ちくま新書の『世界哲学史』、シリーズをまとめてレビューする。
筑摩書房が創業80周年を記念して刊行した『世界哲学史』シリーズは、その意欲的な構成と情熱によって、哲学愛好家と専門の研究者に驚きを与えた。といっても全巻に目を通した人はさすがに少ないだろうと思い、この小文をものしている次第である。
さて、人々の日々の暮らしのなかに超越や普遍を求める思索があり、それは時代や国、地域といったくびきを超えて広く世界に見受けられる。それを"世界哲学"とみなして、その歴史=物語を編みなおす試みが本シリーズである。ここでは読書家である評者の視点にしたがって一巻ずつ読みどころを述べたうえで、最後にシリーズ全体の評価を行いたい。お付き合い頂ければ幸いである。
世界哲学史1 古代1 知恵から愛知へ
「哲学史を個別の地域や時代や伝統から解放して「世界化」する試み」(P.13)として刊行される全8巻の1巻目。古代メソポタミア文明における世界と魂の関係を論じる第2章、古代ギリシアと古代インドの思想が大規模な戦争などを通して相互に影響した可能性を考察する第10章をたいへん興味深く読んだ。とくに、BC2世紀のバクトリア王メナンドロス=ミリンダ王とナーガセーナが行為者と責任の問題をめぐってそれぞれ有我説と無我説の立場から問答するくだりがたいへん刺激的(P.284-290)。各章末に挙げられた参考文献も読みたい。
世界哲学史2 古代2 世界哲学の成立と展開
第二巻で扱われるのは今から2000年以上前の古代における世界各地の哲学的思索のいとなみである。第1章における"古代"概念の批判的検討、第7章におけるゾロアスター教とマニ教の比較的検討(青木健の文章はユーモアがそこはかとなく散りばめられていて面白い)、BC1〜6世紀のプラトン主義の変遷を扱った第8章をとくに興味深く読んだが、第10章で扱われるアウグスティヌスの倫理学がカントに相通ずる部分を感じてとりわけ関心を惹かれた。息抜きのコラムも3つ収められている。文献案内も充実しており読みごたえ充分である。
世界哲学史3 中世1 超越と普遍に向けて
第3巻は10章の「日本密教の世界観」のなかでも、とりわけ空海の密教的言語観を知ることができてとても面白かった。 とくにサンスクリット語アルファベットのA(阿)という否定辞から差別(しゃべつ)という概念を強調し、この世界のあらゆるものが関わりあって存在し、それぞれがお互いを映し出す鏡のような存在であり、それが仏教的真理=空に接続されるくだりはスリリングだった。空の思想は構造主義と響き合う部分があるだろう。ぼくは空海を知りたい。
世界哲学史4 中世2 個人の覚醒
第4巻で扱われるのは13世紀の世界哲学だが、ぼくがとりわけ惹かれたのは第6章(西洋中世の認識論)である。ブレンターノやその弟子のフッサールによって知られた志向性概念を、中世哲学のコンテクストにおいて考察しており、イスラーム経由のアリストテレス解釈や光学理論の影響を勘案し、トマス・アクィナスとロジャー・ベイコンが、共にスペキエス(形象)概念を認めるという指摘が興味深い。
世界哲学史5 中世3 バロックの哲学
第5巻は14〜17世紀の哲学を扱う。中世ヨーロッパにおける資本主義の萌芽を示唆する第3章、中国に宣教したイエズス会の漢訳のいとなみを伝える第5章、江戸期の反朱子学を展開し独自の思想を打ち立てた荻生徂徠とその学派について概説した第10章がいずれも興味深かった。本シリーズは章末に必ず参考文献が付されていて読みたいものが多く、世界に広がる人々の哲学的思索の歴史を手軽にやや詳しく知れる点がとても素晴らしい。
世界哲学史6 近代1 啓蒙と人間感情論
第6巻は18世紀を中心に論じられるが、第10章で高山が述べるように「「世界哲学史」という試みは西洋中心の見方からの脱却の途上にある」(P.259)。そんな中で本書のカント哲学→イスラーム啓蒙思想→中国の儒教哲学→江戸期の情の思想(第7〜10章)~と洋の西から東へと論題が遷移していく構成がとても面白かった。理性による啓蒙と感情にもとづく行動規範の指し示す先はひとがいかに善く生きるかという倫理の問題であり本シリーズの究極的な主題だ。
世界哲学史7 近代2 自由と歴史的発展
第7巻は19世紀の"世界哲学"を扱っているが、巻末に置かれた苅部直の日本と近代を論じた第10章が興味深い。"文明"という概念を福澤諭吉、蘇峰、漱石らから辿り、フランスの影響が濃かった"文明"概念とドイツの文化に対置される"文明"概念を突き合わせ、"近代の超克"論争を経て『書経』や『易経』における文明と開化の語義に迄さかのぼり、これらの語の帯びた倫理的色彩を鮮やかに描き出す端整な筆致が心地良かった。
世界哲学史8 現代 グローバル時代の知
シリーズの最終巻。どの著者も巧みな整理とそこここにエッジの効いた文を潜り込ませてくるが、第6章の中田孝「現代イスラーム哲学」がきわめて硬質であり、かつ深い最も読みごたえのある内容。イスラーム哲学が西洋列強による植民地化のあと変質したことを指摘し翻訳の不可能性について論じたあと、あくまでも日本文化としての現代イスラーム哲学についてのみ書くとする筆者の厳しい執筆への姿勢に彼のムスリムとしての在り方が垣間見られた。
世界哲学史 別巻 未来をひらく
本シリーズを総括する一書。前半100ページほどは座談会形式で編集責任者がシリーズ全8巻の内容や構成について反省的吟味を加えていくもの。第1部4章は本シリーズのコンセプトを明示する宣言文。第2部は中国哲学の西欧への伝播を論じる2章、社会主義化を経て現世利益を重んじる呪術として生き残った現代のモンゴル仏教を紹介する12章が興味深かった。
僭越ながら、シリーズ全体の評価を述べる。哲学中級者以上を読者対象としている。全体として西洋中世の哲学にかなり力が入っており、それとの関連で宗教ではユダヤ教とイスラームに対して多少目配りしているが、あとは中国哲学があるという印象で全8冊で"世界哲学"たりえているかというと疑問は残る。だが、"世界哲学”をまんべんなく書籍にするわけにはいかないのだし、"世界哲学"という批判的なコンセプトを評価すべきだろう。もちろん"世界哲学"というコンセプト自体に対する吟味も可能だが、それは別の機会に譲りたい。
こうして『世界哲学史』を全冊読んだが、野心的であり相当に充実した品質のため、ぜひ第2シリーズを出してもらいたいと思う。ここをご覧の責任編集者の諸先生方、ちくま新書編集部のご担当者様、どうぞご一考くださいますようよろしくお願い申し上げます。