
忘れないね
森でのコンサートを控えた
きらきらと小雨降る夏の朝だった。
「 雨だから きょうはいいかしら?
でも ね。 」
毎朝 欠かすことのないお掃除と見回りをするために りるは外に出た。
「 ほら こんなところに 葉っぱさん。 」
コンクリートのうえの 一枚の葉っぱをひろおうとした そのとき。
「 えっ? あっ! 」
そこにいたのは きれいなみどりのちいさなかえるだった。
バレエ教室のドアに向かって にっこりと微笑んでいる。
「 あなたは ほんもの?
それとも お人形さん? 」
ぴくりともせずにいる
わずか親指ほどのちいさなかえるを
りるは じっと覗き込み
「 ほんとうのかえるさんなのね。
ラ・プリマヴェーラへようこそ。
わたしたちを助けに来てくれたの? 」
かえるは すこしも驚く様子もなく
穏やかな笑みを浮かべ 悠々とそこにいる。

森でのはじめてのコンサートが決まってからというもの
りるは毎日のように〈 ひかりの野原の物語 〉に出演する
ちいさなバレリーナたちに
「 みんなで 自然にかえろうね。
我にかえる ほんとうの自分にかえるのょ。 」
そう くり返しくり返し 伝え続けてきたのだ。
「 ありがとうね。
でも ちいさなからだで
ここへ来るのは たいへんだったでしょ。 」
バレエ教室は 鎮守の森のすぐ近くにあったが
ここへ来るには 朝から夜まで車の往来の激しい
ひろく大きな道路を渡らなければならなかった。
「 危険を冒してまで 来てくださるなんて。 」
りるは 身の引き締まる想いがした。
森でのコンサートには いくつかの不安もあった。
雨が降るかもしれないし 雷が落ちることも。
足元には 安心できる平な床もない。
「 もしも お客さまが
ずぶ濡れになってしまったら どうしましょう。 」
けれど ちいさなかえるは 勇敢にも ここへ来て
しかも 怖がりもせず 悠然と 微笑みを絶やさずにいる。
「 わたしもかえるさんをお手本に しっかりしなくちゃね。 」

「 こんにちは!
可愛いおともだちに会えたかしら? 」
バレリーナたちが 教室のドアを開けるたびに
りるは そう問いかけたが
かえるの存在に気づいたバレリーナは だれもいなかった。
「 あんなにきれいなみどりのかえるさんなのに
どうして 氣がつかないのかしら ? 」
そのたびに どこかへいってしまったのかしらと
ドアの外を恐る恐るのぞくのだが
かえるはどこにゆく様子もなく ゆったりとそこにいて
夕方 お稽古を終えたバレリーナたちが
帰ろうと教室から外へ出たときに
驚いたのか
かろやかなジャンプをみせ
お花畑にとびこんでいってしまったらしい。
「 また来てくれるかしら? 」
まるで おひさまが
抱きしめてくれているかのような暑い夏だった。
「 一日中あそこにいて かえるさん
きっと暑かったでしょうね。
コンサートの日も すごく暑いはず。
みんなはだいじょうぶ?
かえるさんみたいに にっこりと
天からのお仕事をできるかしら? 」

森のなかで 花になり ことりになり ひかりと風に舞うゆめは
ちいさなバレリーナたちの頬をばら色に染めていたが
りるには 氣になっているひとりの少女がいた。
笑顔はなく からだも重く こころをつなごうとはしない。
おどりは こころを隠せない。
「 なにか あったのかしら?
わたしは どうしたらよいのかしら ? 」
ある日 お稽古を終え 彼女を見送るために
一緒に外に出たりるは 星空をみあげながら
「 いのちは みんな美しいの。
ひともね みんなそれぞれに
そのひとにしかない美しさ
きらきらを天からお与えいただいているのょ。
どんなときにも あなたのきらきらをたいせつにね。 」
そう言って 見送り
教室に戻ろうと振り返ると そこには
まるで ふたりを見守ってくれていたかのように
あのかえるがちょこんと座っていた。
「 かえるさん こんな遅くに
もしかしたら 彼女を助けに来てくれたの? 」
次のお稽古の日 少女は いつもより かろやかにみえた
「 そう 風はね みんなを応援しているの。
みえなくても 想いはちゃんと伝わるはず。 」
少女の役は風だった。
みんなにしあわせをはこぶ ゆうきいろの風。
「 まさか きょうは 来ていないよね。」
少女を見送りながら
それでも なにか氣になって
りるは ふと
建物の脇のほうを覘いた。
ぴょん!
そこにいたのは まちがいなく
あの優しいかえるさんだった。
「 ありがとう 来てくれていたんだね。
彼女は きっとだいじょうぶょ。 」

コンサートの日 森には恵みの雨が激しく降った。
ところが 不思議なことに 物語がはじまると
しだいにおひさまが顔をだし 空にはまぁるい虹。
想い描いていた奇跡に みんなの心は ひかりの野原になっていた。

コンサートが終わって数日後
少女は閉ざしていたドアを開け すべてを打ち明けてくれた。
「 わたし 学校で嫌がらせを受けていました。
なかまはずれで ひとりぼっちでした。 」
だれにも言えずに ひとり孤独に耐えていた少女は
ひかりの野原の一員として 優しい笑みを浮かべ
しあわせをはこぶ 美しい風になっていた。
「 ねぇ かえるさん。
あなたは どんな魔法をかけてくれたの。
天と どんなお約束があったのかしら ?
ありがとう!
忘れないね
あなたの微笑み あなたの愛を。
忘れないね
あなたとわたしたちの
ひかりの野原の物語を 」

わたしたちは みな
たがいに しあわせをはこびあうために
ここにいると信じます
あなたと空のあいだ
あなたと大地のあいだ
あなたとわたしのあいだ
あなたとすべてのあいだに
愛しかない
ひかりの野原を創造することこそ
わたしたちの
最高のお仕事だと信じます
最後まで
ともに
ひかりの野原の物語を紡いでくださり
ありがとうございました
あなたのはこばれる
ひとつのしあわせが
いくつものしあわせに
どこまでも
つながってゆきますように
愛をこめて
宮下 和江