写真と時間
残雪と新緑の水森
4月後半のこの時期、白川湖は新緑の頃になっても山肌には雪が残り、残雪と新緑のコントラストが豪雪地帯の季節感を感じさせてくれた。 撮影したのは7年ほど前のGW前。
GW少し前に新緑が芽吹き、水没林が命を灯すような季節が始まるのが、ここ10年ほどの標準の季節感だった。
雪の多い少ないは昔から当たり前にあることだが、今年は雪が少なく季節の進行が一週間から10日早い新緑の季節がやってきた。当時は、画的に雪が目立つようで少し外したい気持ちだったのだが、雪の少ない昨今になると、残雪と新緑が特別なものに見えてくる。
写真は性質的に記録という側面がつきまとう。
写真をプリントしておけば、それは劣化し変化してゆく。そして写っているものは変わろうが変わるまいが時間は止まり、私たちの時間だけが進んでゆく。
大切な人の写真であれば、いつしか宝物になるかもしれない。
将来見ることの出来ない風景であれば、それは文化遺産となるかもしれない。
他愛もないものは、時間だけが経ち古いものとして捨てられるだけかもしれない。
私は過去の写真を時折見返す。
以前は気づかなかった事に目が行き、気づくことも多々あると体感で分かっているからだ。
過去を振り返るわけではないが、過去の自分と今の自分を見比べて様々反省することもよくあることだ。
少しだけ歳を重ねたせいか、時間というものは面白いものだと。
そんな事を思う。