第九章 因果応報の理及び災厄除去法(1)
すべて
原因があって
結果を生じるのである。
草の種子があって草が生え、
木の種子によって木が生える、
悪の種子によって悪を産み、
善の種子は善を産む。
これを因果応報というのである。
精神解剖の所で、
悪行をすれば第二精神の攻撃を受けて、
それが病や死の原因になるものである、
ということを述べておいたが
因果応報の理に基づいて説明してみよう。
或る男が
某金持ちの家へ強盗に入った、
そしてその家の夫婦を殺してしまったが、
とうとう露見しなかったのである。
他人には露見しなくとも、
そうして
人間の定めた法律の制裁は受けなくとも、
大自然の因果応報の理法によって
絶対的に処罰されるのである。
即ち
彼の第二精神は
猛烈なる攻撃を開始した、
寝ても覚めても攻撃は止まぬ
故に寝ても安眠はできぬ、
眠ったかと思えば凶夢に襲われる、
かくして精神活動の統制は全くとれなくなる、
こうして妄念幻想に支配されるままに
錯乱や幻覚を
起こすようになったのである。
殺された夫婦の幽霊が
彼に付き纏っている、
彼は全く心の落ち着く時はないのである。
こうした精神状態下の生理的機能は
当然不完全になるのである。
かくして
ここにもそこにも病が生じて
大病人になってしまった、
ついには病死してしまったのである。
このように
因果応報の理法によって
彼は死刑に処せられたのである。
かくの如き場面を見て、
世の人は死霊の祟であるとか、
神仏の戒めであるなどというが、
精神解剖で説明しておいたとおり、
霊=第三精神は
絶対の大慈愛をもって、
我々を幸福より幸福に導くべく活動しているのである、
故に死霊が祟るなどということは
絶対に無いのである。
即ち
彼に殺された夫婦の霊=第三精神は
宇宙の大霊と合して
死後においても活動しているのである。
しかし、前述の通り
霊は絶対の愛をもったものであるから
決して殺した彼の男を苦しめたり、
悩ましたりすることはしないのである、
否かえって
これを哀れみ救わんとして
活動しているのである。
故に彼の夫婦の死霊が祟って
彼を死に陥れたのではなく、
自己の第二精神の攻撃によって
死に至らしめたのである。
某妻女が
下男と情を通じた、
これを知った主人は
その不義の妻を離婚してしまった。
かわいい三人の子供と夫を捨て、
否夫から捨てられた妻女は
その夢中になっている下男と二人で
手に手を取って某市に行き、
愛の巣を構えたのである。
まもなく妻女は
病に襲われて、
病床に伏し続ける身となった。
医師は精神衰弱だといったそうである。
妻女は病床にあって折々子供(先夫の子供)
の名を呼んだり、
先夫に詫び言をいったりしたそうである。
おそらくこの時は
愛子の姿や先夫の姿が
幻覚となって見えたであろう、
そして悩み続けた末に
死亡してしまったのである。
この場面を見ると、
世の人は生霊が取り付いたのた、
などというのであるが、
これまた説明するまでもなく、
彼女自身の第二精神の攻撃にあって
病を起こして死亡したのである。
決して他人の生霊がとりついたのではないのである。
よく世間で、
死靈が祟るとか、
また生霊が取り付くとか、
あるいは、悪霊や怨霊に悩まされる、
などというが、
精神解剖で説明した通り、
霊は邪も悪も絶対にありえぬのである、
したがって人を悩ませたり
苦しめたりすることは
絶対にないのである。
つまり霊というものはあるが、
悪霊だの邪霊だの怨霊などというものは
ないのである。
霊は真善美愛の本源であるのである。
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