おじちゃんとお別れに電車に揺られて久美浜へ
2023.4.16 Sun
16:42
これは帰りの電車の中で書いている。
昨日の夜、電話が鳴った。
大阪のオカンからだった。
久美浜のおじちゃんが亡くなった。
明日、告別式だという。
おじちゃんとの関係は遠い親戚。
オカンのオカン。
おばあちゃんのお姉さんの息子になるそうだ。
「ヒロ!どうする?いける?」
とオカン。
「もちろん!行く!」と即答のボク。
おじちゃんとの出会いは
今から30数年前の小学生の時だった。
おばあちゃんと一緒に
初めて久美浜を訪れる。
その時、出会ったお兄ちゃんとお姉ちゃんに
めちゃくちゃ可愛がってもらった。
おじちゃんの息子と娘だ。
そこからずっとことある毎につながってきた。
おじちゃんの豪快な笑いと
“THE昭和“な感じが大好きだった。
もちろん。おばちゃんも大好きだ。
いつも笑顔で迎え入れてくれて
暖かく構ってくれた。
遠い親戚なのに
まるで孫のように可愛がってくれた。
ボクの結婚式にも来てくれて
「ヒロ!よかったなぁ!おめでとう!」と自分のことのように
喜んでくれたことをボクは忘れていない。
最後に会ったのは6年前になる。
長女が2歳の時、おじちゃんとおばちゃんに会わせたくて
夏休み家族旅行をした時だ。
その時もおじちゃんは笑顔で迎えてくれた。
美味しい料理をたんと用意してくれて
楽しい時間を過ごすことができた。
そんなおじちゃんが
14日の早朝亡くなったという。
享年84歳。
素敵なおじちゃんだった。
おじちゃんに会うために
ボクは電車に乗ったのが8:50
姫路→寺前→和田山→豊岡
そこから、京都丹波鉄道に乗り換えて
豊岡→久美浜へ
4時間旅だ。
日頃溜まっている仕事と日記と
1冊の小説を鞄に詰め込んで
ボクは電車に乗った。
揺れながらおじちゃんとの思い出に浸っている。
覚えているのは、小学生の夏休み
おじちゃんの家に泊まった時だ。
二階建てベットを初めてみたボクは
嬉しくて寝させてもらった。
朝、目が覚めると床に寝ていたボク。
おじちゃんに
「なんで下に下ろしたんだ!」と
詰め寄ったらしい。
そしたらおじちゃんが
「夜中、どーんって音がしてみんな慌てて駆けつけたんやで
そしたら、ヒロくんが上から落ちてたんや。みんなで心配したんやで
でも、ぐーぐー寝てたからそのままにしてたんや。」
と教えてくれた。
今はで笑い話だ。
また、こんなこともあった。
おじちゃんの家には中庭があって
そこに小さな池があり、鯉が泳いでいた。
その鯉のエラ横にイボみたいなやつができていた。
「あぁ〜病気やな」とおじちゃんは
ガサっと鯉を掴んだと思うやいなや、
イボをブチっと引きちぎったかと思うと
赤チンをブチューと豪快に塗りたくっていた。
鯉は痺れたのか、沁みるのか?
それとも気持ちが良かったのか
バッと跳ね上がってそのまま泳いでいたのを覚えている。
ハッハッハ。と笑っていたおじちゃんの笑顔が忘れられない。
でも、その笑顔はもう見ることはできない。
だからこそ、ボクはどうしてもおじちゃんに最後会いたくて
久美浜の駅に足を下ろした。
ホールに着いたら
おばちゃんもボクを覚えてくれていた。
「ヨォ〜来てくれて。ありがとうねぇ」
手を握ると自然と溢れる涙。
「こちらこそです。」と返すことで精一杯だ。
お坊さんが読経される中、ボクはおじちゃんとの思い出を振り返っていた。
焼香、花束を入れるとき
おじちゃんは本当にいい顔をしていた。
「ありがとうございます。ゆっくり休んでください。」と心で祈りながら
おじちゃんとの別れを偲んだ。
そして、いつの日かボクも入るであろう
その棺を前に、自分のこれからの【生き方】を模索している自分がいた。
たくさんの人がおじちゃんを見送りに来ていた。
そんなたくさんの人に慕われていたおじちゃん。
ボクもそんなおじちゃんのような人になりたいと思った。
式を終えたボクは一人、
オカンとおばあちゃんの思い出の場所
新橋までぶらりと歩く。
海までも近いので歩いてみた。
薄曇りの空が
どこかもの寂しい。
帰りの電車。
降り始めた雨が車窓に当たる。
悲しい雨に寄り添いながら
ボクは神戸に帰っている。
送り出してくれた家族にも感謝しながら
今日からまた
自分の人生を歩んでいこうと思う。
おじちゃん 本当にありがとう。
安らかに眠ってください。
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