第七章 信仰と幸福

すでに説明した通り、
我々を守護する神は
我々に存するのである、

すなわち
自己を守護する神は
自己に存在するのである。

そして
願わずともまた
祈らずとも
自己を幸福より幸福に
導きつつあるのである。

しかるに
それを悟らぬものは、
東の何神に祈り、
西の何神に願い、
南の何神に走り
北の何神に行き
迷いに迷って
人間の手製の偶像に
しかも狐や蛇やその他の下等動物の木像や石像に
惜しげもなく
万物の霊長たる尊い頭を下げて
手を合わせて祈願する、
何でもかんでも皆、
他力狂信である。

 

斯くして
自己に存する
自己の守護神を
ないがしろにしたり
侮辱したりして、
当てにもならぬ他力を
迷信し狂信し迷いより迷いに走り行くのである。


故に
いかに
幸福に幸福にと導くべく努力している
自己の神でも
その救いの手が
届かなくなるのである。
これでは
幸福に浴し得られぬのも
当然であろう。

 

まず
他力にすがる心は
絶対に捨ててしまわねばならぬ。

そして
自己に存する自己の神を
信仰すべきである。

すなわち
万物の霊長なる自己であることを悟って
自己を信仰スべきである。

そうすれば
自己の守護神は
その能力を遺憾なく発揮するから
病魔や災厄や
その他の不幸不運に
襲われなくなるのである。

また既に病魔等に襲われている人でも
たちまち病魔を
撃退することができるのである。

 

要するに
自己を悟り自己を信仰すれば
お経や呪文を唱えなくても
自己を守護する神の
無限無尽の大慈愛によって
守護されたり救助されたりするのである。
そして幸福より幸福へと導かれるのである。

 

神や仏は
祈願するものにとってのみ幸福を授け、
祈願せぬもにのには不幸を授ける
というごとき
片端な愛は持たないのである。

また納金や供物を要求するごとき
卑劣な欲望ももたないのである。

 

会長の知人某氏が神参りに行き、
諸所の神々の御札を買い
しかも近所親戚へ進呈する分まで
すなわち何十枚もの神の御札を持って居ながら、
汽車から下車する際に
誤って汽車に轢かれて
即死してしまったのである。

この人は
神参りに行かなければ
この災難にあわなかったのである。
彼の家族は
これほど神々の御札を持ちながら
こんな不幸にあった、
神は祈る人に
こんな不幸を授けるのかと
神を恨んだのである。

 

会長の友人から
次のような手紙がきたから
参考に転記してみよう。

 

(前文省略)この度、私も大変な災難に遭いました。
去る8月8日に
成田様へオート三輪の護摩札を頂きに参りました。
その帰途オート三輪が転覆し車体の下敷きとなり
左脚の骨を骨折し、
全治三ヶ月となりました。(以下省略)

 

このように
「オート三輪で事故の無いように」
と成田様の御札をいただいて
その帰途にその護摩札を持っていた彼が、
このような奇禍にあったのである。
その後の手紙では、
半年も入院していたが、
とうとう元のようには治らず
一生涯の不具者となったことが
書いてあったのである。

 

これなども
「成田様の御札をいただきに行かなければ」
この大災難には遭わなかったのである事は
誰にでもわかることである。

「触らぬ神に祟りなし」
というのも参考にすべき金言である。

 

神や仏に祈って
病気が治ったと思っているものがあるが、
これは神や仏に祈ったからこれで治る、
という自己の信念によって
治る想像観念が作られ、
それが心身に作用して
るのである。
つまり、自己暗示作用(自己の力)で
治るのである。

故に
自己を悟って自己を信仰すれば
より偉大なる力を
発揮することができるのである。

 

然るにこ
の理を悟らず
自己以外の他力の神や佛の力であると迷信して
東の何神、
西の何様と
次から次へと他力にすがり、
以て益々依頼心を培養するのである。

抑々
「依頼心」とは「自己を無視」するもの
である。

故に
自己の精神力を
益々消極化し消滅へと陥るのである。
このようにすると
霊能も自滅してしまって、
ここに万物の霊長にあらざる人と
なってしまうのである。

そして
生活上の一切の活動は消極化し
生理的機能も衰弱してしまうから
些細のことで健康を害すようになるのである。
これ実に依頼心は
個人の不幸にとどまらず
亡国の因となるものである。

実に依頼心は
恐るべきものであることを
忘れてはならぬのである。

自己を悟り自己を信仰してこそ
克己や勇気や努力が忍耐等が
無限に生ずるのである。

なおまた真の自己を悟れば
祖先の有り難さも識れ
聖恩の有り難さも
師の恩も親の恩も
社会の恩も
悟れるのである。

ここに祖先崇拝
忠孝徳義仁愛なるものが
自然と生ずるのである。
かくしてこそ
全人類が幸福の光明に浴せるのである。

 

 

○自己を発見せねばならぬ

○自己を悟らねばならぬ

○自己を守護する神は自己に存する

○自己を信仰せねばならぬ

○偉大なる力は自己の信仰によって生ずるのである

○真の幸福は自己を信仰することによって得られるのである

△他力の信仰は自己を無視する信仰である

△他力の信仰は依頼心を培養し依頼心を増長させるものである

△依頼心は自己の本能発揮の大障害となるものである

◎万物の霊長である自己なることを悟りこの偉大なる自己を信仰スべきである

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