カッコいい辞典「し」
『守備職人』である。
守備職人とは野球において、卓越した守りの能力を持つ者のことである。
更にいうなれば、攻撃はからきしという条件も付随してくることは忘れてはならない。
守備職人とはなるほど、そのような二面性を兼ね備えた言葉だからこそカッコいいとなる。
より深く考えてみると、余は弱点と言う言葉に惹かれているとも言える。
人間一人、何か魅力を兼ね備えているのは自明のことである。
その魅力を生かすも殺すもそのもの自身であり、魅力自体に責任はない。
それ故、魅力とはある種の独立した人間の能力であるともいえる。
だが弱点はまた別だ。
確かに潜在的な弱点もある。しかしその人が生きていく上での歴史の中で、ある種の思い出となる出来事が発端で弱点ができることもある。
弱点にはその人のある種特別な人間性が垣間見えるのである。
こう筆を進めていくと、では魅力も何やら人間性の塊ではないかと思えてくる。
するとこの両者の違いは何であろう。
何が差を生むのであろう。
守備職人で考えてみるに、魅力は言わずもがな守りである。
そして弱点は攻撃、バッティングであり、三振したときの守備職人の愛おしさはどこから生まれてくるのであろう。
言い換えると、その人の弱点が露呈したとき、その人が可愛く見えるのはどうしてか。
それに対して一つの答えがあるとするのならば、それが、それこそが魅力なのだと言える。
つまり、守備職人にとっての守備は本当の魅力とは言えない。
守備職人の本当の魅力は攻撃がとても苦手と言うことに尽きるのだろう。
すると余の考える守備職人のカッコよさとは、そこなのであろう。
何かを守り通せるが、攻撃を仕掛けることができない。
とてもカッコいいではないか。
ただ余に関して言えば、何かを守り通すことがプライドを固めることになり、
攻撃を仕掛けることができないとは、新しいことに挑戦しないという、
最悪の状態になっていた節があった。
そうなってしまうとカッコつけてもカッコよくないことになる。
これは注意せねばならぬことだ。
今更ではあるが、余はまだタピオカを飲んだことがない。
タピオカなぞはやりのものに手を出すなどもってのほかだと思っていたのだ。
しかし今時分であれば、気にせず購えばよいものだ。
だが余のプライドが邪魔をしてなかなか行動に移せなかった。
カッコ悪いことである。
だがそんな状況を許す余ではなかったので、ついにタピオカ屋さんへ赴いた。
齢37年、幾多の状況でもカッコつけてきた余は、慣れた手つきでタッチパネルを操作し、求めていた黒糖タピオカオレを注文した。
出来上がりを待ちながら店内を見まわし、なるほどねと一息ついたときに手元の番号を呼ばれ、レジ前で受け取ってスマートに笑顔なぞも添えて感謝の意を述べ、店内を後にした。
近くに喫煙所を見つけた余は、タピオカを飲みながら一服しようと思い立ち、まずは煙草に火をつけ、一息ついてからタピオカのストローを差し勢いよく吸い込んだ。
タピオカとはどのような味なのか、食感はいかほど。期待に胸を躍らせて口に含み味わったところでようやく気が付いた。
タピオカ入ってない。
ただのカフェオレであった。
記憶を一気に巻き戻す。どこだ、どこで間違った?
すると記憶のビジョンがある場面で停止した。
タッチパネルの操作の時、「タピオカあり」の選択項目。
タピオカは入れるか入れないか選ぶものだったのだ!
タピオカ屋なのだからタピオカが入っていて当然と思っていた余はここで間違えたのだ。
更に思い出されるのは、店員さんがストローを太いものを最初渡した後、すみませんと言って細い方を余に渡してきていた。
そこで気づくべきであった。
タピオカを吸い込むんだからストローは太くあるべきと!
この様に、カッコよくあろうと思い、新しいことに挑戦したにもかかわらず、
不甲斐ない結果に終わってしまった余ではあったが、
こう言う状況で失敗する余のある種の弱点であるとも考えられる。
するとあながち不甲斐ないと一蹴すべきものでもなくなってくる。
このタピオカ事件もいうなれば、余のカッコいいエピソードなのだ。
今回はやや長文になってしまったが、
読了していただきありがとうございます。
また逢う日まで。