初めての南三陸

2011年7月29日
笠岡希望プロジェクトの皆さんと笠岡商店街の皆さんが応援する南三陸町へ初めて行くことになった。南三陸町と言うより東北に行くことが初めてだ。しかも車で。。。

片道約14時間、約1200キロ、途中トイレや食事、給油で休憩をいれるけど交代で運転の為車は走り続ける。この日は社協の皆さんに盛大に送り出して頂き金曜日の午後に笠岡を出発して大阪~滋賀~福井・・・と言うコース。尼御前SAに到着したときはすっかり暗くなっていた。初の北陸自動車道。

車は写真のワゴン車で10人乗り、ここに男性4名と女性4名の8人で乗っていた。福興市で使う物や、南三陸に届ける物で車内は溢れて動く余裕もない。特に女性は運転をしないので一番後ろの座席に荷物と一緒に座っていた。
初めての東北、初めての被災地、いろんな思いで全然寝れないまま朝を迎えた。車は新潟から福島に入り岡山ではあり得ない夜明けの早さで4時ころには明るくなっていた気がする。朝6時ころに南三陸町に到着した。車の中から最初に写した1枚。場所は分からない。雨が降っていた後で街は靄に包まれていた。

今まで何度か通っていた守屋さん達に町の中を案内してもらう。その頃、テレビでは自衛隊も帰ってしまい復興への道はすぐ近くへ来ている!と報道されていた…私も瓦礫が撤去されて道が整備され電気や水道などのライフラインも繋がり着々と復旧への道は進んいると思っていた。

ところが・・・まだ被災地はあの時のまま・・・

最後の1枚は志津川中学校からの写真、それから行く度にここの場所に連れて行ってもらったし、私も初めて南三陸町に来た人をここに連れて行った。
この日、もしも晴天だったら・・・町の印象は変わっていたかもしれないと今は思う。

街の中を案内してもらって最初に行ったのは入谷公民館だった。南三陸の中で最初に会ったのは阿部忠義館長、それから山内正文社長と及川善祐社長が来られてこれからの支援について話し合いをした。

この時、お昼にお弁当を食べた。とっても美味しかった。写真は無い。その後、そのお弁当は高貞菓子店さんの作られたものだと知った。

それから夕方まで町の中をあっちこっち案内してもらった。まだ避難所となっていた志津川高校の体育館で生活をされていた方に話も聞いた。相変わらずおにぎりと菓子パンの生活をされていました。お世話をされている被災者の男性の声は諦めてしまったと感じられる力無きものだった。自衛隊が居無くなり被災者の生活は前よりひどくなったように感じると言われた。何も言えなかった。

高貞菓子店さんにも連れて行ってもらった。写真に写っているお店は今は無い。入り口で写っている赤澤さんが福興市でここのバナナ焼きを知ってから笠岡で何度もバナナ焼きを販売した。ここは山の方にあって津波の被害を受けなかった地域。それなのに、販売先が無くなり(津波の被害で)バナナ焼きを作ることも無くなったと聞いて赤澤さんが笠岡で販売する事を提案して焼いて送ってもらっていたのだ。思いのある人はどんどんと繋がっていく。

夕方になってホテル観洋に到着。この頃はここしか宿泊先が無かった。ホテルの夕飯もバイキング、朝ごはんもバイキングだった。そしてお料理は本当に質素なものだった。たぶん宿泊費は7000円位だったと思う。イカのお刺身がカップに入ってて、それを食べた。それでも自分たちは贅沢なのだろうなぁ~と思った。挨拶をするくらいしか話も出来ず、何にも出来ないままで一日が終わった。ホテルでみんなと色々話をした。何が出来るのか・・・そんな話だったと思う。翌日は福興市だ。


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