カッコいい辞典「は」

余はいささか可愛い子ぶりっ子をしていたようだ。

何故ならば、カッコいい辞典と言う名のもとに今まで記してきたが、文章にカッコよさが微塵もないことに気が付いたからだ。

そして「は」を記すにあたりちょうどよい機会だったので、このように生来の気質からくる文体で皆様にカッコいいをお届けしようと思う。

要は一種の方向転換である。

この試みは今回限りというわけではもちろんない。よし、だからと言ってコロコロ変えるのもみっともない。

然るに、落雷のようにつと落ちる一種の閃きにのみ起こりうる事象ととらえてほしい。

簡単に言うとアドバイスを頂いたのだ。

また、先にも記したが「は」を紹介するにあたり丁度良い機会、と言うのはお題が変わったタイミングだからと言うことだけではない。よし、仮にそうだとしても「は」には一種の特別な含蓄がある。

では早速参ろう。

「は」から始まるカッコいいとは


『覇気』である。

そう。今までの余の駄文には覇気が足りなかった。

楽しんで読んでくださった方にはさらに今後、興味がわくことを約束しよう。

ちなみに、約束とは常に破られるものである。

さあ本題だ。

『覇気』とはまず目には見えないが、それがまとっているオーラの様な、且つとても強力なパワーのイメージの象徴ではないだろうか。

強力なパワーとはいささかやすぼったいしよくわからん。そうだとしてパワーと言うぐらいだから、あるものに対して何かしらの影響力はあるであろう。

然るに、『覇気』とはカッコいいというイメージを与える、目には見えない作用ではなかろうか。

有名な某漫画でも覇気は使われているが、その場合、覇気を使うと敵が卒倒したり不思議な力を付与させたりする。

これがカッコよくなくて何がカッコいいというのだ。

それ故わが拙作「カッコいい辞典」にもいかんなく覇気をまとった駄文をこれでもかと使うことを全うしようと決意したのだ。

話が脱線したので本題に戻ろう。

『覇気』とは、よく偉大な功績をした人物に直に謁見したときに、その人物を形容する際にしばしば用いられる。

これは偉大な功績と言うカッコいい行為が内に秘めた自負のようなものとしてその人物が持っていてそれが威厳として表に現れた為であろう。

言い換えよう。

『覇気』とは、『畏怖カッコいい』のことである。

ただ怖いのではない。カッコいいだけではない。畏怖とカッコいいが内在しているから覇気が出るのだ。

なるほど、ともするとヤンキーなぞは畏怖カッコいいの最低級の部類に入るのであろう。

入りもせんと言うのが本当のところだがその延長線上にあるのは確かである。

そもそもカッコいいと言葉で表現するのは女性が使うことが多々ある。その女性がヤンキーを見てカッコいいだの交際をしているだのと聞くと、いささか腑に落ちないところが余にはあった。

何故真面目な余に彼女ができず、素行の悪いものに彼女ができるのか。

それは一種の覇気をその女性が感じた故なのであろう。

すると余には覇気がないことになる。

これはいかん。

然し待て。某人気漫画の覇気にも種類があった。

余の覇気はまた一種独特な唯一無二のものなのだ。常人では感知できにくいものかもしれぬ。

この覇気を使いこなせるようになればまた一つ上のステージに行けるであろう。

余の伸びしろがだいぶあることが分かったところで、カッコいい辞典の「は」は手仕舞いにする。

※ここで追記させていただこう。

女性から見たヤンキーの魅力は覇気ではないとのことである。
これは余の知り合いの女性から拝聴した意見なのだが、ヤンキーの魅力は「ギャップ」なのだそうだ。
怖そうなのに自分には優しい、動物にやさしいなぞの見た目と行動の乖離が見ている女性からして心地よく映るとのことである。
なんとまあ。
女心は全くわからぬものだ。


読了誠にありがとうございます。
次回また逢う日まで。

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