俺の話 その1
そもそもの話として「どういう風に生きていきたいか?」があって、そのためにどういう仕事がいいのかという話のはず。そういう意味での「やりたい仕事」って事であって仕事をゴールにしてる時点でもう迷路。仕事は生きていくための手段。目的は生き方そのもの。
僕はなんとなくちやほやされながら、行きたいところにいつでも行けて、でも少しだけ他人様の役に立つようなことができたらいいなぁと漠然と思っていて。あとはその時その時なんとなく思いついたことを、、、
南青青山の雑誌編集プロダクションと歌舞伎町でバイトが楽しくて大学は中退。とりあえず世界一周しようと思ってバイトを辞めて左官の日雇いで100万溜めて1年半ほどフラフラ(23歳)
日本で働くよりも海外で働きたいなと思って、とりあえずハリウッドで映画作りたいっす!的なことを各方面に吹聴してたら、ハリウッドのスタジオを紹介してもらった。行ってみるとスタジオの窓なしの部屋への住込。シャワはースタジオのものを使用。(25歳)
掃除、ビルメンテ、警備、スタジオマンで休みは土曜日の24時間のみ。平日は夜間来訪者対応があるので外出できない。給料は$100!おかげで語学学校は1ヶ月で中退。これが私の最終学歴w あ、日本では教習所中退。
当時アメリカは大不況だったのでスタジオは閑古鳥。空いたスペースを使ってなんか考えろというので、私のようなハリウッドに憧れる日本人若者向けの俳優学校を作ることを提案。採用されるも予算は大して組まれない。それでも給料が$600にアップ!
俳優学校は社長との考え方の違いが大きすぎて、結局そこをやめた26歳。
編集プロダクションの知り合いからくるフリーの仕事をしているうちに、超大手の出版社の名物編集長から会社にしちゃえよ、国際部という肩書き作ってあげると言われて、Kaz Coordination(命名はその人)現トボガンの前身を設立27歳 1995年春
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