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#08 空域封鎖、日本に帰れるかな?
2022年2月26日。戦争が始まって3日目。市内では厳重な警備が続き、デモを力づくで抑え込もうとする政権側の意図がありありと読み取れた。この日、ウクライナで総動員令が発令され、18歳から60歳の男性は出国が禁止される。同僚のアントニオの義理の弟は出国するチャンスを逃してしまったそうで、彼の失望と苛立ちといったらなかった。
明日何が起きるか分からない。ロシア軍が向かって来ているとのニュースを未明に聞いて、身の回りの物だけ持って国境へ急いだ人たちの困難はいかほどのものだっただろう。ウクライナでは多い時には一千万人を超える人々が故郷を追われた。アントニオの義弟は総動員令が出させることを予期できなかったのだろうし、自分が徴兵される可能性をどのように受け止めたのだろう。あまりにも多くの人々の運命と平穏な日々の営みが、何の予告もなく、そして容赦なく、変わった。
妻は夏からのモスクワ生活を楽しみにしていたので、ウクライナ侵攻のニュースに愕然としていた。彼女は僕のことを心配してくれて、大丈夫だから、と言っても、とにかく無事にいて欲しいと願ってくれた。心配してくれた友人らも、お前モスクワで大丈夫か、警察とデモ隊が衝突したらしいじゃないか、いつ帰国するんだ等々、連絡をくれた。モスクワは戦場ではないので、砲弾が飛んでくる心配も、空襲警報が鳴って地下壕にもぐってやり過ごす必要もない。ただ、情勢が流動的で心配すべきこととはたくさんあった。欧米と日本の大使館は、ロシアへの渡航を見合わせるよう警告していたし、ロシアに滞在している場合は商用機が就航しているうちに出国するよう勧告していた。
JALのモスクワ便は侵攻開始当日からキャンセルされていた。ANAもこれに続く。EUが空域のロシアの航空機に対して封鎖し、ロシアもこれに対抗したため、ヨーロッパとロシアを結ぶ空港便は瞬く間になくなった。2月27日にモスクワの主要空港の発着案内を見たとき、欧州便が全くなくなっていた。3月初旬までアエロフロートが成田便を継続していたけれど、これも運航中止になった。
新冷戦と東西の壁、そんな言葉が脳裏をかすめて、自分が壁のこちら側に取り残されて、家族と切り離されてしまうかのような不安が募った。
未来のことは予見できない。戦争に反対するデモと、治安部隊の対立が先鋭化したらモスクワ市内の情勢はどうなるのだろう。ロシアと西側諸国の亀裂が決定的に深まったら何が起こるのだろう。そうした心配事の多くは杞憂で終わったわけだけれど、当時の僕は深い霧の中を彷徨っているようなものだった。
戦争が始まって最初の週末は、いざという時にどうするかを考えるのに随分時間を費やした。市内の情勢が不穏になったら、郊外のホテルに宿を変えよう、とか。いざ国外退避となったら国連が職員の移動手段を用意してくれるだろうけど、夏に一時帰国する際は自分で手段を見つけないといけない。サンクトペテルブルグからフィンランドまで電車やバスで行けること、トルコ航空といくつかの中東の航空会社がモスクワ便を継続していることが分かったが、いつまで運行が続くのだろうか。飛行機が飛ばなくなったとしても、広大なシベリアを国内線かシベリア鉄道で横断して、ウラジオストクまで行けば日本行きの船があったはずだ、とか。とにかく、いろいろ情報を探し集めた。