1つのことにかけた時間、40歳を前に感じる友人との差。
久しぶりに高校からの友人と再会した!
高校からの友人
卒業後もとても仲が良くて、仕事が終わる決まって駅前に集合した
世の中のことを何も知らない10代
夜の街に車を走らせながら多くの夢を語り合った
時には怖い人に追いかけられたこともあった・・
人様にこそ迷惑をかけていないつもりだが、好き勝手やっていた
ふたりの分かれ道
それから21歳の時
僕はプロキックボクサーになるという夢を追いかけて県外へ
友人は親の建築会社の3代目で、ずっと建築の仕事に携わっていた。
23歳になり、ようやく僕はプロになるという夢を叶えた。
しかし、プロデビューを果たした後
僕の心はキックボクシングからは離れて、何かの糸が切れてしまったかのように仕事を転々としていた。
28歳の時に、やっと次の夢が見つかり准看護師の学校へ行く。
卒業後は精神科の病院で7年働き、現在は正看護師になるため38歳で通信制の看護学校に通っている。
40歳で正看護師になる予定だ。
正看護師になれば仕事の幅はかなり広がる・・!
しかし、その後の夢はいまの段階では描けていない・・というのが僕の今の姿である。
友人の進んだ道
友人の話に戻るが、友人は建築会社で現場の職人として、また現場管理者として、そして会社経営者として働き続けてきた。
彼は18歳から建築を初めて、現在20年になる。
建築の仕事というが、最近では家が建つことは少なくなり、もっぱら家の解体仕事の方が多いようだ。
そんな中、約5年前に岡山県で災害が起こった。
大雨で河川が氾濫して多くの家屋が水に浸かった。
その時に友人は、災害現場へ家屋の解体の仕事へといった。
ちなみに当時の僕は、前の病院を辞めて各地を旅して回っていた時期だったので応援という形で友人の会社に入って仕事をさせてもらったことがある。
あれから5年が経ち、現在の友人はというと
令和5年に石川県で起こった地震の被災地へ
災害復興のため家屋の解体仕事へと行っている。
ちょうど先日、久しぶりに鳥取に帰って来ていたので会って話をした。
石川県の災害は、僕の知っている岡山の災害の比でなく酷い状況らしい。
地震で全ての家が倒壊している
解体しても、解体しても終わらない‥
全ての解体が終わった頃には、街ひとつが何もない状態になるという。
ただその日が来るのが何年先になるのか‥とにかく今は眼の前の現場を1つ1つこなしているという状況のようだ。
最近ニュースで報道されることはないが、災害発生から1年以上経ったいまでも被災地はそのような現状だという
大規模災害のうえに、解体業者の人手不足
解体の仕事というのは、僕の経験上とても過酷なものだ。
ただ友人は慣れてしまえば、なんてことない。会社としては仕事が終わらないのは有難いことだという。
それに、地元で仕事をやり続けるよりもずっと儲かると話す。
ただ、そこまでの準備には苦労があったとか・・
石川県へ出発するまでは、機材や資金、人材の調達に奔走していた。
大きな現場のため、そこで仕事をするには必要な資格もあり、県外で講習を受けなければならないものもあった。
あまりに忙しそうなので、さすがの僕は声をかけられずにいた。
遠く知らない地へ行って、仕事をするというのは何もかもが大変である。
仕事が落ち着いた今だからこそ、友人は笑って話してくれた。
会って1時間ほど話をした
僕と友人の距離
僕は友人と別れた後、言葉が正しいか分からないが大きな距離を感じた
20代の頃は同じようなところを歩いていたはずなのに、いつの間にか友人がとても遠くへ行ったような‥
とても自分が小さい存在のように感じた。
そして、気付いたことがある!
僕と友人との間に感じた距離は努力の差なのだと
1つのことを突き詰めて仕事してきた友人!
かたや仕事を転々として、30代で准看護師としてスタートし、今まだ発達途中の自分
自分の為に言っておくが、僕は決して仕事を怠けていたという訳ではない。
ただ、その仕事をしてきた過程の中で、友人は現場仕事のあとに夜遅くまで事務仕事や会議をしていたのを僕は知っていた。
その間、僕は定時になれば遊びに出掛けていた。
圧倒的に仕事に携わってきた時間、自分の仕事にかけてきた時間が違う。
それは岡山に応援で行った時に、近くで友人の仕事を見ていたから分かることであり、今だから感じることでもある。
湧き上がる感情
久しぶりに友人と会って感じた、自分の小ささ
それと共に、心の奥底から湧き上がってきた感情・・
負けたくねー!
人生、何が勝ちで、何が負けとかないけどさ
負けたくねーよな!
まじで思った!