第十一章 暗示とはどんな事か(8) 外部暗示五

これも某村の地蔵様であるが、
その地蔵堂の周りに底を抜いた柄杓がたくさんある。
どういう訳で、柄杓の底を抜いて納めるのか?
と思ってある老人に聞いてみた。

それが
「しゃく(病)の起こった人が、
そのしゃくが底抜けに治って、
二度と起こらぬようにと祈願して
柄杓の底を抜いて納めるのだ」
と説明したのである。

いやはや、
泣く子でもだますような迷信ではあるが、
これを信ずるくらいの無知な人なら
これを実行すれば
たちまち自己暗示が作用して
病は治る
のである。

これに類する迷信は
各地にザラにあることであるが
「これに祈願すれば必ず治る」
と絶対に信じてそれに祈願すれば、
それがたとえ石の狐像でも
また木の蛇像でも
自己暗示が作用するから
治ってしまうのである。
「鰯の頭も信心から」
(一旦信じてしまえば、どんなものでもありがたく思えるということ)
というが全くそのとおり
なのである。

然るに彼らは
その自己暗示作用で治ったことは識らないから
その狐や蛇等を有難がって
神様様々とばかりに
この尊い万物の霊長の頭を惜しげもなく下げたり、
金を収めたり供物を収めたりしているのである。

当地方の子供は、
会長も子供の頃経験したことであるが、
転んで手や足を擦りむいてその傷から出血すると、
その傷口へ土を擦り付けたり
または袂に溜まっているホコリをつけたりして
その出血を止めている。
こんなことは医学上衛生学上から見れば
実に恐ろしいことである。

土やホコリは種々の黴菌の巣である。
その黴菌の巣を
最も恐るべき傷口へつけるのであるから
実に危険千万である。

然るにそれを識らぬ子どもたちは
その最も恐るべき黴菌の塊を血止めに利用して
「さあこれで血は止まる、これで傷は治る」
と絶対に信じているから
自己暗示作用で
その黴菌に侵されることもなく
血は止まり傷は治るのである。

このように
自己暗示の威力の前には
いかなる黴菌でも害毒物でも
なんでも無いのである。
否恐るべき黴菌が妙薬となって
血は止まり傷口も早く治るのである。

これと同理で
「これは効く」
と信じて飲めば何らの効能なき薬物でも
否薬物でなくてもなんでも効果があるものである。
 ※現代でいうプラシーボ効果である。この昔から知られていたことは驚き。
 
 否々外になるものでも薬になるものである。
所謂「神のお息の神」や
「神のお水」が効くのは
皆自己暗示作用である。
また医者の薬でもヤブ医者のくれた本当の薬よりも、
名医のくれた何らの効果なき薬物のほうが、
かえって効果があるものである。
というのは
「とにかく名医の薬のほうが効くに違いない」
という信念が自己暗示作用を起こす結果である。

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