第十一章 暗示とはどんな事か(6)
ある二人の職工があった。
その二人が酒を飲んでご機嫌で或る道辻に来た、
その道に幣束(御札)が立ててあった。
二人の職工は
「何だこの幣束は、風の神の送り出しか、
それとも熱病神の送り出しでもあるか、
どんな疫病神でも俺には取りつけるものか、取り付くなら取り付いてみろ、この疫病神の畜生め」
と言いながら、
二人はその幣束に小便をかけて家に帰ったのである。
やがて酔いは覚めた。
甲の職工は何事もなかったが、
乙の職工は高熱が出て
大病になってしまったのである。
さあ、大変だ、
医師を呼んであらゆる療法を講じつつ、
幾日かたったが治らないので
行者を頼んで神に詫びてもらったら
ようやく治ったのである。
これらの実例は
甲は
なんとも思わなかったから何事もなかった
のであるが、
乙は日頃神信心をしていた、
その乙が一杯機嫌で幣束に小便をかけたのである、
酔いが冷めてから
「とんでもないことをしてしまった。
神様が罰をあててくれなければよいが」
と非常な心配をしたに相違ない、
この心配はやがて病を製造する観念を作ったから
自己暗示作用で病気を製造したのである。
斯くして医師を呼んで種々の方法を講じたが、
その療法は
「病気製造元なる観念」をそのままにしておいて
やったから寸効もなかったのである。
然る所行者を頼んで詫てもらったから、
患者そのものに「
もうこれで神様も許してくれるであろう」
という想像観念ができた、
その想像観念が自己暗示作用となって
病が治ったのである。
斯くの如くにして
自己暗示で病を製造し、
そしてまた
自己暗示でその病を治した
のである。
或る男が
親戚の肺病患者を見舞いに行って帰ってきた、
極度に肺病を恐れている
彼は着物を日光にさらしたり
手足を消毒したりして
これを気にしていた、
翌日の夕方タンを吐いた、
所がそのタンに血が混じっていたので
大いに落胆して寝込んでしまった。
早速医師を呼んで診察してもらったが
医師は「肺病ではない」と言った、
然し自分ではてっきり
肺病が感染してしまったのだと思っているから
不安で不安でたまらないので、
再三医師に理由をつけて質すと
医師は「たとえ肺病が感染したものだとしても
2,3日で血痰の出るはずはない」
と言った。
彼は幾分安心して
念のため昨夜のタンをビクビクしながら見に行ったら、
赤い椿の花びらの上にタンがあったので
血痰のごとく見えたのであったことが判り、
それで忽ち病は治ってしまったのである。
これらも自己暗示によって病を製造したり、
また治したりしたのである。
ある所で大洪水が起きた時、
男が流されてしまった。
近所親類の人々が探したところ、
一里も先で死体が見つかった。
その死体は腕組みをしたまま少しの水も飲まず、
どこも打った様子もなかった由である。
これは腕組みをして水を見ていた所、
突然足元が崩れて水中に落ちて流されたのであろう。
そして、
突然落ちる瞬間にハッとすると同時に
「もう死ぬのであるという観念」
が瞬間的に強い自己暗示作用となって
死んだのであるに違いないのである。
故に何の苦痛も知らず
また少しの水も飲まず、
腕組みを離す間もなく、
即ち「ハッ」とした瞬間に死んでしまったのである。
某女が井戸に落ちて死んでいた。
見れば水は少しも飲んでいない、
また少しも苦しんだ様子が無い、
もちろんどこも打った所もなかった由である。
これも落ちる途端に
水に達しない中途で
自己暗示作用で死んでしまったものに違いないのである。
この実例はいずれも
自己暗示が瞬間にかつ極端に作用したものである。
会長が某病家にいった時、
自己暗示について話した。
するとその家の妻君が
「私が妊娠して四ヶ月ころ、
裏のおかみさんがお産で後産
(産後間もなく、胎盤など母胎に残っていたものが出ること)
が出ないで大騒ぎで
私も見舞いに行って、
その難産の苦しみを見ました。
それで私もお産の時はあんな苦しみをするのかしら、
と思いました。
果たせるかな、私もお産の時、
後産が出ないで
危うく命を取られるところでした」
と語った。
これらは自己暗示が然らしめたものであると
想像せざるを得ないのである。
一旦難産した者は、
その次のお産も、
またその次のお産も
難産する癖になる者が多いのである。
これらの中には
稀には母体の構成が然らしめることもあるが、
難産の大多数は
自己暗示が然らしめるのである。
つまり
「お産は苦しいものである」
という潜在観念が心身に作用し
て然らしめるのである。
身体の構成に異常の無いものは
お産は苦しいという程のものではないのである。
故に
「お産は苦しいものなり」という潜在観念を除去し
「お産は楽にできる」という
強い観念を作ればそれが心身に作用して、
その観念通り楽に分娩することができるのである。
尚また一度流産すると
その後も流産する癖の者がある。
勿論梅毒その他の原因で流産する者もあるが、
単に自己暗示作用で流産する
癖となっている者もずいぶんとたくさんいるものである。
抑も(そもそも)妊婦は
暗示が特に極端に作用する傾向があるのである。
故に人の難産をみて自分が難産したり
またはお産の苦しい話を聞いて自分が難産したり、
或いは難産の癖になってしまったり
また或いは一度流産すると
それが癖となってしまったりするのである。
然しかくの如き威力ある暗示を理解し
そしてこの暗示の威力を応用すれば
難産癖を治して安産ができる、
また流産癖を治して子宝が得られるのである。
会員にはこの種の癖を治す目的で
入会した婦人も相当にあるが
「全くウソのように安産ができた」
という意味の礼状や
また流産の癖三度も流産した婦人が
見事に子宝を得たという礼状をくれたこともある。
以上の如く難産や流産の癖を
自分で治す事もできるが、
この術を他人に応用する事もまた
偉大なる功を奏すものである。
故に産婆で本会に入会しているものは
皆これを妊婦に応用しているので
いずれも好結果を得ているのである。
中には流産癖を治して
見事な子宝を得させて
「子宝産婆」と評判されるようになり
「コダカラ産婆」が「コダカ産婆」となり
知らぬ人はコダカという姓だと思って
「小高さん」と呼ぶ、ということを
書き加えた礼状をくれた会員もある。
また「あの産婆にかかれば安産する」
という評判となり、
近所に産婆があるにもかかわらず
わざわざ通り私の所に頼みに来る人がだんだん増えてきた」
という意味の礼状をくれた会員もあるのである。
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