繋がりと記憶の先
樹木を被写体としていることが多い事に気付いたのは、自分の写真を見返している時だった。
その場所で長い年月を過ごしてきた樹々は様々なことを経てきたはずだが、彼らは何も語ってはくれない。けれど、時折何かを教えてくれる気がするのだ。
15年以上前に木工製作をする様になり、元々物作りが好きだった事も重なりのめり込んでいった。
フライフィッシングをする者にとっては、背中に吊るし背中の顔とも言われる様な魚を最後に掬う道具でランディングネットという。
それをオールハンドメイドで全て木製で作っていく、手に持つグリップ部に2.3ミリの薄板を数枚重ねサークル状に接着して成形する。
作り方は、バイオリンやギター製作で使われる技法で作っていくのだが、形状の設計から製作まで全てハンドメイドで一本製作するのに二ヶ月ほど木と向き合い続ける。フライフィッシング専門誌のランディングネット製作のコンテストがあり、思いがけず2年連続準グランプリを重ね「Isseycraft」という屋号で木工製作家として活動し(現在無期限活動休止中)受注製作をする様になった。
そして杢と呼ばれる木理の美しい世界の希少材を集める様になった。カリンバール、メイプルバール、チューリップウッド、ボコテ、真黒黒檀、クラロウォールナット、ハワイアンコアウッド、屋久杉etc、杢目にも個体差があるので自分が美しいと思うものだけを集め木を触り、一本一本カンナ状の特殊な木工ヤスリで削っていく。
木はそれぞれ手触りも硬さも、木の弾性も粘りも、油分も、水の通る管状の道管の太さも違う、なぜヨーロッパで古くから家具として珍重されてきた理由が手に取るようにわかる木も存在する。
僕が望んだ樹々の多くは様々なストレスを受けた木々が内部再生をする中で生まれた美しさを持ち合わせた樹々だ。
苦労や努力を重ねた先の美しさを放つ人の厚みとどこか重なる。
良質の木材を探す中で、ある時気がついた。
日本という国は、森林面積が国土の多くを占める世界でも有数の森林大国でありながら、世界の木材を大量に輸入してきたのだと。
そう、僕も森林破壊という事象に加担していたのだと。
今現在、森、そして樹木を撮影し続けるのは、樹木に親しみ畏敬の念など様々な想いもあるのだけれど、自分の中での贖罪の気持ちが少なからずあるのかも知れない。
そして、そんな中たどり着いた木材が「黒柿」という木材だった。
元々はただの柿の木なのだが、1万本に一本ほどの割合で、土中の成分などの影響で木の内部に黒い縞模様などが現れた物をそう呼ぶ。
なぜ黒柿が発生するのかは、未だ解明されてはいないが個人的に取材を進める中で少し何かが見えてきた所でもある。
正倉院に納められた遺物にも黒柿の品がある様に、古くから貴族や大名、寺社仏閣などで珍重されてきた杢材。世界で最も高級な杢材の一つだろう。
高級な理由として、いくつか理由もあるのだけれど、
この黒柿は超暴れ材で、乾燥の過程で大きく歪みヒビや割れが生じ、材としての歩留まりがすこぶる悪い。この黒と白の部分の収縮率の違いが大きな原因で、それをクリアするのには水中乾燥という手法で水に数年間つけて乾燥させてゆく。
何度か水中乾燥してみたのだが、タンニンなどを含む臭いのキツイアクが出て数日おきに水を変えたり中々大変だったりするが、黒と白のコントラストが増して、材がしまって硬くなり、先人の知恵には感心する。
これは、黒柿の中でも希少とされる孔雀杢と呼ばれる杢目が出たもので、発生確率は10万本に一本とされているが、これほどの細かな小粒の孔雀杢が出たものは今現在中々出会うことはないだろう。
それは、柿の木の減少を含め日本の生活習慣、文化の変化も大きく影響している様で、少し悲しいことでもある。
10年ほど前に、この黒柿孔雀杢を使ってランディングネットを製作した。
グリップに黒柿孔雀杢(山形県産材)
フレームと呼ばれるサークル状の部分には、ケンポナシ、栃縮み杢
そして、東京都御蔵島産の島柘植(木理が日本一緻密な材で手触りよく、櫛などで有名な高級材)を表裏に使い、桐油でオイル塗装を数ヶ月重ねて完成した自身の集大成と言えるランディングネットとなった。
2023年1月に逝去された
ミュージシャンの高橋幸宏さんが、このネットを生涯大切に使ってくれた。
9年前に贈ってから亡くなられる前年まで、釣行の度にこのネットと共にSNSに画像をアップしてくれていた。
近々、一緒に釣りに行きましょう!という話は実現できなかったけれど
大好きな音楽の合間に、大好きなフライフィッシングをどこかで楽しんでいるのだと、そう思う。
最近はご無沙汰になっているフライフィッシングだが、釣行で良い木(良い木の定義は超個人的ではあるが、それはまたいつか)を見つけると手で触り、触感でその暖かさと静かに雄大に佇む生命を感じた。
実は、フライロッドをカメラ一本に持ち替えた今もそれは変わらず、僕が長老と呼び、時折逢いに行く木も随分と増えた。
COVID19に包まれた世界の中で
新緑が芽吹く頃、僕が「ラピュタの樹」と呼ぶとても素敵なブナの樹に出会った。雄大に根を張る姿は神々しくもあり、きっと多くの事を越えて来たのだろう。
フライフィッシングを通し自然を歩き続けた中で辿り着いた真理
「山と森と川の形」
"「山が森を育て、森は水を抱き多様な生き物を育み、湧き出した雫の一滴一滴が川となり、海へと多様な物を運び育てる。海の水は舞い上がり大気となり循環し、山へ雨、そして雪を降らせ循環してゆく。」"
地上の樹と同じほどの根を張り水を蓄える、その森を象徴する樹と捉えているブナの樹。
今、この樹を訪れる者はもう誰もいなくなってしまった。
地球という大地に根を広げるこの樹を見ていると、自然の逞しさ、尊さを教えてくれている。そんな気がするのだ。
僕は、また逢いに行こうと思う。
生涯の中で、いくつか創作していくであろうシリーズを紡ぎ合わせ
「山と森と川の形」を成すことが出来たなら幸せなことだと思う。
"僕には僕の、あなたにはあなただけの物語があって
あなただけの物語を紡げたのなら、それはきっと素晴らしい事だろう。"
あなたは、どんな物語を紡いでいきますか?