イヤイヤ期 その次きたのは?
写真は、サイズ違いの同じ長靴。
1歳半の頃、なぜか長靴しか履かなくなり、
数ヶ月に渡って長靴生活をしていました。
成長著しい時期。
そのままサイズが小さくなってもそれしか履かない。
違う長靴を与えてもダメ。
仕方なく、同じ柄のワンサイズ大きい長ぐつを与えると
ようやく履き替えてくれました。
数ヶ月が過ぎたある日、
突然、自分から普通の靴を履いてそのまま収束。
なんだったんだろう?
さて、
「自分でしたい」がイヤイヤ期の特徴ともいわれますが、
私は「したいなら自分ですれば」と、結構のんびり。
そして、その結果、何かがぐちゃぐちゃになっても、
服がちぐはぐになっても「ま、いっか」とすぐに諦めモード。
だから、数ヶ月、快晴でも長靴、
おかあさんといっしょファミリーコンサートに出かけた時も
よそ行きワンピース、に長靴(笑)
ま、いっか。
です。
さて、
イヤイヤ期は「 自我の芽生え」?
そうなんでしょうか?
自我って本当にイヤイヤ期に芽生えるのかなぁ?
元々あったんじゃないかなぁ?
ん?
自我ってなんだ?
調べ始めると混乱してきた。
ま、いっか。
一般的には
「イヤイヤ期は自我の芽生え」ということを
自分の意思が出て来たという意味で使われているのかな?
そうだとしたら、
私は、本当に自我が芽生えるのはこの時期なのかなぁ?
と思ってしまいます。
なぜなら、芽生えるも何も、
生まれた直後から「自我」があるように感じたから。
泣くことしかできなくても、はっきりと「不快」や「不満」を伝えてくる。
うちは、とにかくよく泣く赤ちゃんで、寝ない子でした。
観察していると、赤ちゃんの頃は、
ただ「不快」「不満」を泣いて伝えてきているようでしたが、
1歳くらいからでしょうか、
「なぜ不快なのか」「なにが不満なのか」
理由を伝えてきているように感じました。
それが顕著になってきたのが1歳半くらい。
少しずつ言葉が出るようになって、
不快や不満の理由を大人が汲み取れる量が格段に上がってくると
少しずつ泣いている時間が減っていきました。
ところが、またしばらくすると、
言葉を使って伝えられることも増えた分、
まだ使いきれなくて、伝わらないことが多いということに不満が増えてきたようで、
今度は以前にも増して「不満全開」で力強く訴え泣くようになりました。
体力もついて抵抗できるようになって、
伝えられないことに対する不満を爆発させている感じで、
「これがイヤイヤ期の始まりか」と対処にヘトヘトになりました。
それからまた、2歳近くなって言葉も増えてくると、
こちらが汲み取れることも多くなり、
1歳過ぎの「イヤイヤ期」頃よりは落ち着いたものの…
次にやってきたのは、
「チガウチガウ期」
でした。
こちらがちゃんと理解できないことへの不満。
まだ表現できることが少ないことへの不満。
とにかく違うの!そうじゃないの!という不満を
「チ〜ガ〜ウ!チ〜ガ〜ウ!」と、ぶつけてきます。
そうなると、私の頭の中は連想ゲーム状態です。
少ない言葉で、しかも違う意味で使っている言葉も多い中で
想像力と推理力を駆使して、
何が言いたいのかを考えます。
そして、こちらが正しい答えをみつけたとき、
どんなにあばれて泣いていても、
すーっと落ち着きを取り戻すのです。
ああ、伝わらないことへの不満だったんだなと、安心しながらも
「伝わらない」ということは
暴れるほどの大きな不満なのだと思いました。
私たち大人も、我慢やあきらめを学んだだけで、
「伝わらない」不満は暴れるほど大きいのかもしれません。
少し話がそれましたが、
この「チガウチガウ期」には、
こちらも随分と対処法を学び、推理力と想像力が鍛えられました。
それでも、子どもは変化します。
私が「チガウチガウ期」の対処に慣れてきた頃、
あらたに始まったのは
「でもね〜期」
ずいぶんしっかりとおしゃべりできるようになって、
意思疎通できる情報量も増えたけれど、
今度は、指示に従うのがイヤだと反抗する時期がきて、伝えようとしていることを「わかってやる」だけでは納得しなくなりました。
「お風呂に入ろう」「でもね〜たべるの」
「くつはこう」「でもね〜これいや」
とにかく反抗したい。
これぞ「ザ・第1次反抗期」
「でもね〜」については、子どもが「でもね〜」というたびに
「あ、でもね〜先生がやってきた?どこどこ〜?」などととぼけていると、ケラケラ笑って、
それをしばらく繰り返しているうちに言わなくなりました。
その後は、言葉の問題というより、
体の成長の不快感なのか、
環境の変化への不安感なのか、
言葉では、本人もこちらも説明できないような対処するのがしんどい
「意味不明な大泣きパニック期」
を経て、
今、
「だけどね〜期」
に入りました。
「車が来て危ないからこっち来て」「だけどね〜」
「滑るから手をつなごう」「だけどね〜」
なんでもかんでも、私がなにか言うたびに
第一声は「だけどね〜」です。
言っていることはささいなことなんですが、
何でもかんでも逆説の接続詞で返されると、
相手が3歳児でも、本気でカチンときてしまいます。
これが大人なら・・・ぞっとします。
時々いますね。
なんでも逆説の接続詞から話し始める人。
「でも、そういえば」
「しかし、あれよねぇ」
「だけど、そうそう」
逆説の接続詞を使っていながら
直前の発言に対して逆のことは言っていない人。
自分の話の中で、話題転換で逆説の接続詞を使うのはまだ良いとしても、
話を逆説で始められると、
全く無関係の話が展開されたとしても
聞いている方は身構えます。
これから否定されるんだろうか?と。
気をつけよう。
現在3歳3ヶ月。
「だけどね〜期」のあとはどうなるかなぁ?