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#02 新しい生活を始める
土曜日のお昼過ぎにモスクワ市内のホテルにチェックインした。少し休んでから、靴下を二重に履き、ダウンコートのジッパーを首まで上げて、寒くないようにして外に出てみた。どんよりとした曇り空と、頬に刺すような寒気は、見知らぬ街にたどり着いた僕が歓迎されているように感じさせるものではなかったけれど、気後れしているわけにもいかなかったし、融雪剤で雪が半分解けていた道を大通りに沿って少し歩いてみた。
歴史と、権威や威厳を感じさせる重厚な建物のファサードを眺めながら、この国の過去に思いを馳せてみた。帝国の時代と、ロシア革命、共産党支配を経て、ソ連の崩壊。この街は数奇な歴史を辿ってきたし、その重みを肌で感じるようだった。物珍しさに携帯で写真を撮ってみたけれど、写真を撮るたびに厚手の手袋を外すのが少し煩わしかった。
銀行のATMで現地通貨を引き出してみたり、携帯電話のSIMカードを買ったり、近くのスーパーで買い物したりと、当面の用事を済ませた。僕はロシア語ができず、携帯ショップのお兄さんは英語が出来なかったけれど、親切な現地の人が通訳してくれたおかげで、現地の携帯番号が使えるようになった。
日曜の朝にホテルから地図を頼りにオフィスまで歩いて行ってみた。クレムリンにほど近く、町の中心部にあるオフィスの周りは、高級ブランドのブティックが軒を連ねていて、日本でいえば銀座のような場所だった。あまり自分には縁のない店ばかりだけど、気分を高揚させるには十分だった。
昼食に立ち寄ったレストランは、外からは分からなかったが、自分の服装が場違いであることを理解するのに数分とかからなかった。こういう場所で食事をする人は、厚手のコートに下にシックな服を着ることになっているらしい。それでもロシア料理を食べてみたかったし、アイロンがよくかけられた白いテーブルクロスの席について、メニューを眺めてみた。
街はきっと普段通りで、緊張も、不安も、憤りも何もなく、ただただ日常だったように思う。この4日後に平穏な日常が失われたわけだけど、そんな前触れは何もなかった。