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心の花畑、区画整理しました

宝塚沼に沈んで4年目。最近ようやく無理のない「推し活」ができるようになってきた。

沈み始めの頃は、「推しは推せるときに推せ、だからな」精神でしょっちゅう遠征に行ったり、雑誌やグッズを買い込んだりしていた。当然ながら家計に占める「推し活費」の割合はかなりのものになり、私はあれこれ節約しながら「推し活費」の確保に勤しんでいた。
それが今年になって―正確には最推しだった前月組トップコンビ(月城かなとさん&海乃美月さん)を見送ったあたりかもしれない―、がっくんと推し活費が下がった。遠征に行く頻度は半分以下に減り、ライブ配信自体も心から観たい!と思った作品以外は観なくなった。以前はキャトルレーヴ(宝塚歌劇団の公式ショップ)に行ったら爆買いしていたところが、ちょい買いくらいで済むようになった。

▼前月組トップコンビへの思いはこちらから


私の場合、これまで宝塚に向き合う熱量が自分に合っていなかったのだ。
宝塚に出会うまで、いわゆる「●●オタ」になったことはなかった。周りの友人や同僚が俳優やアイドル、ゲームのキャラクターのことを嬉しそうに話すのをニコニコ聞いているだけの立場だった。それがひょんなきっかけから宝塚に出会い、観れば観るほど沼に沈み、推し(「贔屓」という呼び方もあるが、ここでは敢えて「推し」と呼ばせてもらう)について熱心に語り、気がついたらズブズブの「ヅカオタ」になっていた。
少し前に結婚式を挙げたヅカオタ仲間(彼女はヅカオタ歴5年以上)の友人の言葉を思い出す。「ヅカオタになってばかりの頃に結婚式挙げてたら、とんでもない衣装着て、とんでもない出し物とかしてたかもな~笑」
そう、オタク活動は沈みはじめが危険なのだ。当てられた熱の下げ方が分からないまま、どんどん推しからの熱を吸収していく。そしてそれを燃料にして、どんどん推し活を加速させていくのだ。思い返してみれば、はまり始め~昨年くらいまではそんな感じだったように思える。


回数が減った分、現場1回1回をより大切にするようにはなりました

オーバーヒート状態の推し活はそれはそれで楽しいだろう。けれど、私には知らず知らずの間に負担になっていたのかもしれない。熱の下げ方が分かり、ちょうど良い距離感でヅカオタをするようになってから、心なしか「推し“続け”なきゃ」という類のプレッシャーのようなものから解き放たれ、身の回りにある他のものに広く目を向けられるようになった。昨年の今頃より、気持ちが楽になっているのは事実である。

以前noteにて、私は宝塚の推しのことを「心の片隅に咲く花々」と例えたことがあった。
これまでの私の心の花畑は、ほぼ全域が宝塚という花々で埋め尽くされていた。それはそれで美しく心の助けになっていた。けれども特に大好きだった大輪の花2輪を違う場所に移動したとたん、突然花畑を冷静に見渡せる目ができた。これまでやたらめったら花を植えまくっていた私は、いそいそと宝塚の花々を少しずつ別の場所へ移動するなどして整理し、空いた場所に違う花を―宝塚以外の、好きなものを―植えるようになった。そして今、私の心の花畑には、立派な大輪の花から小さな野草たちまで、いろいろな植物がはびこっている。そんな「区画整理」をした花畑は、以前に比べたらキラキラ具合は弱まっただろうが、眺めてほっとできるようなものになっている。
ここまで来るのに4年もかかってしまった。


▼ヅカオタなりたての頃に「花」を語った記事はこちら

ちなみに現在の私は、月組単独箱推し状態になっている。実際に観劇するのは月組のみで、他の組はときどきちらりと覗く程度だ(好きなジェンヌさんは何人かいるし、観たいものはライブ配信で観ている状態)。今のところ私にとっては、それがちょうど良い「推し活」のようである。
なお心の花畑の区画整理により、1つ1つの花=好きなものを育てることの効率化がぐーん進んだようで、月組への愛は一層深まっている。まぁ何が言いたいかというと、お披露目公演ドチャクソ最高でした。はい。

なんとか年内に今年の「観た」記録を書ききれるよう頑張ります。



家計簿は家計もだけど自分自身を見直すきっかけにもなりますね 芳田