かずプロを内側から覗いてみた。その1

こんにちは
先日飛び入りでかずプロの中の人になりました、ウェルビーイング学部生のはせゆいです。

今回2投稿目のnoteでは、私(はせゆい)がかずプロのミーティングに初参加した日の出来事についてゆるゆると書かせていただこうと思いますので、よろしくお願いします。

【かずプロミーティングに初参加して感じたこと】
端的に言うならば、「あたたかさ」です。
まるで、こたつや焚き火、寒くなってきたら手を伸ばしたくなるあたたかな温もりをみんなで囲んで話をしているかのような────。
目の前にあるのは間違いなく無機質なパソコン一つで、私が話している相手であるみんながいるのもパソコンの画面の中なのに、このあたたかさはなんだろうかとずっと考えていました。
一言を発した時、ちゃんと受け取ったことをみんなが頷きで教えてくれること。
常にミュートを外してカメラをつけていても大丈夫だと思える不思議な安心感。
向き合っているパソコンの画面の中に滲み出る、人のあたたかさ。

「場」には一人一人の行動や想いが強く表れ作用している。
それは組織でも対話でも同じことで、一人一人が作っていくものだからこそ、全員が意識的に良い場をつくろうとしたり、無意識的に良い場になっていく流れに乗っていられていることがとても大切だと思っています。
つまり、みんなで一つの流れをつくろうとすること、みんなで一つの流れに乗ろうとすることが、全体の「良い場」を作っていくのではないのかな、と。
後から飛び込んだ私でさえすぐに同じ流れの上に受け止められて、一緒に流れに乗っていける様な、強くて大きな流動を感じました。
決して、「みんなが全員で全く同じ方向を向いていたから大きな流れや良い場があった!」というわけではなく、それぞれ違う流れが調和・作用しあって大きな一つの流れが作られていく「場」を、私は初めて参加したかずプロの中に感じた気がしました。
第6回目(私は初参加のミーティング)に際してみんなで改めて共有した「なぜここにいるのか」は三者三様で、そういった一人一人がそれぞれに持っている小さな流れが、消されることなく合わさりながら「かずプロ」という大きな全体の流れを作っている。
今ここにできている「良い場」は、一人一人の主体性や協調性、様々な流れも新しい流れも受け止めて大きな流れを作っていける柔軟性、そして安定感のある流動の上に成り立っているのだろうなあと思い、あたたかな場に在る人のあたたかさを実感できました。


〜日記〜
第6回ミーティング(初参加のミーティング)の後。
吉祥寺のバス停の前。カズプロメンバーの一人であるかれんが、私の隣で
「年末だなあ、何かが終わる時って何かが始まるから大好き!」
と言っていました。街を彩るイルミネーションよりももっときらきらした目で。
とても眩しくて綺麗だった。
この言葉をこんなに素敵で、こんなに晴れやかな顔で言っている人を初めて見た。

「終わりは始まり」とはよく言うものの、この言葉は私にとってある種「終わること」を美化するためにある言葉のように聞こえていました。
何かが「終わること」はつらく寂しい。
でも、終わりのことをこれだけきらきらと輝いた目で語れる人がいる。
──────きっと幸福も似たようなものなのではないかと思います。
不幸が無ければ幸福は語れない。相対する暗闇の存在によって光の美しさが際立つことを知っているからこそ、その暗闇でさえ美しいと思える。そんな風に。
彼女の一言から改めてとても素敵なことを教わったなと感じられた初参加の日でした。



あまり対話とは関係のない内容ではありましたが(対話への興味からこのnoteを読み始めてくださった方、すみません。。)、私が感じた場の温かさや人の温もりを、このnoteを通じて少しでもおすそ分けできていたならとても嬉しいなと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

おわり

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