10月5日(火)。早朝。訪問看護師さんってすごい仕事。

父が眠ったので、その間に記録。

今朝は、4時半に目覚ましを設定し、妹と変わるために起きていった。

いつも着いている電気が着いておらず、妹が布団を被って父のベットに覆い被さって寝ていたので、「今日は楽勝だったのかな?」なんて思ったら全然そんなことはなく、すごくしんどい夜だったそうだ。

でも、私にしんどかったことを伝える元気はなく、父は、「しんどい、しんどい。」と言い続けていた。

「小便をする。」と言っていたけれど、なかなかトイレに関する次の動きに入れず、寝がえりをうって、「しんどいしんどい。」言っていた。

妹が、「効くかどうか分からんけど。」と言いながら、座薬を父に入れた。父は、「痛い。痛い。何したんや。」と怒ってた。それを聞いて、「座薬を入れられる痛みの方が体の痛みより勝ってるのか。」なんて思った。

妹は、私に状況を伝えたり、点滴の準備をしたりして眠りに行った。(5時頃)

薬が効いてきたのか、5時15分くらいから父が眠りについた。

だいたい私に代わったら、父は、落ち着く。

妹との戦いの時間が終わって、朝が来たと思うんだろうな。たいてい安心して眠る。

昨日は、兄が再び帰ってきて、夜、宴会。

父も、ビールを少し、ちょびっといいちこ入りのレモンサワーを飲んでご機嫌さん。

20年くらいぶりに父と母と兄弟だけで過ごした。自分がグアム旅行から戻ってきたら、ビールの缶がキッチンに大量に転がっていたことを思い出した。

楽しい夜で、

「もう、お父さん、思い残すこと無いんちゃう?」

なんて、娘は勝手に思った。

話していることは、現実的な兄が、父の実家の引継ぎをどうするかという、父が死ぬことを前提にした会話だったんだけど…。

まあ、一番父が気にしていることなので、それを引き継いでもらえることが、何より心を軽くしているんじゃないかな、と、思った。

病院のまま死んじゃっていたら、ずっと、心に引きずって、死んでも死にきれない状況だったと思うし、病院での日々をなんとか乗り越えて、帰ってこれて良かったなぁと思っった。

昨日は、朝から、訪問看護の看護師さんが来てくれて、喜んでいたんだけど、ドライヤーのかけ方や髭反りの仕方が気に入らなかったらしく、私が父の妹からの電話で席をはずしている間に険悪な雰囲気になっていた。

していただいているのに、上から目線で注意している父を見て、看護師さんって、大変だなぁと思った。「イライラしてしまうのは、自分の悪いところやと思う。」と、反省の弁を看護師さん達に伝えていたので、家族に怒ってるよりは、ちゃんとしてたけど…。

そんな感じ。

胃の中の物を取り出すためのチューブに混ざる血の量が多くなっているので、元気そうに見えるけど、容態は、悪化してるんやろうな。

ちょっと動いただけで、ハァハァ言ってるし。

退院直後よりは、足どりなんかはまだ、しっかりしてるけど。

一昨日は爪を切るのに片方で1時間かかっていたからな。

昨日は、しっかり食べられる感じのお腹に入ったら液体になるもの、ということで、ガリガリくんを買ってきた。大好評で、昼に1本、夜に1本食べていた。

アイスクリームやガリガリくんを食べたらチューブの通りが悪くなってしまうので、妹が何度もチューブの洗浄をしていた。

家に看護師がいるからこの生活が成り立っているんだと実感し、父は、本当に恵まれてるなぁとつくづく思う。

私は大して役に立ってないけど、妹が寝ている間の母を支える役割りくらいはできていそう。

しっかりしていた母も、やっぱり年をとったなぁと思う。

今日は、また、お医者さんが来る。

父の元気な様子を見て、びっくりされるんじゃないかな。

退院したら即死んじゃうくらいのものすごくひどい数値の人が、気分よく過ごしているんだもの。

家で気ままに好きなことをするっていうことが、どれだけだいじなことなのか、考えさせられるなぁ。

一人ひとりに腕のいいベテラン専属看護師がつくなんて贅沢な状況は、あり得ないけれどね。

妹のやる気に巻き込まれて私はここにいる状況だけど、まあ、こんな日々もいいんちがうかな。

父がぐっすり寝てくれたので、久しぶりにまとまった時間書けた。

やっと、私の胃腸も回復し、お腹がすいたと感じるようになり、昨日は、お刺身やビールを楽しむことができた。やれやれ。





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