第4回南三陸福興市に参加
2011年7月31日
第4回目の南三陸福興市が開催された。その会場に初めて参加をした。
南三陸町は震災の翌月の4月から月の最後の日曜日に福興市を開催することに決まっていた。私はその福興市に参加するために笠岡の商店街、市役所、社協の皆さんと一緒に南三陸に行き朝を迎えた。あまり眠れなかった。
8時前には到着した会場となるベイサイドアリーナの広場にはすでに沢山のテントが並び、多くの人が動いていた。笠岡用のテントもあった。私は及善蒲鉾店さんのお店のお手伝いをするように言われた。と、言っても販売する商品は及善さんのものではなく全国から届いた品物だった。さつま揚げや赤てんがあったと思う。それでも「いらっしゃいませ~」の声を上げながら福興市がスタートした。
沢山のお客様が来られて「今どこにいるの?」
「○○さんは元気?」「いつから笹かまぼこ食べられる?」
そんな会話が聞こえてきた。復興市ってお祭りみたいな気持でいたけど本当は全く違う。。。安否確認の場でもあり、バラバラに住んでいる人たちが会える場でもあるのだ。福興市に深い意味がある事を改めて知る。
第4回目の福興市の情報がどこかに無いかと探していたら動画があった。YouTubeにアップされているのでリンクを貼ってみる。
実は、この時の福興市、お店の手伝いをした事しか記憶がない。テントからほとんど出ていないので舞台で何があったのか?何にも知らなかった。こうして動画を観て初めて知る。
雨が降っていたような気がしたし、テントが50~60くらいはあったような気がするがそれも定かではない。そしてお昼もお弁当を貰って食べた気がする。写真も撮っていないが、自分の売り場から動かず、どこにも行かず何にも買わずに帰ったのかも知れない。
私はこの日からしばらくは毎回南三陸の福興市に行く度に及善蒲鉾店さんのお手伝いに入っていた。笠岡のテントを手伝うようになったのは2012年の春くらいからだと思う。各地域から防災ネットワークの関係で集まっている方々は、その方々だけで情報を共有していた。とても仲が良かった。その中で私はしばらくよそ者のように思えた。
のこのこと着いてきても何にも出来ない。なので言われた事をやっていた。だからトイレ以外でその場を離れることはしなかった。舞台を見ることもしなかった。
会場にはどこかの企業や(その頃は知らなかった)どこかのボランティア団体や、個人で通っているボランティアさんたちが手伝いに入っていた。
通うたびにボランティアに対する考え方の違いがどんどん分かるようになっていった。
福興市が終わって写真を撮った。
福興市に行く度に及善蒲鉾店の及川社長がこの真っ赤なエプロンをしていた。いつも笑顔だった。及善蒲鉾店さんは翌月の8月に工場を建てられた。
午後3時頃に南三陸を出発して月曜日の朝に笠岡に到着した。緊張をした1泊4日、いろいろと考えさせられた。自分があまりに無力だからだ。
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