってたらその場所で先客のオジサンが酒をかっくらってた。たぶんこのオジサンも満月の影響で眠れないんだろうな。
・尾崎放哉の好きな一句「なんと丸い月が出たよ窓」は昨日で終了です。
・糖尿病予備軍のオヤジvsコーラは悪魔の飲み物派閥のオカン
 節制していたオヤジがコーラを久しぶりに飲んでる姿みてオカンブチ切れ
 ブチ切れている最中に広島坂倉ホームラン、家庭のピリツキMAX
 そんななか現れた救世主おれたちの未来「浅野翔吾」の値千金タイムリーで
 何もなかったような平穏を手に入れた我が家
・やっぱり岡本和真のホームランは精彩を放つよ!最高です!
 




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