疾走版の振り返り

この文章を書いている3月31日の現在、私は病で床に伏せている。

といってもだいぶ症状は軽くなってきており、流行病というわけでもなかったが、高熱も出たので何もできなかったし観劇の予定は潰れた。

ただただ睡眠をとって回復に努めるのも飽きたし、幾分かは体力も戻ってきたので、役者として生産的なことをしようと日記というか今回出演した「人形の家(疾走版)」の個人としての振り返り的なものを書き記したいと思う。もし日本語として、文章、構成としておかしなところがあったとしても、それは全部風邪のせいなので許してください。



まず結果として、個人のパフォーマンスだけでいったらかなり高評価と言ってもいい出来だった気がする。(作品全体とかのことを自分が何か言及するのはなんだか気が引けるので、この場では自分のことしか書きません。でも、作品としてもかなり良いものが出来たという思いもあります。)

今回の出演するに至って公演に対する目標は「イプセン、しかも人形の家とかいう役者としてハードルの高い挑戦だけど関係ねぇ、とにかく楽しむぜ!」だったのだが、これがかなり疾走版の作品のコンセプトにハマった気がする。

稽古の最初期に演出家の広田さんから作品のコンセプトについて「疾走版では人形の家のリミックス版のようなものを作りたい、サビを繰り返しループさせるような、音楽的なアプローチを演劇でやりたい」という構想を大枠として語っていたわけなのだが、私はそれを聞いた瞬間から、ポプテピピックのポプ子よろしく「あーそーゆーことね完全に理解した(わかってない)」という気持ちになっていた。

基本的に役者ってのはわかった気になると碌でもないことになるという常識があると思うのだが、個人的には半分賛成かつ半分反対で、わかった気になることも必要というか、ずっとわからないままでいても前に進まないから、とりあえず「これはこういうことでは?」という仮説を持ち、その都度、仮説を修正していくことが大事だと思ってる。

何かしらの仮説を稽古場に持っていき、仮説が間違っていたら都度修正していくことを繰り返す。「よくわかんねぇけど、とりあえずやってみる」ことも大事だけど、よくわかんねぇままやって失敗したら、基本的にうまくいかない、気がする。



基本的に雑食気味に演劇は好きな方ではあるんだけど、個人的に特に好きな演技としては、意味がわからないけど説得力がある演技だ。

変なことしているのが好きなんだけど、ただ変なことをやりに行ってるのは好きじゃないというか。結果として変なことになっているのが良い。

では、変なことをやりにいかず、変なことをするためにはどうすれば良いのか、という難題の答えの一つとして今回思いついたのは極限の状態でいるということだ。

現代口語演劇とか最近のリアリズムで作った演劇ないしお芝居って割りかし普通の人が舞台上にいることが多いと思っていて、それはそれで面白いと思うんだけど、案外、人間って変だし、めちゃくちゃな状態でいる時あるよなぁなんてことも思ったりする。

というか、シチュエーション的に極限な状態な時って、人って良くも悪くも面白い状態になってしまうものだと思うので、もっと自由に舞台上にいても良いのではという仮説を持って挑んだ。ちょっと待って半分ぐらい後付けな気もする。まぁいいや。

今回、私が疾走版で挑んだシーンはリミックス版ということもあって、人形の家のサビばかりを演じた。サビってのは物語的に大盛り上がりの部分、つまりキャラクターにとって極限な状態である。

つまり、私自身が極限であれば、もはや何やっても良いわけである。という仮説。

というのは半分冗談で、星麻さんがやったポジションとかを俺のテンションでやっても、普通にダメだったとは思うけど、それはまぁね。構成と演出に助けられました。

とはいえ、人形の家が持っている作品としての状況というか、本来のキャラクターからは大きくズレたパフォーマンスはしていなかったのではという思いもある。

なのとなくこういうの振り返り的なのを書こうかと思ったけど、何を書くか考えてなかったので、まとまりもない文章になっている。

まぁ、俺が勝手に書いてるだけだし別にいいか。

あ、アマヤドリの人形の家は配信版が4月5日まで見れます。ぜひ〜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?