バギオに暮らすイフガオ族の女の子
2012年5月。フィリピンに住んでいるうちに、どうしても訪ねておきたい場所があった。
マニラからバスで7時間ほど北上したところにある、バギオ市。
標高1500メートルほどのところにある緑豊かなこの都市は、フィリピンの避暑地として知られている。特に暑さの厳しい3~5月には、政府も移転してくるフィリピンの「夏の首都」。
観光目的以外にも、私にはこの街を訪ねたいわけがあった。昨年、大学を卒業して、この街で働いている二人のイフガオ族の女の子に会うためだ。
最初に彼女たちに出会ったのは、4年前。スタディツアーでイフガオ州のアバタン村を訪れ、彼女たちの家に泊めてもらった。
彼女たちの暮らす集落は、山深くにあり電気がようやく通ったばかり。村人たちは棚田で稲作を行い、ほとんど自給自足の生活を送っている。村の連帯が強く、子どもたちはみんなきょうだいのように育っていた。休日の夜はテレビがある家に詰めかけてビデオを見て、人が亡くなったときは、村全体で喪に服す。そんな村だった。
そこで出会った、二人の女の子アニーとドネリン。
私たちが山道を歩くときはいつも手を引いてくれ、言葉の通じない小さな子どもたちと一緒に遊べるように取り持ってくれ、遠くの町まで行かなければ手に入らない貴重なコーヒーを惜しげなく振る舞ってくれる。そんな女の子たちだった。
今、バギオで暮らす彼女たちは、フェイスブックにも容易にアクセスできる。今週末にバギオに行きたいとアニーにメッセージを送ると、自分のアパートに泊まればいいからぜひ来て、との返事だった。
朝、ラグーナを出発して、夜7時にバギオに到着。
バスターミナルでアニーと再会した。
2年ぶりだけど、ちょっとキラキラしたネックレスとイヤリングをつけている以外、素朴な雰囲気は村で会ったときと変わっていない。
細い体にもかかわらず私の荷物をひょいっと持ち、私の手を引いて歩き出す。
「重いからいいよ」というと、
笑って返した。「アバタン村で育った私には、これくらい何でもない」。
バスターミナルからアニーのアパートに行く途中で彼女の職場であるコンピューターショップに立ち寄った。バギオは涼しくて歩くのには気持ちがいいけれど、道のアップダウンが激しい。アニーは、毎日職場まで15分ほど上り下りを繰り返し歩いているらしい。
ふだん私の周りにいるフィリピン人たちは、徒歩3分の平坦な道でもジプニーに乗る。
アパートに泊めてもらうお礼に、夕飯をおごろうと思って、ごはんはどうする? と聞くと、「料理してルームメイトと一緒に食べる」という。ジョリビーやマクドナルド、フィリピン人が入りたがるファーストフード店がそこかしこに並んでいるのに、彼女はさほど関心がないようだ。
アニーの部屋は4畳半ほどの広さで、2段ベットと、電気コンロと炊飯器、キャビネットを置き、ルームメイトと2人でシェアして暮らしている。ルームメイトも素朴でかわいい子で、突然やってきた日本人を快く迎えてくれた。
「イフガオは、火を焚いて料理してたでしょ。ここは電気なんだよ。全然ちがう」
そういいながら、アニーは、市場で買ってきた魚を手早く調理してくれた。
テレビがあるわけでもないので、食事を終えるとすぐに睡眠の時間。
翌日はドネリンが働いているいちご畑に行くことを決めて、
2段ベッドの1階部分にアニーとふたりで横たわった。
夜は冷えるからとアニーは、毛布を2枚私に渡した。
どこかの部屋からは、大きないびきが聞こえてふたりで笑った。
マットレスはなく、ベッドの上に毛布を敷いてあるだけなので、
ときどき背中が痛かったけど、ゆったりとした気持ちで眠りにつき、いい夢を見た。
(次回に続く)