「大好き」が生み出す光と闇 キラキラ☆プリキュアアラモード感想
先日、YouTube上で期間限定無料公開が行われていたキラキラ☆プリキュアアラモードを全話見終えたため、その感想を簡単にではありますが、備忘録的に書き残しておこうと思います。
自分は昨年、友人と一緒に『映画プリキュアオールスターズF』を観たのをきっかけにプリキュアを知ったばかりで、それ以前は幼少期も含めて一切プリキュアに触れたことは無かったため、今回のプリアラが初めて完走したプリキュア作品となります。それゆえプリキュアに関しては全くのにわかファンであり、解釈の浅い部分や知識の不正確な部分もあると思いますが、ご容赦下さい。
また感想を書くに当たって、めちゃめちゃネタバレになる内容に触れまくっていますので、ご理解の上で読んで下さるとありがたいです。
キャラクターについて
プリキュアたち
まず主要な登場人物であるところの6人のプリキュアたちそれぞれについて、自分なりに所感を書いていきたいと思います。
最初は、主人公の宇佐美いちか/キュアホイップについてです。1話で初めて彼女を見た時は天真爛漫で心優しくて元気で……と、ありがちな児童向け作品の主人公だなというのが正直な感想でした。もちろん実際そういう性質も備えているのですが、話数が進んで行くごとに、彼女は年齢不相応なほど大人だと思わされることが多くなりました。状況や相手の心情に聡く責任感がある、一言で言えば凄く人間ができた子だと感じます。あと全然関係ないんですけど、後半にかけて表情が大人びてきてから、お母さんに顔がよく似てきて凄く良かったです。
有栖川ひまり/キュアカスタードは、個人的に1番好きな登場人物になりました。好きな事の話になると相手の反応が目に入らず延々と早口で語ってしまう一方で、人気のテレビなど一般的な話題には疎いせいで、長らく友達ができず引っ込み思案になってしまってというくだりが自分と被るため、彼女の個人回はどれも自分事のように共感して観ることができました。それだけに13話や28話を経て成長し、終盤にかけて見違えるほど格好良くなった彼女の姿は自分にも勇気を与えてくれました。
また立神あおい/キュアジェラートも、とても魅力的な人物です。お嬢様でありながらロックシンガーという相反する属性を上手く調和させているところが最高なのは書くまでもないことだと思いますが、それらが単なる雰囲気付けに留まらず、本当に音楽に真摯に向き合っている様子が個人回ごとに強く伝わってくるのに引き込まれました。というか彼女の個人回はどれも、作中でも特に話の密度が濃かった印象です。プリアラという作品の中にワイルド・アジュールを主役とする1クールアニメが組み込まれてると言って良いほどです。
琴爪ゆかり/キュアマカロンはオルFで主要人物に選抜された一人だったため、作中で唯一視聴前から何となく印象があった登場人物です。その印象というのはツンとすましたクールなお姉さんといった感じで、実際に初登場回の5話や10話ではそのイメージ通りの性格だったと思います。しかし物語が進んで行くに連れてそうではない側面、弱みや寂しさ、優しさや甘えたがりの一面が見えてくるようになりました。特に留学することをキラパティメンバーに打ち明ける45話で、いちかに対しての「ぎゅっとして貰って良いかしら」や中学生組3人と優しく抱き合う描写は必見ですね。
そして序盤からいるメンバーとしては最後となる剣城あきら/キュアショコラですが、彼女は最後まで利他の人であったなというのが、全話見終わっての印象です。彼女の自己犠牲とも言えるほどの献身については、それは良くないよねという展開にどこかで持っていくのだろうと思っていてのですが、それこそが彼女自身がやりたいことでもあるんだという結論で締めたのには素直に感心させられました。徹頭徹尾プリアラメンバーの心強い年長者格として、また頼もしく素敵な姉としての姿を見せてくれました。ちなみに変身バンクもめちゃめちゃ格好良くて好きです。 最後に追加キュアである、キラ星シエルことキラリン/キュアパルフェです。圧倒的なスイーツ作りの技術を持った実力者であり、ペコリンと共にOP映像に映ったりとマスコット妖精枠でもあり、思いやりに溢れた愛情深い姉でもあるなど多彩な側面を持つ人物ですね。弟のピカリオとの関係だけでなく、20話で何だかんだ言いながらいちかの同行を許しているところだったり26話でビブリーに手を差し伸べたり、全体的に姉属性というか年上属性のようなところがあると思います。高校生組にいても良いくらいの包容力ですが、本人は人間年齢13歳なんですよね。そこも好きです。
その他の人々
その他のキャラたちについても、簡単に書いておきたいと思います。
まずペコリン/キュアペコリンですが、本当に終盤にかけて輝いた登場人物でした。個人的に一番ぐっときたのは、47話でキュアペコリンに変身する前までの展開でしょうか。元々こういう、非力な立ち位置の存在が勇敢に敵に立ち向かう話に凄く胸を打たれてしまうたちなのですが、相手が巨漢のグレイブですから彼女の視点だと特に怖かっただろうになどと考えると涙腺にもろに来てしまいます。ですが思い返せば終盤に急に覚醒したわけではなく、1話でいちかのケーキを守るためにガミー相手に奮闘したところからずっと、彼女の勇気は変わっていなかったんですよね。
そして黒樹リオことピカリオ。彼も終盤にプリキュアを助けに来たときは、本当に熱い展開でした。ルミエルの力で蘇っているわけですし、実質プリキュアみたいなものですよね。彼の魅力は、ジュリオ時代からずっとそうですが、悪役っぽく振る舞おうとするもののシエルやいちかにペースを奪われてどこか調子を狂わされてしまうところだと思います。あとは16話で、ゆかりの嘘にまんまと嵌められるところとか。可愛いですね。
味方になった敵幹部という繋がりでビブリーについても書きたいのですが、彼女に関しては初登場時からインパクトが凄かったです。ゴスロリぱっつんツインテールで目つき悪くて凄いドスのきいた声で口が悪い女の子とか、こんなの嫌いな人いませんからね。味方になってからも、37話でパリに帰るかいちご坂に残るか悩むシエルに「自分のやりたいようにやれば良い」と言い捨てたり、最終話でみんなが各々の夢のために別々の道を選んだ結果キラパティがバラバラになっていくことを指摘したり、言いづらいことをズバリ言ってくれるので痛快です。
他にも書きたいキャラは沢山いますが、最後にノワールとルミエルについて書いておきたいと思います。ノワールの目的や正体はずっと謎でしたが、まさかあんな痴話喧嘩みたいな動機だとは思いませんでした。とはいえ彼が「許されない罪」を犯してきたという話とプリアラ放送年の2017~2018年の100年前といえばちょうど第一次世界大戦の末期であること、ノワールはフランス語ですから彼はフランス人だと推測できる点などを勘案すれば、筆舌に尽くしがたいほど凄惨な体験をしてきたことは想像に難くありません。そんな中で出会ったルミエルは、ノワールにとってきっと相当に大きな存在だったのでしょう。生まれ変わった今度こそ、仲良くして欲しいと心から思います。
コンビ・カップリングについて
個別の登場人物たちについて言及したところで、次はその関係性、コンビやカップリングについても感想を書いていきたいと思います。
最初は主人公のいちかに関するものから、ということでリオいちです。リオいちは、ピカリオ(というかこの時はジュリオ)初登場回である12話からジュリオとの最終決戦である17話まで及び22話、23話からなる前半と、彼が蘇った39話以降の後半に分けることができるでしょう。ただ後半はキラピカ姉弟の絡みの方がピカリオを取り巻く話の中心軸だった感があり、リオいちに関して語るべきは物語前半かなという気がします。
前半時点ではジュリオは、あくまでいちからのことを実験対象としてしか見ていないというのが基本スタンスですが、17話でいちかに「君のお母さんは勝手だ」と迫った際の言葉はかなり本心からでたものだったのではないかと思います。姉に顧みられなかった自分といちかを重ね合わせて哀れみ、自分と違い母親の事を素直に応援する彼女に苛立ち、実験対象と言う割には心を動かされまくっていますね。上述の通り、彼のそういうところが好きです。一方でいちかのほうからの感情はどうかという話になると、これはネットで知った情報なのですが、17話の公式LINEでそれについて書かれていたようですね。全ては引用しませんが、冒頭の「『大嫌い」』。友達に言われた言葉なの」がもう彼女らしさというかいちかの優しさを表していますね。友達だと思ってたのに敵だった、騙された! ではなく、あくまで友達として「私ができることって、何なのかな・・・」という言葉がでてくる。こういう相手の立場を真っ先に慮れるところが、本当に素敵だなと思います。
そして、個人的に一番好きになったコンビ、カプがあおひまです。どちらかと言えば中学生三人組としていちかも含めて描写される事が多かったと認識していたので、35話でいきなり告白し出して驚きました。引っ込み思案で几帳面なひまりと堂々としていて雑な部分もあるあおいの二人について、正反対だけど好きなもの(スイーツ作り、音楽)に対する真摯さは同じだよねという結論に持っていったのはなるほどなという感じです。また普段はガサツな印象が強いあおいがマナーに関してひまりを手助けしたりしたり庇って謝ったりし、臆病なひまりがあおいを悪く言う大人たちに立ち向かうという35話の構図も、展開としてとっても綺麗でした。またこの二人に関しては、デュエット曲の『しあわせ☆フレーバー』について語ることも忘れてはいけません。この曲は本当に端から端まで多幸感が詰め込まれているのですが、中でもラップパート? のようなところで普段よりテンション高く楽しげに歌っているひまりの可愛らしさは例えようがありません。
あきゆかに関しては、もはや言うまでも無いでしょう。数え上げれば切りがありません。ゆかりとの結婚を巡ってあきらがナタ王子と勝負し、その最中にゆかりが自身の弱さをあきらへ吐露する25話がそのピークであることは明らかですが、その他の場面でも随所でとにかく、二人だけ湿度の違うやりとりが展開されていました。45話であきらが言った、「綺麗だよ、ゆかり」とかですね。一応ゆかりが作ったマカロンへの感想という事にはなっていましたが、視聴者の中にそう捉えた人はいないでしょう。孤高の存在でいるように見えて実は孤独を感じているゆかりと、誰にでも手を差し伸べ真摯に向きあおうとするあきらの相性は必ずしも良くはないのですが、すれ違いや衝突の果てに最高の関係性が構築されていったと思います。そして、こうした二人の想いや関係は、デュエット曲の『愛とときめきのマカロナージュ』に全てが詰まっていると言っても過言ではないですね。最初聞いたとき本当にびっくりしました。児童向けか……これが……?
シエルに関してはキラピカ姉弟の方を書こうか悩みましたが、ここではシエビブについて書いていこうと思います。そこが繋がるんだと、26話で最初にシエビブが提示された時は驚きましたが、考えれば考えるほど良い間柄の二人だと納得してしまいました。孤独を抱えたビブリーと彼女と繋がろうとするシエルという構図は、ある意味ではあきゆかに近い関係です。しかし孤高の存在であったゆかりと異なり、ビブリーはノワールへの依存によって寂しさを埋めようとし、また元々気配りができて献身的なあきらとは違って、シエルは弟が感じていた負い目に無関心であったばかりに彼を失っています。あきゆかと比べると不器用な二人ならではの、また違った味わいのあるやりとりがこちらも素晴らしいです。普段は「働かざる者」などと言ってシエルの方がお姉さんらしく主導権を握ってるようで、パリへ帰るか悩んでいる時やグレイブ戦の時など、窮地の際はビブリーの活躍も目立つのが名コンビという感じです。
その他のコンビ、カプについても、少し書いておくことにします。リオいち、あきゆかが素晴らしいのはもちろんのことですが、しかし、あきいちにも捨てがたい魅力があることは間違いありません。第6話からして最大火力の感がありますが、44話では一緒に勉強したりと、その後もよく絡みがある二人です。あきいち回である36話では恒常的に一緒に帰っていることも判明し、アニメで描写された範囲外での接触時間がめちゃめちゃ長いことは想像に難くありません。大切な家族である母、妹と一緒にいられないという寂しさを共有する二人ですから、通じ合えるものも多いと思います。そして水あおですが、こちらもあおひまに負けない良さがあります。やはり長い間一緒にいる上に年齢差もあって、あおいの事をよく理解している水嶌ならではの言動が、作品の随所で光っていました。彼は成長のため必要な厳しいことを言ってくれる人物でもあり、例えば27話でライブバトルに敗北したあおいに対して放った「憧れの人と同じステージに立てただけでも最高の思い出」など、キラパティメンバーでは中々果たせない役割を負ってくれる立ち位置でした。
楽曲について
コンビ、カプについて書くときにデュエット曲について多少触れてしまったので、ここでプリアラを彩ってくれた楽曲に対しての感想も書いておきます。
一番に触れるべきはやはり、オープニング曲の『SHINE!! キラキラ☆プリキュアアラモード』でしょう。この曲は出だしの「ボン・ボン・セシボン……」の部分のリズム感がもう良くて、そこだけで引き込まれてしまいました。それに歌詞の各所に見られるフランス語といい、AメロとBメロの間などで特に活躍する金管楽器なども含め、曲全体がヨーロッパ風でとてもお洒落な雰囲気になっているのも素敵です。こういう曲を聴くときに吹奏楽部だったりクラシックに造詣が深かったりすれば、何の楽器か分かったりして楽しいんだろうなと思います。僕は全くの無知なので、解像度の低い理解しかできなくて悔しいですが。
次に前期エンディングの『レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム』ですが、こちらも聴いているだけで弾んだ気分になる名曲ですね。エンディング曲は前後期でそれぞれありますが、個人的にはこちらの方がより好みです。そしてこの曲を語る上で外せないのは、~キラキラ☆パティスリー・バージョン~の存在でしょう。歌詞の間に挟まる沢山の合いの手が楽しいこの曲ですが、合唱バージョンだとそれぞれの登場人物ごとに個性があって面白いです。元の歌詞だと「来週、また会いましょう(バイバイ!)」となっているところが、シエルの「サリュー!」になっているとか、「フォローしてね(人任せ!?)」である部分がいちかの「なんですと!?」になっているとかですね。聴いていると、キラパティメンバーたちがわちゃわちゃとスイーツ作りに興じている場面が目に浮かびます。
続いて後期エンディングの『シュビドゥビ☆スイーツタイム』です。こちらも楽しげな曲なのですが、クッキンショータイムとは違ったお洒落というかスタイリッシュな雰囲気があって、こちらも独特の魅力があります。映像も素敵で、小気味良いテンポの曲調に乗せてプリキュアたちがキレキレのダンスを披露してくれるので、見ていてとても気持ちよいです。特にBメロの、あきらというかショコラのダンスが最高ですね。あとダンス以外だと、「ギミギミギミって」の部分のカスタードの表情がめちゃめちゃ可愛いです。エンディングが3Dのダンスなの、凄く良いですよね。今までそういう作品を知らなかったので、驚かされました。
キャラソンにも触れたいので、まずは『ダイスキにベリーを添えて』についてから書いていきます。この曲はおそらくほとんどの人が、実写製菓パートのテーマという印象だろうと思います。特に1話の冒頭でいきなりこの曲と共に実写でケーキを作り始めた際は、見ていてびっくりしました。しかしフル尺で聴いてみると、1番がスイーツ作りのパートで、2番以降はよりいちかの心情に踏み込んだ歌詞であることが分かります。どこも好きですが、「凹んだり悩むたび、元気をくれたのはマイ・スイーツ」という歌詞は、プリアラの物語を端的に、かつ的確に表していますね。またこうして一人で歌っている曲を聴くと、いちかの歌声は芯があって、こういう前向きな歌にぴったりだと思わされます。
そして『プティ*パティ∞サイエンス』ですが、もうこの曲に関しては可愛いとひたすら連呼するのを感想にしたいくらい、とにかく伴奏から歌詞から歌声から何もかも愛らしい曲ですね。そもそも最初の最初から、小さくてすばしっこいリスモチーフのひまりを思わせる、軽やかで疾走感のあるイントロが最高です。その後のAメロBメロも、リズムはもちろんのこと、歌詞もとにかく可愛いんですよね。しかも、これはこの感想を書くために改めて歌詞を文面で調べて初めて気づいたのですが、表記が「お菓子作りましょう♪ レッスンしましょう♪」とか「変わり者だとか↓ 小さいねとか↓」というように約物がいちいち着いているんですね。こういう細かい部分からもひまりの感情が伝わってくるようで、読んでいても楽しい気分になります。
端から端までひまりらしさが詰め込まれた歌詞で、丸ごと引用したいくらいですが、その中でも一箇所抜き出すとすれば「小心者ですが、すばしっこいとこ、私の隠し味です。ちゃんと煮詰めたら、ほんのりコクが出て、仲間引き立てます」が個人的には非常にお気に入りの部分です。彼女は変身回でも単騎で敵を撃破したわけではありませんし、単体でも戦闘能力がさほど高いわけではありません。また言動としても積極的にキラパティメンバーを引っ張るわけではないので、個人回を除けばどんどん前に出て活躍するという印象は薄いところがあるのではないでしょうか。しかし必殺技のカスタード・イリュージョンは他のプリキュアへの援護射撃や敵の掃射攻撃を相殺するなど、プリキュアたちの戦闘に欠かせない役割を持ちますし、ひまり自身もレシピや分量を解説してスイーツ作りを主導することで、キラパティに多大な貢献をしていることは疑いようもありません。上述の歌詞は、どんどん目立っていくわけではないけれど仲間たちの手助けを各所でこなす彼女のあり方を、カラメルソースに例えて短く綺麗にまとめた名文だと思います。
また、ひまりの母音を強く発音するような、弾けるような高揚感が込められた歌い方も引き込まれます。上述のしあわせ☆フレーバーといい、作中でのおどおどした言動に対して彼女の歌はどれも楽しげで、聴いていると自分も明るい気分にさせられます。
あおいのキャラソン『青空Alright』は、彼女のエネルギッシュな歌声と突き抜けるような爽快感のあるメロディがその最大の魅力ではないでしょうか。そして、1番のBメロなど顕著ですが、パワフルな歌声の中にもどこか語りかけるような優しさも感じられて、ギターが唸るような曲調の割には穏やかな雰囲気もある曲だと思います。特にサビなど伸びやかな印象を受けますが、だからこそ2番の冒頭「Yes, 失敗なんて、恐れずTry again. 気にしてちゃ始まんないよ……」から始まるAメロのテンポの良い歌い方が引き立ち、全体として冗長な感じは受けません。歌詞について考えると、1番はあおい自身のことを歌った部分であり、2番ではそれを受けての聴き手に向けたメッセージではないかという気がします。「いつか貰えた大事なカケラ」なんかは、かつて聴いたガナッシュのライブであり、いちかに差し入れされたアイスのことなのかなと感じます。
こうした中学生組のキャラソンと比べると、ゆかりの『CAT MEETS SWEETS』はまたガラリと印象が変わります。ゆかりのキャラソンは優雅な感じかなと考えていたのですが、イントロからアップテンポの曲だったので個人的には意外でした。キャラソンは初登場回から挿入歌として使われていたと思うので、ゆかりの性格の中でもどちらかと言えば、気まぐれでクールなお姉さんという側面が強調されているのかなと思います。作中でも一人だけジュリオの策略に嵌められなかったり、そうしたゆかりの強キャラ感みたいなものがよく表されていると思います。そして歌詞については、深く考えると狂わされますね。耽美的で情緒たっぷりの文面を見ると、未だに多くのオタクがゆかりの虜になってるのも分かる気がします。
同じくあきらの『ショコラ・エトワール』も、中学生組とは違って情感溢れる雰囲気を纏っています。ラテン調というのかタンゴ調というのか、音楽に無知すぎて自分では言語化が難しいですが、あきらの格好良さによく合った伴奏が本当に素晴らしいです。変身バンクのBGMなどもそうですし、全体的にあきらに関する音楽は南欧風な情熱感のある方向性でまとめられていますね。歌い上げるような力強い歌声も、民族調のメロディとよくマッチしています。歌詞もめちゃめちゃ良くて、情緒的という言葉を使ってしまうと『CAT MEETS SWEETS』と似たような言い方になってしまいますが、よりストレートな表現になっています。「沢山の幸せを混ぜて固めたら、キミに贈るよ」だからな……。ですが恋愛的な話にも取れる一方で、妹のみくへのメッセージと考えても結構しっくりくるのが憎いところです。
キャラソンの最後になるのは、シエルの『虹色エスポワール』です。先述の通り自分はオルFをきっかけにプリキュアを観始めたので、最初に触れた作品はひろプリなのですが、そのオープニング曲『ひろがるスカイ!プリキュア ~Hero Girls~』にも似た爽やかな開放感があり、とても好きな曲です。まあ両方とも空モチーフですしね。ただこうした曲調の中にある、2番冒頭の「もしも誰か泣いてても……」から始まる部分だけがシリアスなピアノパートで、彼女のスイーツに対する切実で真摯な感情を反映しているかのようです。そして、この曲にはもう一箇所とても好きな部分がありまして、それがラスサビの「キズナの糸を結んでRe-born」という歌詞です。こちらも『プティ*パティ∞サイエンス』の時と同様に歌詞を文面で見て初めて、単なるリボンではなくRe-bornとなっていることに気づきました。彼女がピカリオの想いも背負ってキュアパルフェに覚醒したことを、リボンとre born(生まれ変わる)のダブルニーミングで表現している歌詞、本当に天才です。
全員のキャラソンついて言及できたところで、もう一つ『勇気が君を待ってる』についても書いておきます。
これは大変思い出深い曲ですし、おそらく多くのプリアラファンにとってそうだと思います。ここ一番という時には、必ずこの曲が挿入歌に使われました。膝をついていたプリキュアたちが立ち上がり、イントロのバイオリンが流れてくると、勝利確定演出です。それだけあってとにかく激アツ曲で、聴いていると自分も勇気を貰えるようです。これもまた、歌詞が良いんです。特に自分が好きなのは、歌い出しが「さあ、立ち上がって、立ち上がって」で、1番のサビ前に「諦めないで」、サビでも「歩き出して、歩き出して」、「走り出して、走りだして」と、この曲はずっと応援するかのように「~って」という言い方を多用する歌詞なんですね。そしてラスサビの入りで、盛り上がった伴奏が一瞬やんで、歌い出しが「諦めないよ」からラスサビが始まります。これがアツいんですよね。ベタではありますが、こういうのが嫌いなオタクはいないと思います。
テーマについて
登場人物それぞれの「大好き」
プリアラという作品のテーマが何であるのかについては様々な解釈があるところだと思いますが、「大好き」が作品において重要な言葉の1つである事は間違いないでしょう。「『大好き』が一番のマストアイテム」というOPの歌詞から最終盤47話の舞台となった「大好き」が消えてしまった世界まで、一貫して「大好き」がプリアラの登場人物や物語の核になってきました。
これを踏まえてプリアラの物語を思い返すと、プリキュアたち6人それぞれの歩み、特に個人回は、制作陣から視聴者への「大好き」にまつわるメッセージや問題提起であるようにも感じます。
ひまりとあおい、中学生二人の物語が分かりやすいでしょう。彼女らはスイーツ作りと音楽という明確な「大好き」を自分の中に持っており、しかし作中で様々な壁にぶつかります。それでも自分の「大好き」を見失わず、勇気や努力を重ねて困難を打破していきます。「大好き」を持っていると色々な障害が立ち塞がることもあるけれど、それらに負けず「大好き」を大切にして欲しいという制作陣の想いが、彼女らに関する描写には込められていると感じます。またひまりの場合は主に、自身の話しすぎてしまう悪癖や気の弱い性格が障壁となるのに対して、あおいの場合は執事の水嶌による不理解やバンドメンバーの脱退による解散の危機が困難として現れる対比も面白いです。ひまりは内的要因が「大好き」の壁となる場合、あおいは外的要因の場合をそれぞれ表現していると言えそうです。
これに対して高校生組の二人、ゆかりとあきらに仮託された問題はより複雑だと思えます。ゆかりの場合は何でもそつなくこなせてしまう故に「大好き」なものが見つからない、あきらの場合は周囲の人々、特に妹であるみくを気遣うことが優先で自分の「大好き」に打ち込めないという状態です。つまり明確な「大好き」を持てない中で、どのようにそれを探していけば良いのかという部分に焦点が当てられています。またこちらでも、ゆかりは内的要因、あきらは外的要因という対比も描かれていますね。
誰しも幼い頃は電車とか恐竜とか、あるいは絵を描いたりスポーツをしたり「大好き」を自然と持っています。しかし高校生くらいになって将来の進路などを考えるようになると、自分のやりたいことが分からないという人も少なくありません。幼い中学生組には抱いている「大好き」に関する物語、成長した高校生組には「大好き」を見つける物語をそれぞれ当てはめるという物語の作り方は、とても示唆に富んだものだと思います。
このように、「大好き」の有無とそれに関する障害の要因によって綺麗に整理できる4人と比べると、主人公のいちかと追加キュアであるシエルの足取りに込められたメッセージは明確ではありません。より人それぞれに解釈がある部分だとは思いつつ、個人的に感じ取ったことを書くとすれば、「大好き」を一つに絞れない時に何を一番大切にしたら良いのかということではないかと思います。そしてそこから派生する問題として、自分の「大好き」が誰かを邪魔したり傷つけてしまう時にどうすれば良いのかということも取り上げられています。
まず前者についてですが、シエルは37話でスイーツ作りの本場とも言えるパリに帰って腕を磨くか、いちご坂に留まってキラパティメンバーとスイーツを作り続けるかという選択に迫られます。またいちかは最終話でいちご坂に残ってキラパティを守っていくか、母親のように世界中を巡ってスイーツで人々を繋げるかという迷いを抱えます。
その際のいちかの台詞が象徴的ですが、別に彼女らは無理やりパリに連行されそうになったり嫌々キラパティに縛り付けられているわけではなく、片や広がる夢であり片や手の中の大切なもの、どちらも捨てがたい選択肢です。ただしこちらも、シエルはいちご坂に留まりいちかは世界へ飛び出すというかたちで対比的な結論が引き出されているのが印象的です。こうするのが正解という答えを出さずに、どちらの結末も視聴者に提示する姿勢はとても素敵だと思います。
そして後者についてですが、1話や17話、31話で表されたように母親に対するいちかの想いは、寂しさと応援したいという気持ちが入り交じった複雑なものです。本当は涙を見せたいにも関わらず笑顔で母親を送り出そうとする31話に象徴的ですが、彼女は母親への愛情、甘えたいとか引き留めたいというような気持ちを、母親の活動を妨げてしまうものとして封印しようとしている節がありました。そしてシエルの場合は、より分かりやすいですね。スイーツ作りに打ち込む熱情と成果が、弟のピカリオに引け目を感じさせ闇堕ちにまで追い込んでしまいます。それを後悔したシエルは23話では逆に、弟のためにスイーツ作りを捨て去ろうとします。
今回の場合も、母親へ甘えたい気持ちと母親を応援したい想い、スイーツ作りに懸ける情熱と弟への愛情はどちらも大切なものです。抽象化すれば、自分の持つ「大好き」と「大好き」な他者を天秤にかけなくてはいけない場面に関する問題と言えるかもしれません。
「大好き」とどう向き合うか
ここまで6人のプリキュアそれぞれに込められた「大好き」にまつわるメッセージや問題提起を見てきましたが、ここからはプリアラの物語が全体として、「大好き」に関してどのような事を伝えようとしてくれているのか、個人的に思ったことを少し書いていきたいと思います。
プリアラではたびたび、登場人物の抱える孤独や寂しさに焦点が当てられていたと思います。母親と会えないいちか、友達がいないひまり、家族の不理解に直面するあおい、数え上げれば切りがありません。プリキュアたちだけでなく、ピカリオやビブリー、グレイブもそうですし、そもそもノワールがルミエルに拒絶されたところから全てが始まりました。そしてエリシオが作中でも指摘していたように、これらの孤立やすれ違いはみな自分の夢や興味、つまり「大好き」によって引き起こされていると解釈できるでしょう。
こうした「大好き」が持つ負の側面を象徴する存在の一人が、ピカリオ、というかジュリオではないかと思います。キラキラルをうばう存在たちは全員そうだとも言えますが、彼の場合は特に、22話でそのことが直接いちかによって指摘されています。本当に痛いのは「大好き」な姉に認めて貰えなかったピカリオ自身の心、この闇の力は全部「大好き」な気持ちの裏返しってこと、というように、物語中ではジュリオの闇が「大好き」の気持ちに端を発するものだという言い方でした。「大好き」があるからこそ、それが転じることで深い闇にもなってしまう。こうした「大好き」の負の側面についても、プリアラは描き出そうとしていました。
この問題に対する一つの回答が、ならば「大好き」のない世界を作れば解決できるというものであることはエリシオが行ったとおりです。ただこれは自分には、単にエリシオが引き起こした超常的な現象というだけでなく、現実世界でも多くの人が選び取る選択肢の比喩的な表現であると感じられました。要するに、自分の「大好き」を押し殺すことで孤独を埋め合わせる行為です。小学生の頃のひまりはスイーツの話をやめて、流行のテレビ番組の話や同級生の噂話に参加していれば、普通に友達ができて楽しくやれていたかもしれません。あおいはロックに手を出さず、お嬢様らしく上品な趣味を持っていれば水嶌と対立することはなかったかもしれません。そうやって自分の「大好き」とは関係ない流行や規範に身を委ねることで孤立や衝突を避けるというような選択は、おそらく多くの人が成長する中で経験する出来事ではないでしょうか。
これに対してプリキュアたちが出した答えは、あくまで「大好き」があるから人は繋がっていけるというものでした。「大好き」はいくつもあるから、何か1つの「大好き」でぶつかり合う事があっても別の「大好き」で繋がれる。こちらも、私たちの現実世界でも思い当たる例が沢山あるでしょう。趣味があるから同好の士が集まって友達になれるし、自分の興味関心が原動力となって選んだ進路で新しい出会いが待っているものです。
こうして考えると、プリアラのラスボスがノワールではなくエリシオ、それもノワールだけでなくルミエルの力をも取り込んだ最終形態の彼だった理由も分かる気がします。プリアラは「大好き」を奪おうとする悪の存在にプリキュアが立ち向かう勧善懲悪の物語であると同時に、最終決戦ではそこから更に一歩踏み込んで、光の側面と闇の側面の両方を併せ持つ「大好き」に対してプリキュアたちがどう相対するかという物語であったのではないでしょうか。
個人的に刺さった部分
さて、ここまで登場人物や物語について感じた事を書いてきましたが、最後に作品全体に関することから離れて、自分自身が特に強く印象に残った要素についても少し書きたいと思います。
それは一言で言えば、登場人物たちが抱える劣等感の描き方とその捉え方です。好例となるのが27話、岬あやねとのライブバトルに惨敗した後のあおいの描写です。また22話で語られた、スイーツ作りに関するピカリオの姉への想いも、それに該当するものです。自分の間近に自分より圧倒的に優れた存在が現れ、勝ち目のない競争に晒される瞬間は大変苦しいものです。こういう時、どのような反応を見せるかは人それぞれだと思います。ですが27話であおいとワイルド・アジュールのメンバーがとった言動は、自分自身にも思い当たるものだっただけに、観ていてドキリとさせられました。
彼らがライブ後に漏らした言葉は、例えば「音楽は勝ち負けじゃない」とか「自分たちは自分たちの音楽をやっていこう」というものです。勝負として見れば言い訳のしようが無い完全な敗北ですから、土俵をずらし、「自分らしさ」という比較することができない部分に逃げ込んだとも言えます。ピカリオがとった選択肢も、ある意味ではこれに通じるところがあるかもしれません。スイーツそのものの価値を否定し、闇の力という別の手段に自分の存在価値を見出そうとしました。勝てない勝負に対して「そもそもこんな勝負自体に意味が無い(ゆえに自分たちの敗北も意味は無い/敗北ではない)」という論法で自分の尊厳を守ろうとする行動は、私たちもよく思い当たるものではないでしょうか。
自分語りになってしまうのですが、私自身がまさにそのタイプの人間でした。自分は大学ではインド史を勉強しており、中学、高校時代からそれに熱心に打ち込んできました。しかしそうした行動の根底に、劣等感からの逃避願望があったことは否定できません。
例えば、自分は数学が本当にできません。授業に全然ついて行けず、毎回授業がとても苦痛でした。こういう時、インド史は格好の言い訳になりました。自分の価値は数学じゃ決まらない(だから数学ができないのは気にすることはない)、数学の勉強よりやるべきことが自分にはある(だから無理に数学を勉強する必要はない)という思考回路のもとで、自分は高1の半ば頃には数学を完全に放棄してしまいました。
しかしこうした言い訳、自分の中で勝手に価値の重点をずらし劣等感を慰めるようなやり方は、どうしても無理があります。結局、音楽もスイーツ作りも勉強も何もかも、社会の中で行われる営みは他者との比較や客観的評価から免れることはできないからです。そしてそれを1番分かっているのは、実際のところ自分自身でしょう。
27話のあおいに話を戻すと、彼女はライブバトルの敗北に関しては、その時点では上述のような言い訳で何とか自分を誤魔化すことができました。しかしその後スイーツ作りにも失敗し、噛み切りづらい固さのグミを作ってしまいます。グミを食べたいちかは、こういう固いグミがあおいらしくて私は好きだと伝えました。しかし、あおいはそれに対して「あたしらしいってどういうことだよ……」、「そんなのただの……失敗だろ!」と感情を爆発させ、キラパティを飛び出してしまうというのが、27話中盤の展開です。
この台詞が、本当に自分に刺さりました。先に書いたように私自身がそういう人間ですが、そこへいきなりプリキュアという予想外すぎる角度から正論をぶつけられたのです。あおいの台詞はそのまま、自分への「それはお前らしさじゃなくて失敗だろ」という言葉に聞こえました。もうそこからは、27話にどっぷりと引き込まれてしまい、見終わってからもずっと頭から離れなかったほどです。あまり感受性が強いタイプではないし、そもそもアニメ自体そこまで観ないこともあって、アニメの内容にあそこまで感情移入するという体験は初めてかもしれません。
27話のラストでは、立ち直ったあおいは岬にグミを差し入れします。「ずいぶん噛み応えあるね」と言われたあおいは、「それが目指すあたしです」、「次は負けませんから」と笑顔で岬と握手して物語は終わりました。この終わり方がまた絶妙だと思います。「自分らしさ」それ自体は否定しない。一方で今回の敗北はしっかり認識し、また今後も他者との比較や客観的な指標といったものから目を背けないという結論と、その表現の仕方が秀逸です。
成長物語に留まらないストーリー
また少しズレた話になってしまうのですが、プリアラはもちろん成長物語である一方で、その人の本質的な部分は変わらないということも描いている作品だと感じます。いちかの一人で抱え込む癖もゆかりの気難しさもあきらの自己犠牲も、それを乗り越えたりそうした自分も肯定できるようになったりするものの、本質的に消えて無くなることはありません。上述の通り自分は、あきらの自己犠牲精神に関しては物語のどこかで解消されるものだと思っていたので、最後までそれを貫き通したのには意表を突かれました。ひまりに到っては、変われたと思ったのに変われていなかったという話に1話使っているくらいです。
しかし思い返してみれば、それが当然であり自然なことです。人間、何か劇的な出来事に触れて人格が根本から180度転換するなんてことは、そうそうありません。プリアラはそういう自分の良くない部分を潰したり変えたりするのではなく、そのまま肯定して上手く付き合っていくという選択肢を視聴者に提示してくれているようにも思えます。27話のグミも、ある意味ではそれに通じる側面があるのではないでしょうか。固すぎるグミ(あおいの失敗、ライブバトルでの敗北や劣等感、嫉妬の象徴)を捨てて別のグミを作り直すのではなく、それそのものに一工夫を加えて食べられるようにして、それが目指す自分だとあおいに言わせるストーリーは、個人手的にはとても元気を貰えます。
まだまだ書きたいこと、書き切れなかったことは沢山あり、例えばコンビ、カプの部分でシエいちやゆかいちへ言及できなかったとか、いちかと両親それぞれの関係性であるとか、転生ノワルミの居た地域は建物の造りやフランスに関係するというメタ読みから考えるとアルジェリアじゃないかとか、言い出したら切りが無いのですが、気づけば字数が1万6000字を超えてしまったため一旦このくらいで筆を置きたいと思います。
普段あまり文章を書かないものですから、書いてみると話があちこちに飛んだりまとまりがなかったりして読みづらくなってしまった気もしますが、あくまで自分用の備忘録ということでここへ置いておきます。
これを書きながら今はまほプリを1日1話ずつ観ているのですが、こちらもとても面白いので、また観終わったら感想を書きたいと思います。このペースで毎日1話ずつ追っていくとしてもまだ3年近く楽しめるのかと思うと、プリキュアという作品の歴史と奥深さに驚かされるばかりです。
これを読んで下さった方々の中でおすすめの作品などがありましたら、ぜひ教えて下さればと思います。
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