カッコいい辞典「れ」
「礼儀」である。
これはカッコいい者として外すことはできないアビリティの一つと言えよう。
礼儀のあるもの即ちカッコいいと言い換えても過言ではない。
良しそうだとして、まずはどのような礼儀から気を付ければよいのか。
それは「お辞儀」だ。
お辞儀とは見た時にすぐわかる所作であり、相手に敬意を表していると一発でわかる素晴らしい動きである。
ここで一つ、お辞儀に関する僕の考えを披露しよう。
お辞儀とは言わずもがな素晴らしい所作である。
日常生活では決して発現しない動きであり且つ、誰でもできる動きである。
昔の日本人はお辞儀と言うとてつもない発明をしたと思う。
敬服に値する。
そして言わせてもらおう。
恐らくお辞儀とは元来、ギャグだったのだと。
話を最後まで聞いてほしい。
昔日本で誰かひょうきんなものが、「辞儀」と言ってお辞儀の動きをして爆笑をさらったのではなかろうか。
そこでみんな真似して、辞儀、辞儀とギャグをして笑わせあっていた。
そこでこの辞儀をされたとき、返すのはどうであろうかと言う意見が湧き出て、
今現在のようにお辞儀をしたらお辞儀をし返すという習慣が出来上がったのではないか。
そしてその辞儀の習慣が出来上がったころに一人の天才が現れて、
皆が辞儀をする中、「お辞儀」と、「お」をつけてしたところ、
大地が揺れるほどの爆笑が起き、辞儀からお辞儀へと定着した。
この様に僕は考える。
だが、ならばなぜ現代ではお辞儀をしても人は笑わないのかと言う疑問が出る。
お辞儀はギャグではなかったのではなかろうか。
そういう意見をお持ちの方、
僕はあなたのことが好きだ。
確かに現代で笑っていないしお辞儀がギャグである名残がないことは否めない。
だがそこの擦り合わせは、学者たちに任せてはいかがであろうか。
人任せにするのはいささか心苦しいが、
学者連なぞはそのような調査を好んでする生き物だ。
好きなことをさせてあげたいという親心から僕は、
お辞儀がギャグであるという裏付けはせずに、ただ言い切ろうと思う。
学者連の健闘を祈る。
そしてだ、お辞儀がギャグだとすると一つの仮説が浮かび上がる。
お辞儀がギャグと言うのも仮説なので、これは仮説の上に成り立つのでこれを上仮説と言うことにするが。
僕の上仮説とはこれだ。
神社で行う、二礼二拍手一礼と言う所作をご存じであろうか。
お辞儀を二回して手を二回鳴らし最後に一礼する所作である。
お辞儀がギャグだとするならば、この所作は
神様を笑わせる一発ギャグではなかろうか。
するとだ、初詣の行列は日本中の民が神様を笑わせる為のものであろう。
そして神様の前で突然お金を投げ入れ、ギャグをして去る。
神様もいきなりお金を入れて何をするのかと思いきやギャグをされて大笑いしていることであろう。
年の初めにこの世の民はなにをしでかすのやらと、神様もご満悦なのではなかろうか。
日本の格言として「礼に始まり礼に終わる」というものがあるが
これは最初から最後まで笑いあいましょうと言う素敵な言葉なのではなかろうか。
この仮説と上仮説はとても素晴らしいものだと思えるのは僕だけであろうか。
否。
カッコいいを極めし者たちならばわかってくれるであろう。
何故ならカッコいいは自分を突き詰めることだが、相手を思いやれる気持ちを持っていることもカッコいいの条件の一つだからだ。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
また逢う日まで。