ヒメボタルと写真家
私がヒメボタルの撮影を始めてから8年が経ちました。
日本だけでなく世界中にホタルが存在し、そして、そのホタルを撮影する写真家が世界にも多くいるのだとも知りました。
世界のホタル撮影の歴史は分からない部分も多いのですが、日本でのホタルの文化的歴史は古く、多くの自然写真家が撮影してきました。
では、日本のヒメボタル撮影の第一人者は誰か?と問われれば、それは数年前に惜しくも亡くなられた写真家「小原 玲」と私は答えます。
彼が使用したテクニック、撮影方法は現在のホタル撮影のスタンダードとして多くの方が使用し撮影を続けている。
私も当初はその方法に沿って撮影を始めましたが、次第に独自の撮影方法へと変化を遂げているのですが、実は小原さんの写真を見たことが多くはありません。というよりは、見ることを避けていました。
それは、模倣になりたくないから。という理由から。
暗闇の中で行う撮影は、どうしても想像力という部分が大きくなり、同様の写真を撮る方の写真を、意図せずとも模倣してしまうのが必然の中、彼を模倣していればきっと彼を超えることは叶わないと撮影当初より思ったのです。
写真家、カメラマン、フォトグラファー、呼び方によって様々印象も行なっていることも目指すことも違う様には思いますが、
私は現代写真作家(コンテンポラリーフォトグラファー)として世界の写真界の中で認識を少しずつ高めようとしています。
現代写真、写真を使用した現代美術とも言うことができるかとは思いますが、少し難しく感じるかもしれませんが、作家をやっているのだと認識する私なりの方法は至って簡単です。
それは、誰かの真似をする人なのか?そうでないのか?
芸術は人との関わりの中で発展してきたものなので、自然や風景を扱う人は少ないのと、他者との差をつけるのが難しい部分があるので圧倒的に少数派ですが、
誰かが撮影しているのを知って、自分も同じものをと真似をするのか、それとも、全く誰もやっていないことや、新たな側面を見つけようとして作品を作ろうとするのか。
真似したもの、誰かがやっているものは現代美術としては価値はないと言うよりも、現代写真とはみなされないのです。
真似している本人って、バレてないだろうと思っているのだと思いますが、
結構わかるものです(笑)
さて、小原さんに話を戻しますが、
実は、とある場所に私の作品と小原さんの写真が並んで飾ってあります。
私が撮影する地域は、かつて小原さんが数年間通っていた場所でもあったのです。
全く同じ場所で撮影しているわけではありませんが、小原さんをよく知る方から彼の写真に私の写真が似ていると言われていたのをよく覚えています。
小原さんは、自然環境の良好な場所でしか写真を撮らなかったのだと聞いていたのですが、今ならその頃の彼の気持ちがよく分かる気がするのです。
そして、自然も動植物も深く観察し理解する方だったのだと。
日本には多くの自然写真家さんが古くからいて、自然写真の歴史と文脈があります。私がその文脈にいるかは分かりませんし、現在の日本の自然写真家の方が私を認めようとするのかも分かりませんが、
私は、小原さんの文脈の先にいるのは確かなのかもしれません。
わたし自身は、小原さんが悔しがるほどの作品を作っているとは思っていますが、実際はまだまだだよと思っていたりするかもしれませんね(笑)
2022年に「水没林」をモチーフにしたシリーズ「霧幻の水森」を東京六本木の富士フイルムスクエアで作品を発表しました。
そこへ、1人の身長の高い年上の男性の方がいらして話しかけて下さった方がいらっしゃった方がいました。
田舎もんなので、名前を聞いても当時は存じ上げず不機嫌そうに帰られたので申し訳ないと思いつつ、その後、その方が白川湖を撮影されていたこと、
新たな自然写真を撮影する空撮の第一人者であることを知りました。
わたしの白川湖の水没林をどう感じたのか伺いたかった気も多少はしますが、世界初の「水没林」の写真集を出版できたこと、そのことに変わりはないので聞かずとも良いのかもしれません。
小原さんがSNSで言っていた、群れずに孤独であれ。
わたしは良く覚えており、時には大切なことだと思ったりするのです。
そのかたも、実はヒメボタルを撮影していたのを少し前に知りました。
小原さんもその方も、その後ホタルの撮影を続けなかったのは、自然に無知な方が溢れたこともあるかと思いますが、限界を感じたのだと、諦めたのではないかと少し感じたりしていました。
なぜかと言うと、わたし自身がその壁を痛感していたからです。
しかし、水没林にせよ、ホタルにせよ、わたしは諦めなかった。
もともと才能ある人間ではありませんが、唯一持っていたものは諦めの悪さ。続ける才能だったのかも知れません。
世界の専門家の方々から、何度も言われたのは、続けてください。
その言葉は今も心に強く残っています。
守・破・離
続けていれば、いつかきっと1人でたつ時がやってくるのだと強く思います。