手向け

どーも。カズプロメンバーのヒデです。
年度末ですね。
みなさん今年はいかがでしたか?
楽しかったですか?
涙が出るほど苦しかったですか?
それともなーんにも思いませんか?
僕はすごく楽しかったです。

今まで生きてきてよかったと。

頑張ってよかったと心から思えるほどに。

でも、こんなこと考えられるのも命が、心が、意識があるからだよなぁと、ふとこの年末に思ってしまいました。
今回はちょっと重めの死についてです。
この年度末に重いよなぁとも思うんですけど、僕が書いてみたかったんです。付き合ってください。
では、さっそく本題のお話です。どうぞ。

本編


この、人としての生涯の終わりは他の人から見れば、儚くもあり、美しくもあり、辛く、苦しく、胸が張り裂けそうなほどどうしようもないやるせなさに襲われるものでもあると僕は思っている。

人の一生涯の終結。

始まりがあれば終わりもあると誰かが言った。

そんなチープな言葉で片付けるのは違うのではないかと僕は考える。

その人の人生を終わりという言葉で締めくくって楽になりたいのは口に出している当の本人ではないか。

あるのはただいなくなってしまったという事実。

今日のミーティングで終わりと区別の違いについてお話しを聞かせていただいた。
以下要約である。

終わりは全て何もかものつながりが途切れるような感じがある。
でも、区別は物事の節目として、時間の節目として、捉えるという。そして、区別をつなげていくことでそれらの繋がりを感じる。
年度末。
友との別れ。
仕事。
全てのことを区切って考えることで全てのことで繋がりを持つことができる。
そして、その余韻を次のことへ持ち越さない。
余韻を引き摺ると他の人との時間に身が入らず、その人への冒涜へと繋がってしまう。

このことを聞いて僕は人の死も終わりと捉えず区別と捉えるべきだと思った。

その出来事を区切りとして捉え、自分を構成するかけがえのない素晴らしいものとして自分に組み込む。

その方がその人への手向けとなるし、その人が生きていた証を自分に刻めるような気が僕にはするから。

そんな区別を大切にしつつ、その場にいる人がいつ思い出と化すのかわからないことを胸に刻み、次という瞬間がいつも来ると限らないことを知る。

そうして今という瞬間瞬間を大切にする。

だからカズさん。中村一浩さんはとりあえず思ったことを口にする。

後悔をしたくないから。

言えばよかったと思い残すことをしないために。

僕はその生き方に感動した。

感動を覚えると同時に僕もそんな素敵な考え方をしたいと思った。

花は須く枯れることが運命付けられている。

美しいと、儚いと思うのは一瞬で、気づけば色が失われ、そこに確かにあった生命が失われる。

その一つのフィルムを切り取って見れば終わりと表現するのだろう。

でも、この世界は続きがある。

失われたと思った花は次の生命の橋渡しを全うしたのだ。

受け継がれ、受け継いでいく。

この繋がりを、フィルムの連続を、意識して来年は生きていきたいなと願った。

来年が皆様にとって良い一年になることを心から祈ってております。

いいなと思ったら応援しよう!