親世代の期待と落胆 相互尊重の原則1 ~同居の原則その4~
相互尊重の原則1
親子は別々の家族であることを
親子、両家族は、お互いを尊重し合い、相互不干渉を原則とした協力関係を築くべし。
子供はいつまでも親の従属物ではないという親の認識と、親は子供とは異なった生理状態と価値観を持った存在であるという子供の認識、という各々の世代に求められる認識の上になりたつ原則。
(引用:親子同居•上手な住まい方 発行所:文化出版局 P.127)
相互尊重の原則1を複製して作成せずに上書きしてしまった。今後はメモで残してコピペしよう。
思い出しながら書いているので、以前の記事とは異なってしまう言葉やストーリーになり申し訳ありません。
トラブルの結果、本のこの項を2度読むことになったが、読むたびに認知が変わっていくというか深まっていると思う。
私は読解力や言葉の理解力が低い方なので、こうして何度も読む方が良い。
さて本題だが、引用した文は深く示唆に富んでいる。現代において私の考えるポイントは以下3つだ。
1、親世代の期待と落胆
2、奥さんのプライバシー
3、適切な距離感と生活
今回は「1、親世代の期待と落胆」について考えていきたい。
と、その前に前提を記載したい。
ここでいう親世代の期待は、息子に後を継いで欲しいとか、いずれ一緒に暮らしたいとか、介護といった大がかりな希望や期待ではない。
私がこれを通してまとめていきたいのは、親子関係における過度な束縛や強制といった明らかな問題ではなく、小さな気持ちのすれ違いや、本人すら気付いていない感情がバタフライ効果のように少しづつ膨らんでいってイザコザになる現象の元を明らかにして、日常の摩擦を緩和•最小化し、人が集まればストレスになるという同居および敷地内同居を、夫がどのようにマネジメント、チームビルディングしながら、幸せな感情の家庭を築いていくかの設計図を作りたいという点である。
したがって今回の「親世代の期待と落胆」というのはちょっとした表に出てこない感情だ。
同居が始まるきっかけは各家庭様々と思うが、状況の共通点はあると思う。
そんな時、第一世代の親の年齢は第二世代の子が思うより体力減少していて、家事や生活作業が億劫になり始めている。
これは一例だが、そんな中同居が決まれば、少しは敷地の管理、作業等を分担できるという期待をするのが普通ではないか。
ところが、始まってもなにもしない息子や、息子が主体的になっていないため、何をしていいかわからないお嫁さんをみて、むしろやることが増えた。始めはよかれと思ってついでに草むしりしていたら、いつまでたっても息子達はやらない。境界線が曖昧なこともある。話し合いも出来ていない。
これで は親世代はメリットを感じないし、潜在下ではモヤモヤが着実に溜まっていき、別件で小言とかに変容して放出される。もちろん潜在意識なので本人はつながりを感じていない。
よく起こっていないだろうか?
奥さんから「何でこの件でこんなことを言われなければならないのか?」という愚痴が。
きっと別件の影響によるものと思われる同居バタフライ効果だ。
最後に、対策について記載する。
1、振り返りと対話。
両親、奥さん双方が、どんな手助けを必要としているか?思い出す言葉はないか?
どちらかに過剰に負担がかかってないか?
自分だけ負担が少なくないか?
2、体力の増強と物理的な行動。
要は賃貸住宅で1世帯だけの活動領域だったものが、少なくとも共有エリアの対処まで拡大しているので、動けるよう体力作りをして動きましょう。自身の世帯の活動を減らさずに。
毎記事反省しかない。
周りに感謝したい。
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