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「肩書きなんて関係ない」の解像度の低さ

僕は大学生活がもうすぐ終わる。もうすぐ終わるのだ。つまり大学生という肩書きがなくなる。そしてこのままいけば僕はニートという存在になる。僕はニートになることを望んではいない。つまり僕がニートになるというよりも、時間が僕をニートにするのである。

NEET 意味 十五歳から三十四歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者。

卒業した日と卒業した次の日で、世界が僕を見る目が変わる。大学生からニートへ。

初めまして。学生のノダ☆カズキです!

初めまして。現在は定職についてないノダ☆カズキです!とは全く訳が違う。

ノダ☆カズキという人間は一ミリも変わらないのにである。

変わるものと言えば、胃袋の中身くらいである。ところが僕は毎日1日2食玄米カレーなので、胃袋さえも何一つ変わらないので更に変わらない。

これは実に不思議なことだ。不思議すぎる。

実のところ「肩書きなんて関係ない」この使い古されたエセ道徳的セリフは嘘っぱちもいいとこである。学生からニートを境目に大好きな美術館に入るのに700円から1200円かかるようになる。新幹線の割引が利かなくなり、社会保険料を払うようになり行きつけのインドカレー屋のナンが一枚しか食べられなくなるのである。

事実として肩書きの変化は社会の僕に対する扱いの変化である。

「肩書きなんて関係ない」という言葉の解像度は、なんと低いことであろうか。僕は、憂いている。僕に肩書きがないことではなく、「肩書きなんて関係ない」という言葉の解像度の低さを憂う。私たちは言葉の不完全さを理解する必要がある。

全国の「肩書きなんて関係ない教」の人たちは悔い改めてくれ。

「肩書きなんて関係ない」の正解は「あなたがどんな状況でも、肩書きによってあなた自身の価値は変わらないけども社会を生きていく上で有利に進めていくのに必要肩書きは存在する。」である。

「好きなことを仕事にする」「就活」「愛すること」「やりたいこと」どの言葉も一緒だ。今使われている言葉はあまりにも解像度が低すぎる。

「人類が言葉の不完全さを理解した上で解像度を上げ、言葉を操れたらどれだけ平和な世界が待っているだろうか?」とスパイスカレーを煮込む15分間の間、感傷に浸っているノダ☆カズキであった。

今日もどこかで誰かが解像度が低い言葉に人生を左右され、安心したり不安になったり。万人よ、言葉の解像度をあげようではないか。モザイクで世界を見てはいけない。社会を良くしたい人、人を幸せにしたい人は世界をモザイクではなく4Kで世界を見る努力をすべきである。あなたは視力0,1の内科医の手術をしてもらいたいですか?という話だ。誰しもが遠慮するはずではないか。

言葉の解像度・世界の解像度をあげようよ。

わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。新約聖書 ヤコブの手紙より抜粋  

おしまい。



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ノダ☆カズキ
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