ちょっぴり切ないクリスマス
耳が聞こえる人の存在
私たち夫婦は耳が聞こえない
そして、手話を母語とする"ろう者"だ
耳が聞こえないのが当たり前だから
聞こえる人の世界ってどんなのか知らない
「ま、そやね、どこもかしこも音が溢れてんねん」
聞こえる人たちはそう言ってたけど
「音が溢れる」ってなんだろう
まあ、別にどうでもいいんだけどさ
生まれてきた子どもは聞こえる子どもだった
私の母方で遺伝性ろうの可能性がある家系だから
きっと生まれてくる子どもは"ろう"だろうね
いっぱい手話で話してあげなくちゃね
手話で最初に伝えるコトバは何しょうかな
そんなふうに私たちはまだ見ぬ我が子のことを
なんとなく「聞こえない赤ちゃん」だと確信していて
手話で話す未来の家族像を思い浮かべては
あれこれ楽しく語り合っていたんだ
やがて生まれてきた待望の赤ちゃんは
聞こえる赤ちゃんだった
看護師さんが嬉しそうに
「よかったですね、この子、聞こえてますよ」
になぜか胸がチクリとしたんだ
聞こえない私たちは、世間では
「よかった」とは言われない存在なのかな
改めて見えない社会の壁を感じたんだ
そうして
私にとって、初めて
家族の中に
"聞こえる人"
が存在したのだった
聞こえない生活が普通だった
特に私は親も"ろう"だったから
親子3人オール"ろう"で
聞こえない人が、普通に、営む
生活の中で、普通に、過ごして大きくなった
例えば、我が家には
テレビの音は常に0で
電話をかけることがないFAXがあり、
チャイムの代わりにピカピカ光るランプがあって
家族団欒は常に手話で、
手話で喧嘩するし
泣きながら手話もするし
内緒話が手話で丸見えだったりとか
お店への問い合わせに電話が出来なくて
直接チャリ飛ばして何度も往復したりとか
そういう生活の中で、
私は育った
そんな私に
聞こえる赤ちゃんが生まれた
きっと神様の思し召しかな
聞こえる生活ってこんなんだよ、って
味わせようとしたのかな
そう思うことにしたんだ
聞こえる文化を
私は、
子どもを通して
教わることになった
聞こえる人との生活は新鮮すぎて
聞こえる子どもは
吸収がはやい
聞こえない私たちとの生活と
保育園での聞こえる子どもたちとの生活と
行ったり来たりしていくうちに
おうちは声のない会話
おそとは声のある会話、と
自然とスイッチが入るみたいだった
聞こえる子どもがもたらす、
日々日々の聞こえる生活様式に
私たちは驚いたり、感心したり、
毎日が新鮮だった
へえ、聞こえる人ってこんな感じなんだ
子どもを通して色々学んだ
子どもは知らずのうちに
「雨きた!」「ピーポーピーポー!」
「おとん、おならしたー?」「コオロギの声!」
などと音の情報を伝えるようになった
これが、先頭の「音が溢れる」ということかと
初めて私たちは
知ったのだった
サンタさんとはお友達(嘘
子どもたちには、
「オカンさーサンタさんとは友達やねんでー」
「サンタさんとメル友やねん」
とチラつかせた上で
「さあー宿題はよやろな」
「さあーはよ寝ような」
「ええ子にしてたらサンタさんがプレゼント持ってきてくれんで〜」
「あんたらの欲しいもん、オカンがちゃんとサンタさんに伝えとくで〜」
この魔法の呪文は、
子どもたちにはよく効いた
毎年、この時期だけは
子どもたちは一生懸命に
宿題もやり
お手伝いもして
夜早く寝て
それも欲しいプレゼントのために
子どもたちは頑張った
もちろんプレゼントをこっそり手配するのは
私たち親なんだけど
そのこっそり手配、のために
あちこち駆けずり回った
当時はなかなか手に入らなかった
ニンテンドーのWiiが欲しいと
『サンタさんWiiがほしいです』
とお手紙をしたためた子どもに
なんてこと頼むねん!?と内心仰け反りつつも
Wiiを手に入れるためネットで情報を漁り、
やっと購入権を掴み取れたのは
クリスマスの三日前だった
大いなる大作戦
クリスマスイブは、子どもたちは
ソワソワして落ち着かない
「早く寝ないとサンタさん来ぉへんで」と
言ったらば、子どもたちは速攻ベッドへ潜り込んだ
ここからが、私たち親の出番
まず
音を立てない
これが意外と難しくて
自分たちは音が聞こえないから
こうすると音が立つからとか
全然わからないし
音を立てない行動がどういうものか
予想もつかないけれど
とにかく、こうしたら音はたてないだろう、という
私たちは計画をたてた
いかにバレずに二段ベッドに寝ている
子どもたちの枕元へプレゼントを置けるのか、
が最大のミッションで
私たち夫婦が立てた作戦は
①子ども部屋のドアをゆっくり開ける
ドアの音はどうやら聞こえる「らしく」て
ドアノブをそーーっとおろし
そーーーっとドアを開ける
これがまたとても緊張するミッションで
ドアの音が聞こえない私たちには
どう注意すれば良いのかさえも
わからないから
こうしたら聞こえない「だろう」という
憶測でしか動くしかないんだけど
②子どもたちが寝ているかどうか確認する
二段ベッドまでこっそり忍び込み、
子どもたちの鼻にそっと手の甲をかざす
鼻息が規則正しく自分の手の甲に
吹いていると感じたら爆睡のサイン
③枕元にプレゼントを静かに置く
クリスマス仕様に包装してもらった、
バカにでかいWiiの箱を
そーっと、そーっと、
上の子の枕元に、
リクエストとあったWiiのゲームソフトも
そーっと、そーっと、
下の子の枕元に、
何せクリスマス仕様だからラッピングがでかい
紙の音って聞こえる「らしい」
だから、ほんとうに
そーーーーーーっと、
枕元に置く
④子ども部屋の窓を少し開ける
いかにも「サンタさんが忍び込んだ」痕跡を
作るために、少し窓を開けておきたい
窓の鍵もガチャってきこえる「らしい」から
これも神経を尖らせながら、
静かに、静かに、
鍵を下ろして、
窓もそーっと、そーっと、
少しだけ開けて
いかにも、な痕跡を使った
さあ、これであとは
静かに退散するだけだ
これで大いなるミッション完了!
クリスマスの朝、子どもたちは舞い上がる
「見てみて!サンタかんが!」
「プレゼント持ってきてくれた!!」 「窓から入ってくれたんやな!カーテンがヒラヒラしとった」
「すごいや!オカン、ほんまにサンタさんと
友達やねんなあ!」
キラキラして話してくる子どもたち
「へえ、そうなんや。よかったやん!」と
私たちは、ミッション大成功!と
二人してニンマリと目を合わせた
この日のために、
色々と準備した甲斐があったね!
という二人だけのサイン
ちっちゃくガッツポーズをした
やがて子どもたちは気づいてしまう
上の子が5年性になった頃も、
毎年のように私たちは大いなるミッションを
やり遂げた
…つもりだった
朝起きてきた子どもたちの顔が
心なしか少し暗い
「どうしたん?サンタさんからプレゼント来たんやろ?嬉しくないん?」
私は尋ねた
上の子は、目を泳がせながら
「…う、うん……」と言葉少なげだった
3年生の下の子もなんだか上の空で
リクエストしたプレゼントと違ったのかなと
不安になってしまった
あとで聞くところによると
まず、ドアノブの音が聞こえたと
それで目が覚めてしまったと
「あれ?サンタさんは窓から入るのに?」と
子どもたちは不思議に思いつつも
寝たふりをしたそうだった
すると、こっそりと忍び足の「つもり」で
私たち親がプレゼントを持って
歩いてくるのが見えたから
「えっ???サンタさんちゃうんや!?」と
子どもたちはパニックになったみたいで
そのまま寝たふりをしていたら
枕元にプレゼントを置き、
さらにわざとらしく窓を開け、
そーっと音を立てない「つもり」の
私たち親が去ってゆくのを
きっと子どもたちは
呆然と見送っていたんだろうなあ
そうして、気づいてしまった
長いこと信じてたサンタさんは
私たち親だったことに
そして、私たち親は
子どもに対してごめんなさいと
音を立てない「つもり」だったのに
立ててしまった音に
気づいてしまった
がっかりさせただろうなあ
ショックだろうなあ
こんな形でバレてしまって
子どもたちにごめんな、としか
家なかった
音は立てない「つもり」だったのに
こうして私たちの大いなるミッションは
あえなく終わりを迎えてしまった
あとになって、子どもたちは言った
足音は聞こえること
忍び足でもすり足でも聞こえること
ドアノブ回す音も聞こえること
プレゼントの包装紙も聞こえること
枕元に置く音もあること
窓の鍵を開ける音も聞こえること
風の音も聞こえること
私たちは絶句した
「「こんなに音があるんや!」」
大いなるミッションだったはずなのに
そりや「耳に入ってしまう」よなあ、と
私たちには本当に衝撃的で
自分では音を立てない「つもり」だったのに
そうじゃなかったことが
ひどくショックで
子どもの夢が
私たちの立てる「音」で
打ち砕かれてしまったことも
ぐるぐる ぐるぐる
込み上げる思いがとまらなかった
でもええねん、それがうちんちやから
ショックだったはずなのに、
子どもたちは数日たって
「でもええねん。それがうちんちやから」
「最初はショックやったけどな、まあ気にならんわー」
とサラッと言った
ありがとう
聞こえない親と
聞こえる子どもたちと
一緒に住んで
アクシデントも
そうやって受け入れながら
こうして私たち家族のスタイルを
作り上げていくんだなあと
改めて神様に感謝した
これが私たち家族の「普通」
「普通」ってのはみんな違う
みなさんの「普通」は何ですか
あなたの「普通」を押し付けていませんか
自分の「普通」を大事にしてください
クリスマスの時期になると
あの頃を思い出して
ちょっぴり切なくなるのです
おしまい
*長文ありがとうございました