発語機能に及ぼす精神作用
平常は吃らない者でも、
慌てる時や偉い人の前では吃ることがある。
また重い吃りでも
歌を歌う時や、
あるいは目下の者と語る時や
独り言をいう時には
少しも吃らない者がある。
これらは
精神が発語機能に作用する
結果である。
このように
発語機能は精神に支配されているのであるから、
吃りや訥弁は
精神方面から矯正するのが
最も合理的でありて徹底的方法であることを
悟らねばならぬのである。
然るに吃りを治すべく
一生懸命薬を飲んだりして、
またしても物質の迷信劇を演じている者が
たくさんある。
吃りは
不具でもなく病気でもなく
精神的原因によって起こる
ひとつの癖であるから、
迷わずに
その発語機能を支配する「精神」を治す
方法を講ずるべきである。
薬で治ったという者は
自己暗示作用を起こして
その自己暗示作用で治ったのである。
故に
薬物や療機の
直接なる効果ではないのである。
本会にも
多くの吃りの者が入会しているが、
其の中に
新潟からきた24歳の青年があった。
例によって高額の薬をたくさん飲んだり、
療機を用いたりしたとのことであった。
また有名な某吃りを矯正するところにも
一ヶ月以上いたが
治らないとて本会にきたのである。
その時は口をもぐもぐ、
真っ赤な顔をして発語はできず、
やむを得ず文字を書いて
来意をつげる始末であった。
その重い吃りが
会長の指導わずか6日で
全治したのである。
これも発語を支配する精神を
自己矯正法を体得して治したのであるから、
一生再発はしないのである。
歓喜にあふれたかの青年は
帰国に際して、
暗黒界に悩める同胞を救うこの道の宣伝費にと
多額の金を本会に寄付したのである。
これいかによく治ったのかと
想像することができるのである。
要するに
吃り(結果)そのものを矯正する方法より
発語機能を支配する精神(原因)
を治す方法の方が合理的であり
徹底的であるのである。
吃りばかりではなく
全ての癖が
これと同一の原理であるのである。
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