真夏の京都で古都の風情撮影(前編)
私が所属する写真倶楽部で、リーダーから「古都の風情」というテーマでの撮影会企画を仰せつかり、真夏の撮影は屋内の日陰に限るだろうと、京都の詩仙堂とすぐ近くの圓光寺などを企画しました。
本番の1週間前に下見に行き、計画通り2か所での撮影後、叡山鉄道の一乗寺駅まで歩いて出町柳に出ましたが、京都の蒸し暑さは想像以上で、熱中症を警戒して2か所のみに計画を変更しました。(圓光寺は後編にnoteします。)
最初に訪問した詩仙堂は過去数回訪れていますが、じっくりと撮影に取り組むのは初めてです。
市バス「一乗寺下り松町」停留所から緩い登坂を数分。坂の途中に現れる小さな入口の門「小有洞」は簡素で、これが詩仙堂とは気づかないほど。
詩仙堂は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将「石川丈山」が晩年に造営して隠棲した山荘跡で、現在は曹洞宗のお寺です。狩野探幽が描いた中国の36歌仙の肖像画に丈山が漢詩を添えた絵が詩仙の間に掲げられています。
白砂の庭園には小川が流れ、ししおどしが響く静寂の空間です。
優しく光る石段を上ると竹林が涼しげでホッと一息。
竹林の中に洒脱な円い窓が。
竹林を過ぎると中門「老梅関」です。この奥に建物がありますが、ユニークな形の窓がまるでこちらを見ているようです。
玄関付近から中門を振り返った様子です。
玄関から奥に入ると左手に「詩仙の間」があります。四方の壁に三十六歌仙の絵が飾られています。白い衣の絵は有名な李白です。
ここは、かってダイナナ妃も訪れ、ヨーロッパ人に特に好まれるようです。
この日も外国の観光客10名ほどがガイドの案内で訪れ、本堂でしばらく佇んでいました。日本文化を案内できるガイドさんのようです。
撮影会では、まず全員でここに座り、この空気感に馴染んでいただきました。私もかってそうでしたが、ガツガツ撮影するより、この場所の雰囲気を肌で感じてから撮影に入った方が良い写真が撮れると思います。
本堂から詩仙の間と中門のある庭方向を撮ってみました。写真の左には暗い仏間があり、ご本尊が祀られています。
床の間にはいつも三幅対の掛け軸が飾られています。
この日のお花は「ノカンゾウ」でした。夏らしい色合いです。
建物内を撮影し、「百花塢(ひゃっかのう)」(丈山作庭)に下りてみました。
庭から見た「読書の間」です。クチナシが終りかけていました。
有名な「ししおどし」です。鹿よけという役割もありますがこの空間を静寂にする禅の心のような趣向が感じられます。丈山はここで文人として読書や瞑想にふけり、徳川家の繁栄を見守り続けたように思えます。
振り返ると、玄関上の「嘯月楼」の窓が開かれています。
1階部分の仏間や中門から見た眼のような窓の光も見えました。この部分が丈山が造営した建物で、他は後の増築です。
庭には小さな池があり錦鯉が泳いでいました。その周囲の植え込みは綺麗に手入れされており、自然のように見える花も巧みに計算されていました。下見の時に植木屋さんが剪定されていましたが、手入れされながらも人の手を感じさせない美しさは日本庭園の素晴らしさです。
桔梗の紫色とヒメヒオウギの橙色の対比が鮮やかです。奥には半夏生の白色が空間を占めています。
私の写真の師匠は、「この写真の右端が無駄だからトリミングしたら」とアドバイスしてくれましたが、私はあえて残しました。余白の余韻も日本の美と考えているからです。
写真は個性、好きに撮ればいいのです。
庭の奥に、入ることができない小径があり、その風情が気に入って撮ってみました。良い光が差し込み、奥行きを感じられ、少し曲がった小径の先が気になります。
さらに奥に進むと苔の庭がありました。
苔には石や樹々を美しく見せる優れた演出力という魅力もあります。京都市内でありながら、大自然の中に迷い込んだような雰囲気は、まさに苔のお陰でしょう。
感性がこの風情に染まり、感度が上がってくるのが自分でも分かります。
次の撮影地に向かうために玄関に戻ろうとすると、小さな滝があり、水音を響かせています。
清水が流れ落ちる滝口に美しい光を見つけました。
何回か訪問していたのに、これに気づいたのは初めてです。
京都の夏は厳しいですが、ちょっと工夫して満たされるような撮影を楽しむことができました。
次はこの近くの圓光寺ですが、後日にnoteいたします。