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バギオにひとめぼれ!


バギオ滞在二日目。アニーが仕事を休めなくなったというので、午前中はひとりで街の中をふらふらと散策。

バギオの街のなかは、アップダウンは多いものの、市場もショッピングモールも、公園も博物館も教会も大学も1キロメートル四方のなかにおさまっていて、すぐに回ることができる。

navi manilaによると、バギオは1900年代にフィリピンを支配したアメリカ人によって設計された都市なのだという。
下の写真は、街の中心部にあるバーンハム公園。バーンハムは、バギオを設計した都市建築家の名前だそうだ。公園のなかの人工池には、朝からたくさんのボートが出ていた。

日本でも自然への負荷を最小限におさえるために、都市の中枢機能を一定の区内にまとめる「コンパクトシティ」という都市設計の考え方が注目されている。そう考えると、バギオは100年も前にその先がけをいったことになる。アメリカ支配の結果とはいえ、これはフィリピンにとって大きな財産だ。

涼しいし、緑は多いし、マニラのように空気は汚れていないし嫌な臭いがする場所もない。ストリートチルドレンも見かけない。露店で働いている人たちも、マニラにくらべると、表情がとてもおっとりとして見える。
マニラの猥雑な雰囲気も私は嫌いではない。
だけど、新鮮なバギオの空気を肺の奥までたっぷり吸いこむと、マニラにいるときは、ストレスを感じながら歩いていたことに気づいた。

一通り歩いてから、アニーが働くインターネットカフェに行くと、数時間仕事を抜けられることになったというので、ドネリンのいるいちご畑に行くことになった。いちご畑があるのは、ラ・トリニダッドというバギオの隣町。
ジプニーに乗って、5分ほどの距離だ。

ドネリンが働いているいちご畑は、大学が所有する土地で、その一区画をドネリンのおばさんが借りて、いつご狩りのビジネスをしているのだという。ドネリンはひと月ほど前からそれを手伝うようになっている。ちなみに、この一帯ではレタスなどの高原野菜も栽培されている。

ドネリンは、アニーとは対照的にがっしりとした体型をしている。
村で会ったときとまったく変わらず、畑のなかに立っていた。(続く)

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