第九章 因果応報の理及び災厄除去法(2)

世間によく
悪運の強い人と言われている人がいる。

つまり非人道的のことによって
金を儲けたり
財産を作っている人がある、
然れどもその悪事が露見せずにいて
とうとう永い一生を無事暮らした
というような人がいる。

これはなるほど
その人だけは悪運が強い
といえるのかもしれないが、
しかしその子孫に
いつかはその結果が現れるものである。
 
すなわち、
彼が現世において悪事をしたことが
たとえ他人には知れずとも
宇宙の精神にはよくわかっている、

宇宙の精神に支配されていることは
永久不滅のものである、

その子の第三精神にも、
またその子の第三精神にも
何代のあとの子孫にも
この宇宙の精神は
融合するのである。

すなわち先代のなした悪事を
後世の子孫の
第三精神は
感受するのである。

それに内意識が感応し、
それが生理的能に作用し
病気を製造したり
または生殖機能に作用したり、
あるいは胎児等に作用して
不具の子を生んだり、
病弱の子が生まれたりする事が
あるものである。

まさに因果応報は絶対のものであるのである。
 
実に
悪の種子は恐ろしい結果を
生ずるものである。
 
よく不幸ばかりが続く家があると、
「あの家には昔
これこれの悪人があって
人を泣かせたから
その報いで不幸が続くのだ」
などと世間でいうのを耳にするのであるが、
これは然りである場合が多いのである。
 
病むその者は
一向に知らぬ大昔の先代のまいた
悪の種子に悩まされていても
その悩みの原因が
内意識に作用しているので、
つまり、自覚領域ではないから
その本人にも
その原因がわからないのである。

これを法術を応用して
見出す事ができるものである。
 

在るところに
何不自由なき財産家がいた。
両親とも健康なのに
長男として生まれた子は病弱で
ようやく八歳になった春に病死してしまった。
二番目の男の子も七歳で死んだ。
三番目の子が高等女学校に入学すると、
まもなく病魔に襲われて長く病んで死んだ。

その次の四番目の子が
中学二年でまた病魔に襲われた。
物質的に不自由のない家庭のことであるから
百方手段方法を尽くしたことはいうまでもない。
あらゆる手段、あらゆる方法を尽くしても
少しも良くならぬ。
これもまた死ぬのかとおもう
一家の心配は察するに余りある。

百方手を尽くして最後に会長が頼まれた。
 
会長が
法術を応用して
彼の病人K造氏の
内意識について悩みの原因を質してみた。

会長「あなたは誰ですか」
彼「俺は甚五郎だ」
会長「甚五郎氏はどこの者であるか、
そしてこのK造氏とどういう関係があるか」
彼「このK造氏の祖父に当たるやつは
欲深ジジイでな、
多くの人を泣かせて
金をつくったり財産をつくったりしたんだ。
おれもずいぶん泣かされたんだぞ。
よく聞けK造氏、
お前の兄も姉も俺が殺したんだ。
お前も殺すつもりだぞ。
おまえを殺せば後に残るのは
あの不具の子が一匹だ。
あの不具の弟だって
おれが不具にしてやったんだ。
よく判ったな。
皆、ジー様への恩返しだ。
悪く思うな」

以上の問答が済むと
会長はその悩める
「原因の除去法」
を施したので、
幸いにも彼は全快し
健康になったのであるが、
その弟の不具は治すことのできない
不具である。

実に恐ろしいではないか。

悪の種子!

こうして何代の後になっても
その種子が芽を出すのである。

そして何も知らぬ
罪のない子孫まで
一生泣かせたり
悩ませたりするのである。


この問答を終えた後、
すなわち解術後になって
K造氏に甚五郎氏のことを聞いてみると、
彼は甚五郎氏という人は全然知らない
昔の人のことである、
こいいう場面をみると
世の人々は怨霊がついている、
というのであるが、
断じて甚五郎氏の死靈がついたのでなない。

即ち何百年前にあったことでも
宇宙の精神が記憶しているのである。

その宇宙の精神がこのK造氏の第三精神に融合し、
これに内意識が感応して
病を製造したりまたあるいは、
妄念幻想に支配されるがままに活動して
斯くの如く甚五郎氏そのものが
いうがごときことをいったのである。

悪因=悪果。

善因=善果。

因果の法則は絶対であるのである。
 

こうした因果関係にて
病魔にかかっているものが
その原因はそのままにしておいて、
結果即ち病に対してのみ、
あるいは薬をもって治さんとし、
あるいは療機を用いて治さんとしたり、
その他種々の療法を講じていたのでは
治らないものである。

原因を除去してしまえば
その結果(病)は自然と消滅(治癒)してしまうものである事は特筆の要はないことである。
 
 

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