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短編小説『まさみとぼく 猫島の恋』

「まさみ、見て!このネコちゃん可愛いよねっ!」

テレビの画面には青い瞳をした、ふわっふわっの毛並みの真っ白な猫が映っています。

「えーっ!このネコちゃん?うん、可愛いね」

まさみとピーチはテレビの朝の人気コーナーを見ています。

「月に一度の話題のにゃんこ猫島スペシャルは、ミルクちゃん3歳、女の子でした。レポーター、岡島紗季がお送りしました。see you にゃん!」

ピーチはどうやら、この白猫に一目惚れしたみたいです。

「まさみ、ぼく、お願いがあるんだけど」

「なに?ピーチ」

「彼女に、あのネコちゃんに逢いたいんだ」

「あそこって......猫島だよ。しかも、遠いし」

「ちぇっ、やっぱりダメだよね......」

ピーチはすがりつくような瞳でまさみを見上げています。

「......もう、しょうがないなあ。いいよ、来月の連休に連れていってあげる」

「本当に?」

「わたしも久しぶりに故郷に帰りたかったところだし」

まさみの実家はあの白猫のいる島からそう離れた所ではありません。





数日後、東京から新幹線とバスを乗り継いで、まさみとピーチは、海に面したまさみの実家に来ていました。

まさみは久しぶりに会う父、勇作と母、敬子に、キャリーバッグから出したピーチを紹介しています。

「まあ、可愛い猫ちゃんだこと」

敬子はピーチに手を伸ばし優しく撫でています。

「オスなのになんだそのふざけた名前は!呼ばれる身にもなってみろ。たまったもんじゃないぞ、まさみ。この猫が可愛そうだろう」

「ピーチは気に入っているみたいだけど」

「なんでそんなことがわかる。もし、お前の名前が桃太郎だったら、嬉しいのか?」

「とにかく、いいの。可愛いから、これで」

先祖代々受け継いだ漁師を生業としている父親は、どうも昔堅気というか、多少お堅いところがあります。

「まあまあ、あなた。まさみが久しぶりに帰って来てくれたんだから」

実は、父親は3年ぶりに可愛い我が娘のまさみに会えた、そのことが嬉しすぎて照れかくしでそんなことをいっていたのです。

まさみはこの家のひとり娘です。
憧れの仕事に就きたいと故郷を離れ、東京の専門学校を出て、今の会社で働いています。

当然のこと、まさみがこの家を出ていくときには、父親の勇作は、まさみの前に立ちはだかって行かせてくれませんでした。

それで、まさみは父が仕事に行っている間に、逃げるように東京へ出たのです。

「さあ、出来たわよ」

食卓に並べられた料理はまさみの大好物ばかりです。
まさみにとっては懐かしい母の味です。

美味しそうに食べているまさみの様子をニコニコ顔で勇作は見つめています。

敬子は、大皿に盛りつけた魚の煮付けをピーチの鼻先に置きます。

すごいごちそうです。

ピーチはクンクンとその匂いを嗅ぐと、目を大きく見開きました。

『うっまそう!こんな大きなお魚初めて食べる』

以心伝心、そんなピーチの心の声が聞こえたまさみは声をかけます。

「ピーチ良かったね、それって高級魚だよ。すごく美味しいから」

アカメバルの煮付けでした。

煮付けといっても、ピーチのはほぼ水煮です。

ピーチは恐る恐るまずは舌でぺろっとその味を確かめます。

「うま~いっ!」

そうなればもう、やめられないとまらない。
ピーチはあっという間に食べ終わりました。

それを見ていた、勇作は

「おっ!いい食べっぷりだな。男はそうでなくっちゃ」

ピーチが満足したのを確かめると本当に嬉しそうです。


まさみがお風呂に入っているとき、勇作は縁側で外の景色を眺めていたピーチのところにやって来ると、ピーチを自分の膝の上に乗せて話し始めました。

「なあ、ピーチ。まさみは変な男に引っかかっていないか?
今つきあっている男はいるのか?知っていたら教えてくれ」

「あら、イヤだあなた。ピーチにそんなこと訊いても教えてくれるわけないでしょう。人間のことばが話せるわけでもないんですから」

まさみはいったいいつになったら結婚するんだろう?と気になって仕方がない勇作は、内心ではそのことを訊きたいのですが、過去何度も、その度に言い争いになり、お互いに気まずい思いをしたことがありました。

なので今では結婚のけの字にさえも触れることはありません。

それでも、ひとり娘の将来を案ぜずにはいられません。

娘と接するのが不器用な、勇作の親心です。

『実はこれが話せるんだな。けど、ふたりに向かって人間のことばで話しかけたら絶体ダメだって、まさみに釘を刺されているから、ゴメンお父さん。あのダメ男のこと本当は教えたいけれどやめとくね。本当にゴメン』
あのダメ男とは、あのテツのことです。

そうこうしていると、まさみがお風呂から上がってきました。

「ピーチ!寝るよ」

そう声を掛けられたピーチは、勇作の膝の上から飛び降りると、まさみを追いかけてタタタッと二階の部屋に上がっていきました。

まさみが高校を卒業してこの家を出るまで、生まれてからずーっと過ごしたところです。

部屋の中には、まさみの少女時代の名残がそこかしこに残っています。

「ねえ、ピーチ。あんた父さんと何話してたの?」

「まさみ、いいお父さんだね。まさみのこと本当に心配していたよ」

「まさか、人間のことば話してないでしょうね」

「話すわけないじゃん。あんなにダメだよっていわれていたのに」

「そう、それならよかった」

その夜ピーチはまさみと一緒のベッドに寝ました。

まさみがこの部屋で過ごした歳月を想いながら、ピーチは深い眠りにつきました。


翌朝、勇作と敬子に見送られ、まさみとピーチは、この旅の本当の目的地、猫島に向かいました。



まさみの実家の近くのフェリー乗り場から普通船で島へ渡ります。

約1時間の船旅です。

「ピーチ、ピーチ。着いたよ」

まさみの声に、ピーチはキャリーバッグのなかで目を覚ましました。

いつの間にかうたた寝をしていたようです。

人々は足早に船を降りていきます。

「あーっ、やっと着いた」

ピーチは感慨深げです。

やっとあの可愛い猫ちゃんに会えるのです。

ピーチはまさみの唇の端に、お菓子の食べカスがべっとり付いているのを見つけました。

『あーっ!こいつお土産に貰ったあのお菓子もう食ったのか』

母が会社の皆さんにと、まさみに持たせた、まさみの好物の地元の銘菓でした。

ピーチが寝ている間にこっそりとつまみ食いしていたのでした。

「まさみっ!口の周りに何かついてるよ」

「えっ!」

指で食べかすを拭いとると、まさみはテヘッと舌をチョロッとだしてごまかし笑いをしています。

そして、話をはぐらかすかのように辺りを見回していいました。

「ねえ、ピーチ。綺麗なところでしょう?」

まさみは、腕の中に抱えたキャリーバッグの中から顔を覗かせているピーチに話しかけます。

もちろんまさみは幼い頃から何度もこの島を訪れています。

港には、もうすでにたくさんの猫ちゃんたちが観光客をお出迎えに来ています。

「おいおい、まさみ。そんなに揺らさないで」

「ゴメン。猫ちゃんたち見てたらちょっと興奮しちゃって」

まさみは早く船を降りようと、いつの間にか大股で歩いていたのでした。

「お願いだから、気をつけてね」

「は~い、ごめん...ピーチ」

下船する人びとはまさみとピーチが会話していることなど誰も気にも留めません。


「こんにちは、その猫ちゃんは?」

まさみが船から降りると、フェリー乗り場の係の、優しそうな中年のおばさんがまさみに声をかけてきました。

ピーチはキャリーバッグの中から顔をのぞかせ、おばさんを見つめています。

「この子、ピーチは、今回わたしと一緒に実家に帰ったんです。それで、この島に立ちよっただけなんです。もちろん、置き去りになんてしませんよ」

それを聞いて安心したのかおばさんはニッコリと微笑みました。

「可愛いネコちゃんだこと」

「ありがとうございます」

「ピーチってことは、女の子なんだね」

「いいえ、違います。元気な男の子です」

おばさんは何かいいたそうに一瞬黙りました。ほとんどの人がピーチが男の子だと知ると、このリアクションを見せます。

『まさみ。だから、お前のセンスが疑われていること自覚しろよな』

ピーチはひとりぼやいています。

「おばさん、なんか猫ちゃんいっぱい居るね。以前は、ここら辺にはそんなに猫ちゃんたち来ることなかったのに」

「そうだね、最近というか、この3年ばかりで増えたね。元々この島っておじいちゃん、おばあちゃんばかりだったでしょ。亡くなったり、高齢で島を出て街の施設に入られたりしたから、猫ちゃんたちにご飯をあげる人たちが少なくなったのよ」

「そうなんですね」

「それで、ご飯をもらおうと、船が着く頃になると、猫ちゃんたちがここに集まるようになったの」

「以前はダメみたいだったけど、今は観光客がご飯をあげてもいいんですか?」

「他の猫島では禁止しているところもあるみたいだけれど、ここではそんなに厳しくはないの。見て、痩せている猫ちゃんも多いでしょう」

まさみがあたりにいる猫たちを見回すと確かに、痩せている猫たちもかなりいます。

「おばさんは、ここの人ですか?」

「いいえ。わたしは元々東京に住んでいたんだけれど、ここが好きすぎて、8年ほど前かな、家族3人と一緒にこの島に移り住んだの。5人しかいない島の中学校の生徒たちのふたりはわたしの息子と娘たちなのよ」

「へーっ、そうなんですね」

「じゃあ、島を楽しんでね。ピーチちゃんも楽しめるといいわね。実はね、わたしんとこの猫ちゃんモモっていって女の子。なんか奇遇だね」

『だから......まさみ......』

まさみはピーチを外に出して、リードをつけました。キャリーバッグは背負います。
ピーチは思いっきり伸びをしています。

そして、ふたりはおばさんにもらった島の見取り図を片手に、島の中央に向かって歩きだしました。

しばらく歩いたところで、ピーチの背中に女の子の声が降ってきました。

「きゃーっ、可愛いっ!」

高速船でまさみたちの後に島に着いた、女子大生二人組でした。

猫のことを少し知っている人は、ピーチのこの茶色の毛並みを珍しがります。

「こちらの方ですか?可愛い猫ちゃんですね」

まさか猫島に猫を連れてくる人はいないだろう、そう思い込んでいた彼女たちはまさみにそう声をかけました。

まさみは、不機嫌な表情全開で「いいえ、東京からです。ピーチと一緒に里帰りしたもんでこの島に久しぶりに寄っただけです」
ぶっきらぼうに答えます。

まさみは心のなかでは『おいおい、こんなおしゃれな、若い女性が島民なわけがないだろう』と内心ご立腹です。

超イケテル女を自認しているまさみとしては、ダサい島民に見られたことが癇に障ったのでした。

島民イコールダサいと決めつけるまさみもどうかと思いますが。

そんなことはお構いなしに「可愛いね、猫ちゃん」といわれて彼女たちにもみくちゃにされ、なでなでされまくったピーチは、まさみ以外の女性、しかも、まさみより若くいい匂いのする女の子たちに可愛いがわれてトローンとデレデレのおめめが今にもこぼれ落ちそうです。

「じゃあね、猫ちゃん」

そういってピーチの頭をポンポンして、彼女たちが遠ざかっていったあと、ピーチがまだポヨヨ~ンとその余韻に浸っていると、すごい形相をしたまさみがピーチの顔を覗き込んでいました。

「ピーチ。あんた、ずいぶん幸せそうだね。何?その目。そんな顔わたしに見せたことないよね。そんな顔もできるんだ。へぇ~っ」と、嫌味たっぷりです。

「ありがた迷惑だっつーの。頭くしゃくしゃにしやがって、首もげるかと思ったわ!」

これは、ヤバいと思ったピーチが透かさず心にもないことをいうと、まさみは苦笑しています。

「なんか、必死で哀れだよ、ピーチ」

まさみはどうやらピーチの本心はすっかりお見通しのようです。


ふたりは島の風景を眺めながら、ゆっくりと歩みを進めていきます。

すると、道路の中央で寝そべっていた、黒と茶色のまだら模様の、見るからに凶暴そうな強面のオスのサビ猫が、その鋭い眼光で刺すようにピーチを睨んでいました。

片耳は途中で欠けてありません。その尻尾はブーメランのように直角に折れ曲がっています。

寄せては返す波の音を切り裂くように、辺りに響き渡るだみ声でピーチに声を荒らげました。

「おい、お前!見かけない顔だな。どこから来た?」

からだは大きく、声も態度もでかい猫です。

「東京から来たんだけど。おじさんだれ?」

「おじさんとはご挨拶だな。坊主」

鋭い牙をちらりと覗かせて威嚇するように凄んでいます。

「おれはこの島のボス、マーダラだ」

「真鱈?」

「ちがう。マーダラだ」

「まーだだ?」

「おい、おまえ!ふざけてんのか?このおれと殺り合いたいのか?」

マーダラのその鋭い眼は血走り、今にもピーチに飛びかからんばかりです。

「おじさん、なんかゴメン。いつもの調子でおふざけが過ぎちゃった。ゆるしてちょんまげ」

「......」

マーダラは、ピーチの発するわけのわからない言葉にいいかげん疲れてしまいました。

「......それで、東京?どこだそこは?あそこより遠いのか?」

「あそこ?」

「あそこだよ」

マーダラは、髭をピンと張り、顎で遠くに見える島を差しています。

「ちがうよ。マーダラさん。あの島よりずーっと遠いところだよ」

「あの島より遠いところ......そいつはずいぶん遠いところから来たんだな。じゃあ、歓迎してやる。ゆっくりしていくといい」

マーダラの顔からは、さっきまでの好戦的な表情はすっかり影を潜めています。

彼はこの島のボス猫としての役目を務めているのです。

この島の猫たちは、ほとんどがのら猫ですが、皆がここの生まれです。

古くから、島民たちと共に生きてきました。元々はあまりにも多いネズミの駆除目的のために家々で飼われていました。

漁師たちにも大漁の守り神として祭られているほどです。

それで、マーダラは見慣れないよそ者のピーチを警戒したのです。

「ありがとう。マーダラのおじさん」

ピーチはそういって、ペコリと頭を下げるとマーダラに別れを告げました。

道すがら、茶トラ、黒白、サバトラ、黒、など様々な毛並みの猫たちが、見慣れぬピーチに興味を示し、話しかけてきます。

ピーチはマーダラに説明したことを繰り返します。

「東京?どんなとこだ?」
「あんた、変わった毛並みしてるわね」
「その姉ちゃん可愛いな」
「なんか食いもん持ってない、そのおばさん」

その度に立ちどまり、しばらくピーチは話し込みます。

今日は、ピーチのためにここに来ているまさみです。
イライラすることもなく、ピーチが立ちどまって話し込む度に、自分はあたりの景色を眺めたりして時間をつぶします。

そうやって、30分ほど歩くと、中学校が見えて来ました。

ピーチのお目当ての白猫のミルクは、この坂道の途中の、ちょっと特徴のある古民家に住んでいます。

まさみが表札を確かめます。

「柴作、間違いない。ここだ」

呼び鈴を鳴らします。

「は~い」

中から声がしたと思ったら、70歳くらいの白髪のおばあさんがドタドタと元気な足どりで出てきました。

「こんにちは、わたし長崎といいます。実は今日こちらに伺ったのは、お宅で飼われている白猫のミルクちゃんに会いに来たんです」

「うちのミルクに?どちらからいらっしゃったんですか?」

「東京です」

「東京?まあ、それはそれは、遠いところから」

柴作のおばあさんは、まさみの足下で、リードにつながれてちょこんと座っているピーチに目を留めました。

「この猫ちゃんは?」

「この子はわたしの飼い猫です。名前はピーチっていいます。男の子です」

紹介されたピーチは柴作を見つめています。

「以前、テレビ番組の話題のにゃんこ猫島スペシャルで、お宅のミルクちゃんを拝見したとき、うちのピーチがどうも一目惚れしたみたいなんです」

「あーっ、あの番組ね。えっ!このネコちゃんがミルクに一目惚れ?」

柴作はその言葉にかなり驚いたようでした。それは、そうでしょう。どうして、猫が一目惚れしたってわかるんだ、普通はそうおもうでしょう。それに気づいたまさみは言葉を付け足します。

「ピーチがミルクちゃんの映っていた画面をジーッと見つめて、切なそうな顔をしていたんです」

「はぁ......切なそうな......」

「それから、ずーっとピーチは食欲がなくて、ひまさえあれば何にも映っていないテレビの画面を見つめてため息をついているんです」

「はぁ......ため息?ですか」

柴作は、ピーチのその姿を想像したのでしょう。突然、大きな笑い声を上げました。

「それで......アハハっ......ここまで......ヒィ、会いに来られたと?ハハハッ」

お腹を押さえてもう笑いをこらえきれないといった様子です。

「そうなんです」

まさみも柴作につられて半笑いを浮かべながら答えます。

ピーチはひとり『可笑しくなんてないっ!こっちは真剣なんだ』とふたりを睨んでいます。

ふとピーチが柴作から視線を落とすと、夢にまで見たあの憧れのミルクが、柴作の後ろでまさみたちの話に耳を傾けています。

「こ、こ、こんにちは。ぼくピーチっていいます。お目にかかれて、こ、こ、光栄です」

ピーチは緊張のあまり上手く言葉がつなげません。

目の前のミルクは、真っ白なふわっふわっの毛並みで、その瞳はどこまでも深い青を湛え、気品に溢れ、彼女のからだからはメスネコ特有のいい匂いが漂ってきます?......きません。

ピーチはあることに気づいてしまいました。

「この猫ちゃんオスだ!」

ピーチはもうパニックです。

「だって、だって。あのレポーターは確かにミルクのこと、女の子っていった!」

「うちのミルクはオスなのよ」

柴作はまさみに申し訳なさそうにいいました。

「えっ!けど、レポーターの女性は女の子っていってましたよね」

「ええ、そうだったみたい。わたしも、テレビに出るのなんて初めてのことでしょう。だから、舞い上がっちゃってて。彼女がミルクのことを女の子だって言っていたのにまったく気づいていなかったの」

「撮り直しとかはお願いしなかったんですか?」

「どうも、あのレポーターの女性、うちのミルクのこと、名前からメスだとばかり思い込んでいて。
わたしはオスですってちゃんと最初にいったんだけどね。
何しろこの毛並みでしょう。
それにうちのミルクは優しい顔しているし」

やっぱり毛むくじゃらでも、自分の飼い猫の表情は愛猫家の皆さんはよくお分かりになるようです。

「気づいたのはテレビの放送を見てからなの。別にミルクがメスって誤解されても誰が困るもんでもないし、と思ってそのまま放って置いたの。
こんなことになるんだったら、訂正お願いしとくんだったわ」

まさみは驚いて声も出ません。

ピーチが恐る恐る話しかけます。

「あ、あの......ミルクさんですよね?」

「ああ、そうだが。おれに何か用か?」

「ぼく、あなたに会いに遠くから来たんです」

「ほう、おれに会いに、遠くから、それで?」

「ぼく、あなたのことをテレビで見て、女性だとばかり思いこんでしまって」

「テレビ?......この前、能天気そうな姉ちゃんが来てた、あれか?あいつ、おれのこと女と勘違いしていたみたいだったな」

「それで、あなたに会いたくなって、ここまで来たんです」

「まさか、おれに惚れたとか?」

「......すみません。その通りです」

ピーチはなんともいえない複雑な表情を浮かべています。

「そいつは残念だったな。おれはこれでも5匹の仔猫の父親だ」

「そうなんですね......」

残念そうにうなだれるピーチに、ミルクは優しく声を掛けました。

「せっかく来たんだ。おれがこの辺りを案内してやろう」

「はい、ありがとうございます」

ピーチは柴作と話し込んでいるまさみに目配せすると、リードを引っ張ってまさみを外へ連れ出しました。

「まさみ、わかったと思うけど、ミルクさんは男なんだって」

「そうなんだってね。残念だったねピーチ。せっかくここまで来たのに......」

「それでね、ミルクさんがここら辺りを案内してくれるんだって。一緒にいってきていいかな?」

「うん、いいよ。良かったね。じゃあ、わたしはひとりで島見物してるから気をつけていっておいで。後で、ここで待ってるから」

まさみがそこまで言ったときには、後ろに柴作が立って、ふたりの会話を聞いていました。

「いま、誰かと話をしていた?もうひとり誰かの声が聞こえたんだけど」

「いえいえ、これってわたしの変な癖で、ピーチにまるで人間に話しかけるみたいに、自分でも知らないうちに話しかけていて。
すみません驚かせてしまって」

「そうなの?けど、確かに誰かの声が聞こえたけど......年のせいなのかな。
ああ、やだ。自分ではまだ若いつもりなのに......」

柴作は小首を傾げています。

「ピーチ!行くよ」

ミルクはそういうと、玄関からタタタッと勢いよく駆け出していきました。

まさみは急いでピーチのリードを外します。

「まさみ。じゃあ、行ってくる。また、あとでね」

ピーチは先に駆けていったミルクのあとを追いかけます。

柴作はいまだに怪訝な表情を浮かべています。

「いま、また、あとでねって聞こえたけど......」

「えっ!そうですか?わたしには何にも聞こえませんでしたけど」

まさみは誤魔化すのに精一杯です。


ミルクとピーチは柴作の家から坂を少し上がった中学校に来ています。

木造二階建ての、古き良き時代の趣を残す校舎です。なかでは数名の生徒が授業を受けています。

「ここではたまに映画の撮影が行われるんだ。そのときにはたくさんの人が島を訪れる。それは賑やかなもんだ」

「そうなんですね」

ピーチは映画を良く知っています。
まさみが小説の勉強のためにホラー、スリラー映画などを悲鳴を上げながらもの凄い形相でよく見ていますから。



古びた校舎を背景に、少年と少女がぎこちなく唇を重ねています。

お互いの背中には、軽く添えるように両腕がまわされています。

やわらかなオレンジ色の夕陽のなか、秋のそよ風に揺れる少女の長いまつげ。

と、なにかを感じてふと目を開けた少女の瞳に飛び込んできたのは、ゾンビと化した10名ほどの同級生と猫たち。

ゾンビの形相そのままに自分たちに迫ってくる。

思わず触れていた唇を放し、少年を突き飛ばし、ひとり逃げる少女。

尻もちをついた少年は、いったい何が起こったのか呆然としている。

そして、少年は、襲ってきたゾンビたちにあっという間に呑み込まれていく。
バキッ、ベキッ、ボコッとあたりに鳴り響く、少年がゾンビたちの餌食になる音。

キャーキャーいいながら、逃げ回っていた少女は足を踏み外し、哀れ、断崖絶壁から海へとまっ逆さまに落ちていく。



まさみの影響だ。

すこしの間、幻を見ていたピーチは、ハッと我に返ります。

「どうした?ピーチ」

「いえ、何でもありません」

「ここからの眺めが最高なんだ」

そういって、ミルクはそこに設けられている木製の台に、ヒョイと飛び乗りました。
ピーチもあとに続きます。

ピーチの顔を優しく撫でていく澄み切った秋風。
水色の空に浮かぶ鰯雲。
遠くに見える墨絵のような島々。

ピーチは初めて見る圧倒的な美しさに、こころを奪われてしまいました。

「どうだ、凄すぎて声もでないだろう」

コクっとピーチは頷きました。


それから、ふたりはミルクの子供たちのところへ来ていました。

「おい、アンズ。いるか?」

ミルクがそう呼び掛けると、1匹の茶トラ猫が姿を現しました。

「ずいぶん今日は遅いのね」

「すまん、今日はお客さんを連れてきた」

「こんにちは、ピーチといいます」

「あら、あなたに負けず劣らずいい男じゃない。こんにちは、ピーチさん」

「おれの嫁さんのアンズだ」

「あら、嫁さんって呼んでくれるのね。いったい何人奥さんいるのかしらっ?」

ミルクはばつの悪そうな顔をしています。

「おい、そんな意地悪いうなよ、お客さんの前だぞ」

「あら、ごめんなさい。つい、いつも思っているこころの声が。ごめんなさい、ピーチさん」

怪しい雲行きを感じたピーチは、

『夫婦げんかは犬も食わないっていうからな。猫だけど』

そう思いながらも、精一杯の愛想笑いを浮かべています。

「子どもたちはどこだ?」

「裏で遊んでいますよ、わたしはすぐに戻らないと」

そういうと、そそくさと子どもたちのところへ帰っていきました。

「すまん、子どもたちにも会ってほしかったんだが、なんか、な....
..」

「もう充分です。ミルクさん色々ありがとう」


ふたりが柴作の家に戻ってくると、まさみは、縁側でお菓子とお茶をいただきながら柴作と話し込んでいました。

「ピーチお帰り」

「ミャ~ン」

ピーチは猫語で答えます。

おばあさんの前では人間の言葉は話せません。

「楽しかったよ、ピーチ。じゃあ、もう会うこともないけど、元気でな」

「ミルクさんもお元気で」

ミルクはもうひとりの嫁さんのところへとっとと駆けていきました。

その後ろ姿を見送りながら、『ぼくが一目惚れしたほどのいい女、もとい、いい男だ。そりゃモテるわな』そう、ひとり苦笑しています。



まさみとピーチは2日ぶりの我が家に戻って来ました。

その夜、ピーチは初めての長旅と失恋?の疲れでぐっすりと深い眠りに落ちました。


翌朝、すっとんきょうな調子の件のレポーターの声でピーチは目を覚ましました。

まさみは、テレビを見ながら朝食を食べています。

「月に一度の話題のにゃんこ猫島スペシャル、女の子2歳マロンちゃんでした。レポーター、岡島紗季がお送りしました。see you にゃん!......えっ!......すみません。マロンちゃんは男の子でした。訂正いたします。テヘッ」

『テヘッ、じゃないよ。この顔だけ超美形のレポートポンコツ女っ!

おまえのせいでな。

おまえのせいでな......初めての長旅も出来たし、いい思い出にもなったよ。ありがとう』

とそっと感謝するピーチなのでした~っ!


〈おしまい〉


最後まで読んでいただきありがとうございました。

11000文字超えの作品でした。
皆様の貴重なお時間をいただき、
心より感謝申し上げます。

この物語はフィクションです。
実在する人物、猫、猫島、地名などとは一切関係ありません。














 

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鯱寿典
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