短編小説 『赤く、青く、真白く』前編
市内の公立高校の廊下。
「茉優、次、大島の授業だねぇ」楓は、ニシシ、とにやけ顔で、肘でコノコノと茉優を突ついています。
「やめてよ、楓」
その肘を払いのけながら、茉優は照れ笑いを浮かべています。
山下茉優が密かに想いをよせる、英語教師の大島明人は、二十八歳、この学校ニ年目の茉優の担任教師です。
「大島って。あまり笑わないじゃん。なんか、怖いよね」と、生徒からの人気はあまりなかったのですが、逆に、茉優はそれが嬉しかったのです。
必然的にライバルが少ないということでもあったからです。
茉優が最初に大島が気になりだしたのは、一年生の時、苦手な英語の補習を受けた時からでした。
「先生、すみません何度も。ここ、やっぱりよく分からなくて......」
「ん、これはだな......」
同じところを何度質問しても、嫌な顔ひとつ見せずに教えてくれたし、
「山下はそうだな......から始めたらいいんじゃないかな?」
勉強の仕方などを聞いたときにも、親身になって相談に乗ってくれた。その優しさに、やられたのです。
職員室の中、茉優が大島と話しています。
「先生、これ今回の提出分です。ここに、置いときます」大島の机の上は、書類や本やらで乱雑に散らかっています。
「ありがとう、山下」
「相変わらず先生、忙しそう」
茉優はちょっと心配そうな面持ちで、大島の横顔を盗み見ます。
大島にはやらなければならない仕事が、山のようにありました。
「俺たちの仕事はどれだけ増えるんだよ!まったく...なあ、大島」
隣の席の体育教師の唐沢が、やってられない、とばかりに大声を上げます。
「僕はまだ新米なので......」
先生が抱える仕事の量は、近年増え続けるばかりで、部活動の顧問などは、自発的なものとみなされていて、給料などはほとんど支払われていません。
「えっ?私が文芸部の顧問ですか?教頭」
「もう、決まったことだから。よろしく、大島くん」
英語教師の大島も、自分の得意分野ではない文芸部の顧問を、この四月から受け持っています。もちろん、言葉に携わることは好きだから、そこまで苦にはなりませんが、特別にその関連のスキルとかを持っているわけではないので、指導するにしても、その勉強もしなくてはならなかったのです。
文芸部の部室。
「茉優、もう来てたんだね」
「ごめん楓、ちょっと先に用事があって」
茉優は文芸部に所属していました。それも、茉優がニ年生に上がったときに、大島が顧問であることを知ってすぐに入部したのです。
入ったその日から、茉優は部長代理を務めています。
「......ということで、ジャンルは短編小説に決まりました」
皆からの意見をまとめて、茉優が決定を発表します。
七月、文芸誌の制作が始まりました。今回は時間をたっぷり取って、短編小説に挑戦しよう、ということになり、今日、部員数名と大島が部室に集まっていました。
楓が口を開きました。こんな時、真っ先に先陣をきるのは、いつも楓です。
「先生、こういうのどうでしょう?先生と生徒の恋愛話」
「いやーっ、それちょっと難しいんじゃないかな? 俺はちょっと賛成できないかな」
「なんで...先生? これって、実際起こっていることでしょう? 教師と生徒の恋愛って言っても、いろんな形があると思うよ。両思い、片思い、事件だって起きているでしょう? これって、私たちのリアルだよね。取り上げるべきだと思うんだけど。そうだよね? 茉優」
楓だけが茉優の大島への気持ちを知っていて、ウィンクしながらそう言いました。
茉優はしどろもどろになりながらも 「私も...取り上げてもいいテーマ...じゃないかな...と、思います。それほど過激な内容でなければ......」と、賛成しました。
「学校としては間違いなくアウトだと思うけれど、みんなの意見は尊重しよう。みんなはどう思う?」大島は、すこし厳しい表情で皆に尋ねます。
「私はやってもいいと思います。私はちょっと考えた方がいいと思います。私は反対です」など、色々な意見が出ました。
「今日のところは、ちょっとこの話は持ち帰らせてもらえないか?他の先生と話し合ってみる」
職員室に戻った大島が教頭に相談すると、
「そんなの当たり前だろ。駄目に決まってる。話題が過激すぎる。生々しすぎるよ。ダメだよ、ダメ。違うテーマにしなさい!」と、断固反対されたのです。
翌日、文芸部の部室では、やはりこのテーマでは駄目だということを部員のみんなに大島が伝えました。
「そうだよね!」と、駄目になって良かった、と言う者もいれば、「えーっ、残念......」と言う声もありました。
茉優は、内心ガッカリしていました。なぜなら茉優は、この小説にかこつけて、自分のその思いを大島に伝えようとしていたからです。
「でも、スマホと恋愛は、絶対に取り上げるべきだと思います」みんなも同じ意見でした。
それで、結局テーマは、部員の誰もが口を揃えて「恋愛は外せない」と、主張した結果、『スマホと高校生の恋愛事情』を、扱う事になりました。同じ恋愛でも、かなりマイルドになっています。
ただし、今回は「いじめに関しては一切取り上げない」ということを注意されました。
表現の自由が叫ばれて久しいのですが、色々と制約が多い学校生活の中では、自由というのは名ばかりで、不自由ばかりがいまだに横行しています。
*
茉優が部活のことで職員室に大島を訪ねていくと、中から怒鳴り声が聞こえてきました。
先輩教師の唐沢から、大島が何か言われているみたいです。
「だから、何回言ったらわかるんだ? 俺もお前の面倒を見ていられないんだよ。俺自身の仕事も多いんだ」唐沢はかなり興奮している様子です。
「おまけに、明日は生徒を引率して、バスケットボールの試合で遠征に行かなければならない。すまんがそれは自分でやってくれ!」
「分かりました......」と、力なく返事をし、頭を垂れる大島の情けなさそうな姿を見ると、茉優は胸がチクりと痛みました。
そのまま大島に声をかけずに職員室を後にします。
茉優は、「先生、可哀そう......」
そう思う気持ちが、こういう光景を見る度につのっていきました。
それは全くの偶然でした。茉優が楓と二人でウインドウショッピングを楽しんで、流行りのカフェでお茶をして帰る途中、楓が、「あれ、大島じゃない?」と指さしました。
大島と綺麗な女性が寄り添って歩いていました。大島の横顔は、本当に嬉しそうで、腕こそ組んではいませんでしたが、ニ人が付き合っていることは、遠目にも見て取れました。
茉優の胸が、『きゅっ』と締め付けられました。茉優は、大島への思いが裏切られたような気がしていました。自分の勝手な片思いではありましたが......。
「茉優! お風呂早く入んなさい。パパが入れないでしょう」
「はーい、ママ......ちょっと待って」
夏休みに入ると!茉優は大島に会うことは全くなくなりました。
家にいてもどこにいても、茉優の頭の中は大島のことでいっぱいでした。
『先生、大丈夫だろうか?他の先生達にいじめられていないだろうか?あの女性はいったい誰なの?』などと考えると、夜も眠れませんでした。
「パパ、ごめん...お待たせ」
冷蔵庫から飲み物を取り出すと、ニ階の自分の部屋に上がっていきます。
茉優は大島の携帯電話の連絡先を知っていました。部長代理の特権です。茉優はメッセージを残そうかどうしようか迷いましたが、結局、直接電話することにしました。
大島の携帯が鳴ります。大島が電話に出ると、茉優は少し緊張しています。
「すみません、先生...今、大丈夫ですか?」
「山下、どうした?」
「ごめんなさい、こんな時間に......」
「いや、それはいいんだけど。それで、用件は何?」
「茉優ね。先生のことが心配なんだ。どうしてるかな?と思って」
「大丈夫だよ。俺なら大丈夫!山下、ありがとな、心配してくれて」
「じゃあな!」と、大島が電話を切ろうとすると、茉優は、勇気をふりしぼり、「先生、明日...会えませんか?」と、自分の心臓の音が大島に聞こえるんじゃないか?と思うぐらいドキドキしながら伝えます。
「いや、それはちょっとまずいだろう?」
「先生、別にデートとかそういうのじゃなくて、ちょっと相談があるんです」
「......そうか、分かった。じゃあ、どこがいい?」
「市立図書館裏の、目立たないところにあるベンチで」
「...と言っても、どこらへんかな? 俺はあまり市立図書館には行かないから、分からないんだけれど......」
正面玄関に大きな階段があります。そこを上ると、図書館の入り口に出るのね。それで、そこを左の方にまっすぐ行くと、行き止まりなので、そこを右に曲がると、裏門の方に出る道に、ベンチが二つあって、そこで......」
大島は、相づちも入れず、忘れないようにメモをしています。
「先生、先生聞いてる?」
「ああ、山下。聞いてる、それで?」
「すぐ分かると思います。時間は先生に合わせますけど、何時がいいですか?」
「そうだな、午前中はちょっと学校で済ませないといけない用事があるから、ニ時半頃でどうかな?」
「わかりました。じゃあ、ニ時半に待ってます」
茉優の心臓は激しく鼓動を打ち始めました。
「大島先生と二人きりで話ができる。二人っきり。キャーっ!」一人で小躍りしています。
下から怒鳴り声がします。母の声です。
「茉優!静かにしなさい。うるさいよ!」
「はーいママ、ごめんなさい。ちょっと運動してたの」
続く
*
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
尚、この作品は、以前発表したものに加筆、修正を加えたリメイク作品です。