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Day5 今やっている仕事、学んでいること
2023/7/26 Wed
4年ぶり納涼会で今朝はダメージ
ボクは教師。
小学校の教師をしている。
その前は、保育士。
児童養護施設で保育士をしていた。
そのまた前は、測量士。
大学を出て測量会社に就職。
体を壊して退職を考えた。
とまあ、ここまで2回の転職を経て
天職?を見つけたような気でいる。
今の仕事は楽しい。
ボクがなぜ保育士を目指したのか
小学校の先生を目指したのか
話せばめっちゃ長くなるので
ちょー要約してみると。
“子どもの力になりたいから“
“売り上げベースの仕事は苦手だから“
“毎日違う刺激が欲しいから“
にまとまるのかなって思う。
初めて就いた測量の仕事。
オヤジが調査関係の仕事だったので、喜んでくれた。
「HIRO よくやったな」と自分のことのように
喜んで笑ってくれた姿が鮮明に覚えている。
きっとあの頃のボクは
自分のしたいことより、親に喜んでもらえることを
仕事として選んでいたのだろう。
入社してからの経験はまた別の機会に書くとして
二年半で体調を壊す。
そこから、
“自分が本当にしたいこと“を考えた。
そして、
“売り上げベースでない仕事“
“福祉““公的機関“での仕事がいいなと思い
保育士を目指す。
これまでに貯めたお金と
足りないお金は親から借りて
25歳から保育士養成の専門学校へ入学。
18歳の子達と2年間楽しく学んだ。
音符も読めない
ピアノも弾けない
ただ、テンションだけは負けなかった。
手遊び、図工、体育遊び。
テンションだけで盛り上げた。
授業中、誰よりもノートを書いた。
先生にもゴマを擦った。
ここは年の功。
学び方は18歳より知っている。
ただ、そんなおっさんなボクを
叱ってくれる先生がいた。
「あんたは、我が強い。指導したる」
と厳しく言われた。
でも、その厳しさがどこか
心地よかった。
(本気で気にしてくれている)と
思えたからだ。
山本先生。
今でもボクの恩師だ。
保育士を目指す中で
“児童養護施設“の存在を知る。
当時は、公立の保育所への就職を目指していたボクは
衝撃を受けた。
親と一緒に生活する場所がある。
住み込みで子どもと寝食を共にし、
将来のために尽くせる仕事がある。
「ここしかない」と本気で思えた。
その日から、ボクはボランティアを始める。
実習先でお世話になった施設に通い
ボランティア。
採用募集はなかったそうだが、
それでもせっせと足を運んだ。
その思いが通じて
児童養護施設での保育士となったのだ。
27歳からのスタートだ。
児童養護施設での物語は
現在、別のマガジンで連載している。
『男!保育士奮闘記⭐︎子どもは宝です』
Twitterでも毎日更新中
話を戻そう。
施設で働く中、小学校の先生との出会いに
深く感銘と感動を覚え、
七年後に小学校教師を目指すこととなる。
これは、また奮闘記で書く予定。
33歳から新たに
教員免許を取得するために大学へ通い、
免許を取得。
臨時講師として二年働き
三度目の試験で合格。
晴れて38歳から小学校教員HIROとなったのだ。
そして、今、48歳。
教員生活11年目を迎える。
現在、ボクは総務(教務主任)の立場で
子ども達と関わらせてもらっている。
“同じ日は二度とない“
なので、毎日が新鮮でワクワクだ。
いいばかりじゃないけど
悪いことばかりでもない。
仲間と一緒に過ごせる毎日はボクの励みとなっている。
しんどいとき、
やめたいな、
と思ったとき思い出すようにしていること。
それは、
学校に朝早く出勤し、
自分の教室で、まだ来ない子達を思い
試験勉強をしていた臨時の頃のこと。
採用試験合格通知をパソコンで見て
周りの先生が“おめでとう“と言ってくれ
涙が出たときのこと。
これまで送り出した卒業生、保護者の方に
「先生でよかったです」
と言ってもらえたときのこと。
そうやって今のボクがいる。
そして、これからのボクがいるだろう。
もっともっと
この仕事が好きになるように
プロになるように
今日もボクは学び続けたい。
【教訓】
経験は武器となる